学習方法/中学校全般

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
このページ (学習方法/中学校全般) では、学習方法/中学校全般について説明します。なお、独自研究や中立性を欠いた文章を含んでいる場合があります。独自研究の中には多くの場で共有されている意見もあれば、少数の意見もありますのでご注意ください。


中学校の学習全般について、雑感として書きました。

ほとんどの科目は音声言語から[編集]

Ai voiceやcevio aiを有料購入して、音声を作成します。購入が難しい場合は、親に頼んでみてもいいでしょう。本ソフトを利用して、音声を自作すれば、隙間時間に聞き流しが繰り返せるようになり、さらに、この音声をスマホなどに入れると、電車やバスの移動時間でもながら勉強が出来ます。特に、計算分野以外の暗記科目で効果を発揮します。

中学3年間で、暗記科目は高校分野まで終わらせ、覚えておきましょう。[編集]

「この理由は、高校生になると、数学・物理に非常に多くの予復習時間を費やすようになり、暗記科目までは学習出来ないためです。[1]したがって、

社会は高校の歴史総合・日本史探究・世界史探究・地理探究・公共・政治経済・倫理

理科は、生物・地学・化学の暗記分野

国語は、古文・漢文

英語は、高校3年間まで全範囲の英単語・文法・長文を中学3年生卒業までに覚えておきましょう。」とか無責任すぎることを前編集者は書いていましたが、そもそも「地理総合」が抜けていますし、高校では「社会」という教科は存在せず、「地理歴史」と「公民」に分かれます。地理歴史科の日本史探究と世界史探究については、選択科目ですから、高校に入る時に決めます。(既に決まっているなら勉強できなくはありません。)公民科の公共と政治・経済と倫理についても、選択科目ですから、どちら公共又は政治・経済と倫理が選択肢になります。あと、さすがに高校3年間の英語を中学3年間で覚えろは無茶苦茶だと思います。これ以外にも指摘したいことは山ほどあるので後日書きます。

中学校の勉強は、やはり、小学校から比べると、発展を遂げたものになるだろう[編集]

中学生になったら[編集]

中学校の学習内容は、小学校と比べて、より難解で理屈っぽい課題になっていくと思います。

中学校の学習範囲が広すぎると感じるようなら、学習する範囲をある程度絞って、方針を決めたうえで優先順位が高いと思われる内容を重点的に学習していくのがよいかもしれません。

例えば一番即物的な目標として,学校での成績を上げたいという事であれば、テストに出題される内容を重点的に学習する、という事になりますよね。

あるいはそれ以外の視点をもって、勉強に取り組んでももちろんいいのですが、学校で授業を受ける際に、あらかじめ予習をしていくと、学習効果が高いようですね。その場合、学校配布の教科書だけではなく、市販の参考書を用意して読んでおくと課題と授業の理解に有用です。[2][3]

市販の参考書は、初めて読んでも理解できるように分かりやすく説明されていますが、やはり授業ではまだ習っていない事なので、予習としては大雑把に概要をつかむ程度の学習でもいいですね。[2][3]

参考書の学習は、復習でも効果的で、すでに習った単元をさらに詳細に調べることができます。

反復練習としての勉強[編集]

勉強とは様々な要素を持っている行為ですが、その中の一つに反復練習がありますよね。いわゆる訓練と言い換えてもいいのですが、漢字や言葉、文章の書き取りの練習や、計算練習など、実際にノートに鉛筆で様々な課題を繰り返し書いていって、その課題に関する技術や理解を、一種の体術としての「慣れ」で身につける事、これは中学校の勉強としては非常に重要で学習時間の多くを占めることになると思います。

これは、短時間でも習慣的に続けることに学習効果がありますが、長時間続けることも意義がありますよね。

おそらく勉強というものは小学校から始めることになると思いますが、何だかんだで日常や娯楽から学ぶこと、あまり構えて勉強と呼ばないことからも学ぶことは多いですよね。そういう勉強は、中学校以降一生にわたって常にありますが、一方で、さあ勉強だ、勉強のために特別な事をしよう、という態度の力を特別に入れた勉強というのもありますし、そういう態度の勉強からではなければ知ることのできないこともあります。

もちろん練習や訓練の要素をあまり持たない勉強というのもありますし、単に何かに興味を持って調べてみるだけでも得るものはあります。その行為によって明らかに、その事実に対して理解と記憶は進んでいますよね。

例えば小説を読んでも、それも勉強だといういい方は出来ますが、やはり娯楽、楽しみの要素が強くて、特別に力を入れた勉強ではない、と、見なすこともできますよね。小説にもいろいろな小説があって、明治時代や大正時代などに書かれた近代小説(きんだいしょうせつ)なんか読むと、勉強した感覚がありますし、そして確かにそういう文章は国語の教科書にも載っていますから、より勉強には近いですが、やはり、特別に力を入れた、勉学と呼ぶよりは、やはり遊び、気晴らしの要素も多いと思います。

ただ、本を読みながら、わからない言葉をこまめに辞書で引く、なんて習慣は、より、勉強に近い行為ですね。

また、世の中にはw:速読術なんてものもあって、この技術を持っていると、勉学に有利に働くのは事実ですね。

教科書ガイドは国語と英語で有用[編集]

中学校には内申点というちょっと面倒な成績、評価があるのですが、要するにこれは学期末の成績表に準ずる形で作られる成績評価で、基本的に高校入試の時に相手高校に送られ、選考の参考にされるものです。早い話この点数が高くつけられると、高校入試に非常に有利という事で、高校入試を非常に重視して目的化して生活するなら、この点数は上げたいものだ、と、いう事になるでしょうね。

ですから、この内申書の成績を上げたいと思うなら、提出物や授業態度、意欲などが良いこともいい評価につながりますが、一番重要なのは、定期テストの成績、という事になりますね[4]

そして、学校の定期テストは、授業を理解していることが一番重要でしょう。

しかし今現在の編集者の意見としては、内申点を上げるための勉強についてなんて、馬鹿馬鹿しくて書きたくないので、もっと一般的に、普遍的に学校の授業周辺の学習について書いていきます。

書店で売られている参考書というのは、内容も分かりやすいし、有用であるのは事実なのですが、毎日学校に通って授業を受けている中学生にとっては、これを読んで勉強するのは、二度手間という不利があるような気もします。

そういう場合むしろ、参考書ではなくて、市販の教科書ガイド、というのはいい書籍だと思います。

これは教科書の記述にのっとって書かれているので、学校の教科書を読んで、授業を受けて、教科書ガイドで理解を深める、この学習の流れは、効率的で有用ですよね。

実際個人的には中学校ではこの学習の方法が一番いいような気もしますが、しかしそれぞれの人で勉強に対する考え方や姿勢、適性など様々な条件がありますから、結局はあらゆる人が毎日の学習生活の中で、自分自身にとってよいと思われる勉強方法を開発していくことに、なりますよね。

高校受験に合格することにこだわり、学歴を手に入れることにこだわり、その目的に特化した勉強法というのもありますが、やはり勉強というのはもっと普遍的なものですから、あまり偏狭に考えないほうが、結果として高い学歴を手にする、という事も、よくあることですよ。

ちなみに前編集に基づいていくつか余談を記述しておくと、まず公立高校というのは、前述した内申点を選考結果に反映させる比率が高いようですね[4]

後、学生生活が終わり、企業の採用試験を受けるときなどは、もはや学力試験などはほとんど重視されないことが多いですね。基本的に企業が欲しいのは、自分たちに都合のいい人間、あるいは自分たちと似た人間で、これはもう学問の話ではなく世渡りの話ですから、それの対策を考えたい人は、別の教科書を参照していただきたいと思います。

進学先として、様々な高校がありますが…[編集]

小学校や中学校は、多くの生徒は自分の地域の地域の子供たちが通う公立の学校に通うことが多いと思います。そして、もちろんそうでない子もいますが、高校になった時点で、少し地域から離れた、入学試験、入学選考を経て入学した、場合によってはちょっと遠くにある高校に通うことになりますよね。

そしてその高校にも様々な高校があって、いわゆる進学校とよばれる、成績のいい子がいくとされる入試でも高い点数が必要な高校がある一方で、割と簡単に入れそうな、学力試験でも高い点数がなくてもいいような高校もある。あるいは勉強ではなく、部活動、スポーツに力を入れている高校もありますよね。

この Wikibooksを自ら好んでみるような子は、あるいは、勉強好きでどちらかというと地味でおとなしめの子が多いかもしれません。

この項目の前編集で指摘されていたことですが、そういう子が入試の成績を重視しない、割と入学しやすい高校に入ると、高校生活が良くない状態になる、という問題、それは確かにあるかもしれません。つまり周囲があまり勉強に興味がない子が多いから、静かに勉強して暮らす高校生活を送れない、という指摘ですね。

今現在の編集者の個人的な体験ですが、筆者の実姉はちょっと問題を抱えている子で、つまり何と言うか、障害とか病気とか、事実上明確に一つの病気は持っていたのですが、それでも小中学は普通の地域の学校に通っていました。ただ、やはり学校では、いじめや嫌がらせの標的になるようなことは、あったようですね。そしてその姉が高校進学の時期になって、母親が中学校の教師と進路を決めるための面談をしたとき、うちの母親が、もうこの子はこういう状態だし、勉強もあまりできないので、〇〇高校(市内でいわゆる偏差値が一番低いと言われていた私立高校)でもいいからとりあえず高校に入学できればいいんです、と言ったら、教師は、「でも、そんな高校行ったら、この子殺されちゃうよ。」と言ったそうです。結局姉はある程度頑張って勉強して、市内のちょっといいと言われているカトリック系のお嬢様高校に進学しましたが…。

つまり、この項目の前編集で主張されていたのは、勉強好きの大人しめの子は、やはり少し頑張って、いわゆる偏差値が少し高めといわれる、進学校やそれに準ずる高校に入学したほうがいい、という事ですね。現編集者も大筋では、その主張に賛同します。とは言っても、では進学校が、教師や生徒がいい人ばかりで楽園だ、というわけではないんですがね…。

しかし実際にはそれぞれの人にそれぞれの事情がありますから、全日制の公立高校や私立高校ではなく、定時制や通信制の高校を進学先に選ぶこともあると思います。

あるいは『w:高等学校卒業程度認定試験』(いわゆる「高認」(こうにん))という高校に通わなくても高卒資格の取れる資格試験もあります。これは試験に受かれば高卒として認められるという事ですが、しかし事実関係は不確かですが、多くの企業で高認資格だけでは、実際の高校卒業者よりも採用される確率が低くなるという指摘もあります。これは多くの大人達や企業人たちが、勉強だけではなく、実際に高校に通って集団生活を送ったという事実を重視するからでしょうね。

再び教科書ガイドについて[編集]

別に現編集者は、教科書ガイド出版社の回し者ではないのですが、学校の授業、教科書、教科書ガイドの3本柱での学習はやはりおすすめです。

授業でノートをきれいにとる事ができれば、もうそのノートが有用な参考書になりますが、しかし実際には授業を聞きながらノートもきれいにとるというのは、かなり難しい課題でもあります。

例えば国語科では教科書には読解する本文と、その文章に関する問いかけだけが書かれていることが多いですし、教科書ガイドには読解のための具体的な解説を中心に、様々な有益な記述がありますよね。また、英語でも、例えば教科書には日本語が全く書かれていないものもありますし、ガイドでは理解や記憶のための有用な情報が多く掲載されているのは事実だと思います。

とはいえ、現編集者はこの推奨を、実体験に基づいてしているわけではありません。現編集者は、全くというわけではないのですが、学生時代はあまり教科書ガイドを購入しませんでしたし、それほど読むこともありませんでした。ただ、今現在振り返ってみると、教科書ガイドって結局すごく有益じゃない?という感慨があるんですよね。この教科書ガイドの勧めは前編集者も記述していましたし、それがどういう体験による推奨なのかはよくわかりませんが、何らかの参考になる実体験があるのなら、ここに書き足していただきたいと思います。

実技教科について[編集]

音楽科や保健体育科などの実技系の教科は、普段の勉強とは少し離れたものだと見なされることが多いですが、これもやはり学問ですし、参考書を購入したり、ちょっと力を入れて勉強すると、得ることも多いですよ。

そして実技系だけではないのですが、そこで使われる用語などは、ちゃんと漢字で覚えること、これが推奨です。実際試験では漢字で書かないと減点されることも多いですし、もっと普遍的に日本人として、ある程度の漢字を自由自在に使いこなして使用することは、社会的に求められています。

5教科全般[編集]

暗記はしますか?[編集]

勉強というとやはり暗記に時間と精力をつぎ込むことは多いと思うのですが、あまり当てにならないアドバイスとして、暗記に時間を割く必要はまったくないかもしれません。現編集者自身も学生時代はある程度暗記に時間を割きましたが、今考えると、全くいらなかったな、という感想もあります。

つまり、基本的に勉強はそんなに物事を覚えている必要はなく、何かを理解していくうちに自然に覚えることで十分だろうという主張ですが、しかし実際問題としては、あらゆることで多量の事実と言葉を覚えていることで有利なことは、確実にありますよ。

しかし暗記に時間をかけても、それが苦手な人は結局あまり多量に物事を覚えることもなく、むしろその間に物事の理解や思考の深化を目指した方がいいのではないか?という、主張ですね。

この主張に準じて、前編集の記述にも言及しますが、仮に暗記をするとしても、用語やその周辺の体系や事実をよく理解してから、暗記にとりかかるのが推奨です。参考書を持っているのならそれをよく読んで理解してからが良いし、教科書やノートを見ても、課題の全体像が見えて、理解が深まりますよね。暗記するのなら、それから、という提言です。

参考書について[編集]

学校の教科書は、出版社によって、やはり記述内容に相違がありますよね。例えば具体例として、社会科の地理では、ある教科書会社の教科書では、中国以外のアジアの国としてタイを取り上げて紹介していても、他社の教科書では中国以外の国ではインドを取り上げて紹介している、という事が事実としてあります。しかしこれって逆に言えば、中学生にとっては、中国以外のアジアの国については、タイを知っていてもいいし、インドを知っていてもいい、という事ですよね。

事実上参考書は教科書より記述は詳しいですよね。今の例でいえば、タイについても、インドについても説明されている可能性が高い。

また、学校の教科書は、授業で使うことが前提なので、結局は授業の導入に過ぎず、詳しい説明は授業に任せられている。

ですから、解説が完結している参考書は予習の教材として、有益でしょう[2]。また、分からない事があった時に、辞書的に使うのもいいですよね[5]

参考書というのは受験対策として受験時に買うもの、という意見もあるようですが、実際には入学時や学年はじめに用意して大いに活用するのもいいと思います[5]

資料集[編集]

いくつかの科目で、資料集が配布されます(「便覧」などと名付けられているものもあります)。資料集は、その学科に関する参考資料を提示しつつ多くの場合、学習内容に関する解説も豊富ですよね。ですから、参考書を学校が配ってくれるという事でもありますが、しかし一方で市販の参考書との違いは確実にありますね。

高校での資料集
高校の資料集はより資料の収集という側面が強くなって、あまり分かりやすい説明を書いてくれる事は無くなってくるようですね。教科にもよりますが、高校の資料集は理科や社会科の場合、説明画像の写真集、図版集のような内容です。そのため、あまり参考書のような役割はありません。


これは正しい、これは間違っている、なんて、あまり言わない方がいいんじゃあないの?[編集]

友達同士で勉強するのは、なかなか楽しいイベントですし、お互いに分からないところを教え合えるのもいいですよね。でも、教えてくれる友達が間違って理解していたら自分も間違ってしまう、なんて言う人が良くいるんですが、まあ、事実としてそういう事があるのは認めた上で…

コインには表と裏がありますし、Yes はYes であり No ではないですよね。ですから物事には正しいことと間違った事が確実にあるんでしょうが…

しかしその間違いと正当の違いにやたら拘り、その分別を収集し指摘する事が学問だと思うのは少し違うのではないでしょうか。

むしろ学問の本領は、真理と偽をひっくり返したり、真実と間違いの間にあるグレーゾーンを開拓したり、間違いとされているものを生かす道を考えたり、そういう事にあるようにも思います。

復習[編集]

小学校の内容[編集]

中学校の学習で、小学校の時代の学習内容を振り返りたい時があるだろう。この項目の以前の編集で、そういう指摘がされていました。

学問は基本的に積み重ねなので、以前の内容の学習があやふやなら、先に進んだ時に理解が困難になることは常にあるのですが、ただ今の筆者の個人的な考えとしては、小学校から中学校の道筋では、その考え方は当てはまらないのではないか、とも、思っています。

おそらく小学校の学習には2つの視点があって、ひとつは昔から言われているいわゆる読み書きそろばん。これは日本人としての基本的な社会的技能ですから、身につけていないと困るのですが、しかし実際にはほとんどの人が何だかんだで、小学生のうちに事実上身につけてしまっている技能なんですよね。

そしてもう一つは、現代の人類の学問体系、学問世界の概要と雰囲気に触れること。実はこれはほんのさわりを嘗めているだけで、小説の前書きを読んだり、見学会に参加しているようなものだと思っています。

ですから、本格的な学問世界の積み重ねに身を投じるのは、中学生からではないか? というのが現編集者の主張です。

勉強で理解が難しいと思ったら、以前の初歩的、基礎的な課題に戻って学習しなおすというのは、勉強法として基本の方法ですから、中学生がこの問題に出会ったとき、もちろん小学校の教科、教材を見直すというのは、ひとつの解決策として、あると思います。

そのための具体的な行動として、小学校の過去の教科書、書籍を見直したり、周囲の大人、保護者や教育者、それ以外の人にも疑問をぶつけて、質問するのもいい事ですよね。

以前使った教科書や資料集[編集]

進級したり、自宅の掃除をするときなど、かつて使った教科書や資料集、そのほかの教材を捨ててしまおうと思うことがあるかもしれません。しかしこれらの書籍、資料は残しておくことを推奨します。

一時期世の中では断捨離などという言葉がはやって、いらないものはどんどん捨てて、身のまわりにものを置かない生活が理想だなんて言われたりしますが、これはどうなんでしょうね。

今現在の筆者の意見としては、断捨離なんて、世のインチキな人間達が考え生み出した、インチキ思想商売だと思っていますが…

とはいっても何でもかんでももったいないと言って取っておくことを推奨しているわけではなく、適度に整理整頓して掃除して、廃棄もしたうえで、有用なものは残して今後の有効活用を考え、リサイクルにも気を配り、そして廃棄するという事は多くの場合焼却するという事でもありますので、その時の二酸化炭素発生、地球環境にも思いをはせてほしいという主張ですね。

むしろこの Wikibooks を自ら読みたいと思う人なんかは、廃棄焼却やリサイクル、物質の素材の本質についてよく調べて、手に入れて手放す物質の循環についてよく理解したうえで生活の方針を自ら作っていくのがいいと思います。

まあちょっと言い過ぎかもしれませんが、世で流行っている事やテレビでそれらしく語られている事は金勘定にしか興味のない人間たちが、自分たちの手元にお金が流れてくることを目指して、底の浅い考えで仕掛けているだけのことが多いので、やはり物事についてよく知って自分自身で自分の行動を判断することは重要な事ですよね。

そこで最初の話に戻りますが、学校で使った学問資料は今後も参考になるので、残しておいた方がいいですよ。

例えば社会科なんて、教科書、地図帳、資料集、どれも有用な書物です。社会科は地理、歴史、公民、と科目が分かれてきますが、別の科目の情報を参照したい、した方が理解が深まる、という事も非常に多いですよね。

学校で配布される資料集は、上の学年に進級した後も使い道は多いはずです。このことについてはもう少し後の項目でも、解説するかもしれません。


学校教科書について
慣習的に、一般の書店の店頭には検定教科書が並びません。(実際は各地域の教科書取扱店で小中高の検定教科書を注文して買える[6])。法律的には、特に法規制はされてないようですが、実際は教科書会社などが自主規制をしており、各地の一部の取扱店などでしか注文・購入できません。資料集はさらに規制が厳しく、学校教員の許可が無いと注文・購入できない資料集も多くあるようです。


記憶について[編集]

用語を覚える事[編集]

用語を覚えるときは、(漢字のものは)基本的に漢字で覚えることを推奨します。試験では、漢字で書かないと減点されたり不可になる事もありますね。また、漢字で答えなさいと、問題で指定される場合もあります。

常識的な言葉を漢字で書くことは重要ですが、教科の試験ではむしろその教科特有の言葉を漢字で書くことが重視されますね。

日本語と漢字の付き合いは非常に古く、事実日本語の文字は全て漢字由来ですよね。その使われ方も、多様な奔放な使われ方がなされてきましたが、戦後になって、一般的にも教育的にも使用する方針がまとまってきて、現在の状態にある訳です。

例えば、キリシタンなんかは、江戸時代後期から明治にかけて、日本語で「切支丹」と書きましたが、我々はどうしましょうかね。やはり片仮名ですよね。基本的には教科書の表記が基準になると思います。

意味記憶[編集]

やみくもに暗記するのではなく、物事を筋道立てて理解することによって、記憶が定着することがありますよね。無理やり言葉や事実だけを覚えるよりは、物事の背景や理解に基づいて覚える方が、勉強として正攻法だし、結局記憶も明確に、はっきりと定着するようです。言葉で表現できる記憶を、陳述記憶というのですが、陳述記憶には言葉の意味の記憶、意味記憶と個人的体験や出来事に関する記憶、エピソード記憶の2種類があると考えられています。理解することによって物事を覚えるのは、意味記憶が働いていると言えますよね。

定期テスト[編集]

中学校の定期テストの出題範囲はほとんどが授業で習ったところから出題されるようですね。数問は授業以外からも出ることがあるようです。少なくとも教科書のところ(もっと言えば範囲のページ)から出るので一応大丈夫です。教科書以外で出ることはまずありません。授業ぐらいです。

やはり学校に通って教育を受ける以上、授業の内容が一番の学習課題ですよね。

漢字や英単語、化学記号などは、やはり意識的に覚える必要はありますね。なんとなくで頭に入っていることもありますが、あいまいな記憶では思い出すのに時間がかかることも多いでしょう。

授業のノートをきれいにとることができれば、あとから見直して役立てることもできますが、しかし、ノートを綺麗にとっているという事は、逆の見方をすると、授業中話の理解やそれに基づいた考えはあまり発展していない、と、みなすことも、見方としては出来ると思います。ですから、必ずしもノートを綺麗にとることが、絶大に素晴らしい事ではない、と、現編集者は考えています。

ノートを取るときは、なるべく考えて理解しながら取りましょう。何も考えずにただ写すだけではただの紙くず同然です。提出点という意味はあるかも知れませんが。

そういう意味で教科書ガイドは授業の内容が本として書かれていて有用ですが、もちろん必ずしもそれぞれの授業で話されたことが全て、記述されているわけではありません。

あるいは教科書ガイドより、教科書準拠ワークブックのほうが有用だという意見もあります。

学習と試験[編集]

これは勉強、学習、学問とは何かという話になってしまいますが、多くの場合の一般通念として、勉強することは記憶する事だという考えがありますよね。事実上記憶力、記憶する事自体が、知性の象徴、頭のいい事だという考えも根強いですし、だからこそ、一般社会で物覚えの悪い人や記憶しない人が、平気で見下され、嘲笑や罵倒の対象になったりするのでしょう。

しかし現編集者の主張としては、勉強とは記憶する事ではなく、物事を理解して知ることだと思っています。

学問、学習に関しては、教育の後半、高学年の学習になるほどこの傾向が強くなってきます。中学校の教科書も、記憶する事よりも、物事や理を、読者に理解させたいという方針で書かれているはずです。

ただ、学校の試験では、物事を記憶していることを求める問題の出題が多い傾向はありますね。記述式の理解や発想、考えを問う問題は少ないでしょう。もっとも、最近では多くなってきていますが。

試験の対策を中心に学習を考えるときには、やはり、物事を記憶するという視点は外すことができないようですね。

読了[編集]

学校の勉強は 1学年が一つの単位ですが、どこまで、何をしたら十分な学習を成したと見なせるかは、微妙な判断ですね。一冊の本を読むなら、きっちりと、隅から隅まで読み終えたら、ああ読了したなと思えるのですが、学校での勉強は形態が多岐にわたりますからね。

この項目の前編集では、それぞれの学年の終わりまでに、学校配布の資料集を読了しておくことを推奨していますね。それもいいかもしれません。授業で資料集の内容を隅から隅まで説明することは無いでしょうから、これを一冊読んでおけば、得るものはかなりあると思います。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ https://benkyosukisuki.com/language/lang-engl-ei-bumpou-gohou/
  2. ^ 2.0 2.1 2.2 『行きたい高校に行くための勉強法がわかる 中学一冊目の参考書』、2020年3月21日 初版発行、KADOKAWA、(たぶん)32ページ(ページ数が書いてないページなので)、
  3. ^ 3.0 3.1 『やる気を出したい人 成績を上げたい人のための 中学の勉強のトリセツ』、GAKKEN、2020年2月10日 第8版発行、44ページ、
  4. ^ 4.0 4.1 『やる気を出したい人 成績を上げたい人のための 中学の勉強のトリセツ』、GAKKEN、2020年2月10日 第8版発行、28ページおよび29ページ、
  5. ^ 5.0 5.1 『行きたい高校に行くための勉強法がわかる 中学一冊目の参考書』、2020年3月21日 初版発行、KADOKAWA、(たぶん)33ページ
  6. ^ 『教科書Q&A:文部科学省』 2020年8月22日に閲覧して確認.

関連項目[編集]