「高等学校美術I」の版間の差分

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→‎スケジュール管理など: 余談ですが、(公民館以外の)民営のイベント会場とかのレンタルをする際(たとえば10万円とか掛かる)、土日は料金がかなり割高(1.5倍~2倍ほど行くか?)になります。
→‎スケジュール管理など: 公民館とかの学生の演奏などの公演を見に行くと、たとえば演奏終了後などにアナウンスで「次の演者以外は、楽屋に入らないでくささい。OB・OGでも入らないでください」などと言われる場合もあります(言わない公民館やイベントもある)。 なぜこういうアナウンス文章が作られたかと言うと、つまり、楽屋に入ってしまう保護者やOB・OGがいるわけです。「応援!」とかのつもりで楽屋に入って、演者たちの成長の邪魔をしてしまう困った保護者やOB・OGがいるのです。
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ともかく、小中高の子供は、児童福祉法とかで、学業に専念できるように、かなり優先的に配慮されています。
ともかく、小中高の子供は、児童福祉法とかで、学業に専念できるように、かなり優先的に配慮されています。




そうそう、公民館とかの学生の演奏などの公演を見に行くと、たとえば演奏終了後などにアナウンスで「次の演者以外は、楽屋に入らないでくささい。OB・OGでも入らないでください」などと言われる場合もあります(言わない公民館やイベントもある)。

なぜこういうアナウンス文章が作られたかと言うと、つまり、楽屋に入ってしまう保護者やOB・OGがいるわけです。「応援!」とかのつもりで楽屋に入って、演者たちの成長の邪魔をしてしまう困った保護者やOB・OGがいるのです。

子供や後輩などを口実に、さみしさを紛らわすのはやめましょう。あなたの孤独をいやせるのは子どもではない。あなた自身で知りなさい。





2024年1月19日 (金) 11:45時点における版

高等学校美術Iでは、高校における美術を学習します。

※ 進学校などの場合の注意

※ 進学高校では、美術2・美術3を履修できない場合もあります。(音楽2・音楽3も同様)

このため、高校によっては、美術1や音楽1や書道1などが高校で最後の芸術の授業になる場合もあります。

本ページはこの事情のため、美術2といった2年生の範囲の内容も扱います。


筆の持ち方

鉛筆の場合、5教科で文字を描くさいに使う普通の持ち方のほかにも、美術では鉛筆・絵筆の持ち方には幾つか他の持ち方もあります。

下記では、主に鉛筆と絵筆の、5教科の持ち方以外で、美術でよくある持ち方を紹介します。

なお、普通の5教科での持ち方も、細かい部分を描くさいには使うこともあるので、5教科の鉛筆の持ち方はこれはこれで美術の持ち方のひとつとして使用しても大丈夫です[1]

なお、下記で紹介する以外にも、ジャンルなどに応じて、いろんな持ち方があります。


習字の太い筆の持ち方とも、絵筆の持ち方は違います。


なお美術では、絵描き事に色々な持ち方があり、べつに持ち方が他の絵描きと違っていても決して「行儀が悪い」とかなりません。なので、人によって描きやすい中指・親指の位置が微妙に違うと思いますので、各自、実際に描く際には下記の持ち方そのものではなく、各自の描きやすい持ち方にアレンジして調節しつつ、使ってください。

中指を添える場合

絵を描くとき、絵筆などの持ち方は、指先の力具合などの加減を正確にするために、中指を人差し指に添える場合もあります。

文字を書く時に良いとされる鉛筆の握り方とは、中指の位置が違っています。


親指の先端を人差し指の根本ちかくにする場合

やや難しい持ち方ですが、親指の先端の位置を変えて、人差し指の半ばほどに親指先端を持ってくる持ち方の方法もあります。

なお、比較として、普通の5教科の持ち方だと親指の先端は人差し指の先端の近くに来ます。


ストロークで変える場合

ほかの持ち方として、筆の先端やエンピツの先端を動かすストロークの長さに応じて、持つ位置を変えることがあります。

専門書でも「ストローク」と言う呼び方をしています[2]

鉛筆の長さが足りない場合は、鉛筆ホルダーで長くできます[3]


細かい部分を描く場合など、先端を短いストロークで動かす場合は、5教科での普通のエンピツの持ち方のように選択近くを持ちます。

一方、筆・エンピツの先端を長いストロークで動かす場合は、先端から少し離れた位置を持ちます。

ストロークの長さに応じて、持つ位置を調整してください。


画風などによって、指先を動かすさいにヒジをどのていど動かすかどうか等、人ごとに違いがあると思います。各自、自分に都合のいいように調節してください。

とりあえず、「ストロークの長さに応じて、筆の持つ位置を変える」という発想があるかないかが重要です。

つまむような持ち方

他の持ち方として、石膏デッサンなどで使うことの多い、つまむような持ち方が、あります。

文字だけでこの持ち方を説明するのは大変に難しいので、授業などで教わるか、あるいはネット検索で調べてください。

絵を描く

学問に王道がないのだとしたら、美術にも王道はないかもしれません。

昔から絵画の勉強、練習には、過去の名画を模写することが良く行われてきました。現代では写真もありますが、写実的な絵は必ずしも写真どおりに描かれているとは限りません。

なぜなら、私たち人間の脳が認識する映像は、じつは目から見た映像情報そのままではない可能性が高い、ということが心理学などの実験などで知られています。心理学の用語ですが、「網膜像」と「知覚像」(perceptual image)という用語があります。我々の眼に映った状態の視界の映像が、「網膜像」です。興味のある場合、これらの用語を調べれば、調査できます。

とはいえ、高校生レベルの基礎的な学習としては、基本は現実の光景、事物を見て絵を描く練習をするのが入門的でしょう。現実を知った上でのアレンジです。

美術史的には、たとえば近代の画家ルノワールと画家セザンヌが、フランスの同じ景色の山を描いた絵の違いが、近代絵画でのそのような印象と写実のちがいの例としては有名です。

セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」
奥の山を大きく描いている。
ルノワール「サント・ヴィクトワール山」
奥の山を小さく描いている。


セザンヌ的な手法、ルノワール的な手法、どちらを使うか目指すか、目的によって使い分けましょう。

古代の美術などでも、わかりやすさを目的に、あえて、写実画からは少し崩した表現をしていると考えられる作品も多々あります[4]。古代ギリシアの彫刻も、一見すると写実的ですが、彫刻男性ならば実際の古代ギリシア人の体格よりも たくましい体の彫刻である場合が多いのが普通です[5]


なお、美術史的には、ピカソがキュビズムを生み出す前からもう、目の前の現実にとらわれないで1枚の絵のなかに色々な角度からの視点を問い入れる表現をすることがセザンヌによって行われていた事の実例でもあります[6][7][8][9]


高校美術とはあまり直接の関係ないですが、心理学の用語で、「大きさの恒常性」(size constancy)という用語があります。たとえば実験するなら、顔の前で腕を伸ばした時を基準にして、腕を曲げて手のひらを(延ばし他ときの基準位置から)半分の位置にすれば、網膜に映る映像での手の幅はおおよそ2倍になるはずですが、しかし人間の心理的な感覚では多少は大きく写っていると感じるものの、2倍ほどは大きく感じられず、結果としてほぼ一定に見えるという心理学の法則が知られています[10]。(美大では研究などではこういう話もしますが。)


このような写実と印象の考えの違いとして、セザンヌあたりの時代にすでに、写真の技術が普及していた背景があります[11]。なお、写真の発明は19世紀[12]の前半です。セザンヌよりも前にモネの時代の美術史で、もうそういった写真と印象派の関係についての分析がなされています[13]

セザンヌなど印象派の人は、写真では取れない、ウソを含んだ分かりやすい絵を追求しています。

必ずしもそれだけが「写真」でない表現ではなく、セザンヌとは別の時代ですが、1枚の絵のなかで遠近が違ってるのにピンボケをしない表現を追求した別の画家もいます。



写実画

ヨハネス・フェルメール『絵画芸術の寓意』(1666〜67年頃)
ウィーン美術史美術館蔵(オーストリア)

美術の世界でいう『写実』とは、「目の前の現実や出来事」といった意味であり[14]、そのため、(貴族や神々といった遠い世界の出来事だけでなく、)労働者や農民の姿を作品に描くことも含みます[15][16]

ですが、少なくとも日本では、写真のような絵を「写実的」ということもあります。美術史の専門書などでも、見たままのような絵のことを「写実的」と言っている場合もあります[17]

古代ギリシアの美術が割と見たまんまの感じに近いので、古代ギリシア美術のような見たままの感じに近い作風を「自然主義」ということもありますが、これも古代ギリシア美術などの文脈に依存します[18]。実際には古代ギリシア美術は、完全にはリアルではなく、たとえば男性の像の彫刻は現実よりも逞しく(たくましく)表現されていたりします。

とりあえず、高校レベルの基礎トレーニングの段階では、なるべく目に見えたままを描くのが、とりあえずは無難でしょうか。

右のフェルメールの絵ですが、昔の画家も、モデルにポーズをとってもらって、それを見ながら描いていた、という様子がよくわかります。


絵の具よりも色鉛筆のほうが写真っぽく描きやすい

なお、20世紀以降の現代で、写真のように精密な絵を描きたい場合、色鉛筆を使うことになるかもしれません。(絵筆と絵の具だと、細かい部分が描けない。)

ですが、高校美術では、授業の時間数の制限的に、色鉛筆画は無理でしょう。

なお、色鉛筆画のプロですら、写真で撮影してから[19][20]、その写真をもとに描いています。トレーシングペーパーで写真をトレースすることもあります[21][22]

高校では、撮影の設備の確保が難しいなどの事情もあるので、授業では色鉛筆画や、そこまでの写実画は、しないでしょう。

なお、動物を撮影する場合は、決してフラッシュ撮影してはいけません。なので、直前に動物以外のもので試し撮りをしましょう。(撮影機器のよっては、周囲の明るさなどによって自動的にフラッシュをするものもあるので、前日だけの試し撮りしても明るさが変わってるので無駄です。必ず、当日の本番直前にも、被写体以外でも試し撮りをしましょう。)

あるいは、カメラ写真の静止画像ではなくビデオ撮影で動画として撮影してしまうのも手かもしれません。この場合も、試し撮りを直前に、動物以外のもので行いましょう。

知識として制作工程の全体像を知っておけば十分です。


風景画の水彩画

下書き

風景画では細かい部分まで描くことも多いので、下書きを鉛筆でうすくするのが普通です。

下書きなしで一発で絵の具の色を塗るなんて、プロ画家ですら無理です。市販の水彩風景画の技法書を見ても、鉛筆で下書きをしています[23]

鉛筆の濃さは、技法書によると B~2B がおすすめらしいです[24]。。

鉛筆が必要ということは消しゴムも当然ながら必要です[25]

普通の消しゴムと、練りゴムの2つを用意しておくと良いでしょう[26]。(石膏デッサンなどで用いる消しゴムと同タイプで十分でしょう。)

なお、下書きの線は、書き終わったら消しゴムで薄くします[27]


その他の画材

学校で買い与えられる画材(絵の具セット)のほかにも、色々な画材をプロは使っています。

刷毛(はけ)、マスキングテープ、スポンジ、歯ブラシ(スパッタリングで使う)、・・・などなど。


「マスキングテープ」とは、粘着力の弱い紙テープの茶色いテープ(なお不透明)です。塗りたくない部分の上に、塗りたくない部分を隠すように貼ります。その上から絵の具のついた筆で塗ることで、テープで覆われた部分を塗らずに保護できる、という道具です。

マスキングテープを買う場合は、画材屋・文房具屋で売ってるタイプのものを買ってください。

ただし、美術室に備品としてマスキングテープが置いてある場合もよくあります[28]。ただし、教師がマスキングテープを使わしてくれるかどうか知りません。

美術室の備品のマスキングテープを使った場合、使い終わったら、もとあった場所に返しましょう。


この「マスキング」という概念は、美術以外でも製造業などでも使うので、覚えてください。

たとえば建築リフォームなどで家にペンキを塗りなおすときも、透明・半透明のビニールシートを張ることで(「養生」(ようじょう)と言う)、マスキングのような処理をしています。ペンキ塗装用のものは「養生シート」、「養生テープ」などと呼んでいます。もちろん、材質は、画材用のとは大きく違います。


コンピュータによるデジタル絵の発達した現代、プロ絵描きの仕事では絵の具を使う仕事は少なくなってしまいましたが、しかマスキングの概念はデジタル絵でも使う可能性がありますので、ぜひ用語を覚えてください。たとえば画像ソフトのフォトショップにも「マスク」「マスキング」などの用語があり、意味も似たような意味で、マスクした部分を塗らないように保護する的な意味です。

なお、マスキングテープは別に水彩画だけに限らず、ポスターカラーなどにも使えます。なので、風景画に限らずポスターなどのデザイン画にもマスキングテープは使えます。


さて、美術の水彩画の話に戻ります。

歯ブラシを生徒が使いまくると美術室が汚れかねないので、授業では禁止されるかもしれません。エプロンも必要になってしまうかもしれませんし。

いちおう、美術室にも刷毛やマスキングテープ、スポンジなどは数個は備品として置いてあるでしょうが、しかし授業中の生徒全員が借してしまうほどの量は無いので、授業では基本的には借りれないかもしれません。


普通科高校レベルの美術なら、いちいち最初から刷毛などを買う必要は無いでしょう。もし必要になりそうだったら、そのときに買えばいいだけです。

そのため、あらかじめ地元の画材屋などを探しておくと良いでしょう。店舗名が画材屋でなく文房具屋の場合もあります。もし大きめの文房具屋があれば、その店が画材屋を兼ねている場合もあります。

マスキングテープは、小型で持ち運びやすいタイプのものが売ってるので、事前に購入して絵の具セットに入れておくのも手かもしれません。

高校では描けないだろうもの

木の葉1枚1枚は無理

自然物などの風景は、完全に実写そのままには、描けません。森林や、川、などです。

だから教科書会社がwebサイトなどで例示に示す風景作品は、もしかしたら京都あたりの街並みの風景などかもしれません。観光地の街並みとか。


森林や街路樹などの風景の場合、たとえば、春・夏の木々の葉っぱを、1枚1枚、書こうとしても無理です。プロの風景画家ですら1枚1枚の葉は無理です。(秋の落ち葉は後述。)


実際、風景画の技法書を見ても、けっして1枚1枚は葉を描いていません[29]

観客の視点から見て、何枚かの葉の密集している塊を、色の塊で表現しているだけです。言葉で説明するのは難しいので、絵の仕事に進みたい人は、実際にその分野のプロの作品を見るのが早いでしょう。


なお,マツなど針葉樹は、ふつうの絵筆では書くのが無理です。ドライ ブラシなどを使うことになり[30]、とても高度な技法です。高校生はあきらめたほうが良いかもしれません(授業時間内に終わらない可能性が大)

マツ、シラカバ、その他針葉樹、これは難しいでしょう。普通の絵筆をつかって描きやすいのは広葉樹っぽい木でしょう。

デジタル絵の場合、もしかしたらそういう針葉樹っぽいブラシ機能のあるソフトウェアもあるかもしれません。しかし、おそらくデジタルでも、針葉樹の葉を1本1本ずつ描くのは無理でしょう。専用のブラシを使うことになるでしょうか。


そもそも、決して写真そのままのように描かなくても、「美術」の「美」のように、観客が見て美しければ良いのです。風景画の場合、風景によっては、写真のように描くのは無理です。

そもそも写真ぽい画像が必要なら、写真そのものを撮影すれば済みます。

なにか写真っぽくない加工を加えるからこそ、絵なわけです。


観客ごとにセンスが違うでしょうが、まあ、美術作品に金を払う人の鑑賞センスを納得させられれば大丈夫でしょう。


そもそも学校の授業で描く場合、授業時間内に描かないといけないので(放課後に残って描くにも限度がある)、決して写真のようには、あまり細かい葉までは描けません。


秋の落ち葉の密集した地面も、全部を描くのは無理なので、手前~半分くらいまでは描くことになるでしょうか。[31]

もっとも、学校では、落ち葉の難しさを見越して、秋には風景画の課題を出さないかもしれません。(石膏デッサンやデザインなどの課題にするかもしれません。)

秋は葉はすぐに落ちてしまい、木の色も形も変わるのが早いので、(写真撮影でもしない限りは)描くのは大変です。


画用紙の白色の活用

水彩画の場合、白色を表現したい場合、なるべく画用紙の白色をそのまま使うのも、手のひとつです。プロですら、木の裏は、画用紙の背景の白色をそのまま使うこともあります[32]

決して、色を塗らない部分があるのは、手抜きでもなければ、未完成でもないのです。


もっとも、プロ作品の木の描写で、青空を背景に、木々の葉が見える構図を描いているプロ作品もありますが[33]、しかし高校生レベルできれいに青空の前の木の上部を描くには、なかなか時間が掛かってしまい難しい構図だと思います。

もしデジタル絵だったらレイヤー機能などのあるソフトならば青空レイヤーの上に木レイヤーとかの合成処理も短時間でパパッと可能かもしれませんが、しかし手書きの水彩画ではレイヤー処理は無理です。


学校美術のように時間の問題がある場合、画風に、ある程度の不自由の妥協せざるを得ない部分もあるでしょう。

木の裏とは別に、木の上空の離れたほうに青空を描くとしても、しかし空のうちの低空の木に近いほうは白色をそのまま使うなどして、妥協せざるを得ないかもしれません(なお、空気遠近法などの表現なども兼ねるので、妥協して低空部分を白くしても問題ない)。低空の部分に色をつけるにしても、低空部はだいぶ色が薄くなり、素人目には無色に近くなります[34]


なお、紅葉などの葉の色の異なる木と木の色は、少しくらいは混ざっても問題ありません。プロの作品もそうです[35]。そもそも水彩画は、そのような色の混ざり具合を楽しむためのものです。

木以外のものがある場合でも同じです。

手前の色の物体と、背景の色が違う場合、手前の色の輪郭線をわずかに色を濃くするなどのテクニックもありますす[36]



川とか池とかの流体・液体

川とか池とかは、授業で描くことは無いでしょう。

ふつうの学校では、学内に川が無いのと、学外でスケッチするにしても安全上の問題があります。(ただし金持ちの私立高校だと、噴水とかあるかもしれませんが。)


もし、こういう液体モノを描くとしたら「流れるものの絵はとても難しい」のだと一般に美術では知られているのを念頭においてください。難しいです。


ネットで出典が見つからなかったので、その出典の書籍を出しますが、昭和の数学者・数学教育者の遠山啓(とおやま ひらく)という有名な人の教育書の著作集に、たまたま美術の話題があって、遠山が子供時代に川か海かの絵に苦戦した経験談があって、同時代の数学者の矢野健太郎が「川とか海とかは描くのが難しいんですよ」的なことを遠山に伝えたという話が遠山の教育書に載っています。

昭和だけだと出典不足なので平成の1990年代の出典を出すと、アニメ映画版の新世紀エヴァンゲリオン旧劇(1997年版)のパンフレットや当時のインタビュー記事などでも、液体の作画の難しさを話しています(映画中に液体の作画がある。ネタバレ防止のため詳細は伏せる)。


さて、水彩画では、水しぶきとかは、色は基本的には白です(影などを薄い青でつける場合もある)。

もしかしたら実際の水しぶきとは少し違うかもしれません。もしかしたら実際の水しぶきは、もっと透明も混ざってたりするのかもしれませんが、しかし労力的(ほか予算など)にそこまで透明で描くのは無理です。


なお、数十時間を描けて描く水彩画のプロですら水しぶきを不透明にしているのですから、ましてやアニメ産業とかの水しぶきはなおさら不透明の白い塊(かたまり)です。

なお、ゲーム産業も基本的には、そういう感じです。ゲーム機では精密な流体シミュレーションとかは出来ません。流体シミュレーションには大型コンピュータ(いわゆる「スパコン」的なもの)などが必要になるので、小型化の要求されるゲーム機では波しぶきとかのシミュレーションは難しいのです(ゲーム機では子供でも持てるサイズですので)。

だから、ゲームソフトの波とか波しぶきとか、じつはデジタルペンなどによる手書きによるパターンアニメだったりします[37]

なお、アニメ映画とかだと作品によっては流体シミュレーションをしてリアルな透明感ある波や水しぶきなどを描いている場合もありますが、その場合に使っているコンピュータは、スパコン的な高性能なコンピュータであり、決して一般の家電量販店にあるような普通のコンピュータではなかったりします。少なくともノートパソコンやタブレットなどだと、無理です(少なくとも西暦2020年の人類の科学力ではそうです)。デスクトップパソコンで何とか可能であり、そのデスクトップの中でも高性能・高価格なパソコンが必要であり、処理には時間も掛かります。

意外かもしれませんが、流体シミュレーションにおいては、ゲームソフトよりも実は一部のアニメ映画のほうが、設備のコンピュータのハード性能的には高性能なのです。

アタリ

順番は
構図 → アタリ[38]

絵を描くさい、決してすぐには書かず、まず構図を決めます。どこからどこまでを描くとか、そういうのを決めます。

たとえば、座ってる人の全身(足のつま先から頭のてっぺんまで)を描こうと思ってたのに、ヒザから上で紙の大きさが限界になったら、困ってしまいます。

なので、基本的には、かならず先に構図を決めます。

しかし、構図を頭の中だけで決めても、本当にその構図で、紙をハミ出ないかなどは、実際に紙の上で確認してみないと分かりません。

絵を描くときに、いきなり描きたいものを本線で描かず、うすめの鉛筆の線で、短時間で下書きのように描くといいでしょう。こういうのを、「アタリ」、「アタリを取る」、などと言います。


アタリを描く段階では、構図が本当に紙に入りきるかの確認なので、細かなデコボコなどは無視して、大まかにシルエットを描きます[39]


下描き、アタリは消す場合も多いですが、そのまま残して、絵画の効果の一部になる場合もあります。

正中線

主に人体で、体を左右に分ける垂直の仮想の線を正中線(せいちゅうせん)と言います。人間や生物を描くときは、この正中線を意識したり、実際に線で描いてみると、自分が描いている絵についての理解や意識が深まっていくと思います。

写生、写実画は、多くの場合大胆に省略、デフォルメされている

もちろん緻密、正確に書くことを目指してもいいし、試してみてもいいと思います。

しかし省略やデフォルメ、現実、事実を超えた表現は、芸術や美術の本領でもあります。

しかし一方写実画では、透視図法は理解しておさえておくのが正確に風景を描くためには重要になります。人間は二つの目で見た二つの光景を、一つの図としてとらえることで外界を見ています。しかも目のレンズのピントがありますから、ある距離の光景がはっきりしている一方、その前後はぼけて見えているはずです。

透視図法はこの世界の空間上のある一点を、人間の片目のレンズの中央として、そこから見た光景をその点の前面にある紙、平面に写し取っています。もちろん二つの目を持つ人間は、二つの光景を見たうえで、一つの図だと考えている訳ですが、これによって、遠近を知ることもできます。近似的には、両目のレンズを結ぶ線分の中点に、視点、世界を見る目のレンズの中心があると考えていいと思います。

人物デッサン画

人物デッサンの描き方の一例を示します。

※ 美術2の範囲内です。教科書会社のwebサイトで確認できます。(ただし、高校によっては、美術2があっても鉛筆デッサンを扱いません。たとえば埼玉県の県立トップ高校の浦和(うらわ)高校では、人物デッサンは3年生の選択科目「美術III」に回されています[40]。)
※ 教科書本体では技法までは説明していないのですが、しかし教科書会社が公開している動画などで技法を説明します。内容はふつうの市販のデッサン技法書にあるようなことの概要です。
※ 高校レベルなので、本ページで紹介する人物デッサンとは、(学生服などの)服を来た人の(エンピツなどでの)写実画のことです。
ふつう、黒などの単色の線で、物の形を表し、陰影をつけることを「デッサン」と言います[41]
なお、美大などでは裸体の写実画のことを「人体デッサン」と言ったりします[42]。人間の体のつくりが人体の表面にどう表れるかを学ぶのが目的なので、裸体を観察しながら描く必要があるからです。
当然ですが、本ページでは、裸体の写実画は紹介しません。普通の高校の美術でも、裸体は扱いません。


ふつう、人物デッサン画では、黒以外の色は塗りません。

人物デッサン画は「写実画」とは異なります。


そもそも教育目的が、人物デッサン画の授業と、写実画の授業では、違います。

デッサンの基本的な目的は、自分がいかに先入観でものを観察していたりして[43]。 、ものを正確に見れてないか、などの見落としを実感するために行うものでもあります[44]

なので基本的には、デッサンでは、なるべく写実的に、実物そっくりに描くのが安全でしょう。

ただし、実際には、立体感を分かりやすくしたりするため等の理由で、少しだけアレンジを加えることもあります。


デッサンは、絵の修正を通して、自分の勘違いを修正する行為でもありますので、基本的には消しゴムも使います[45][46]

デッサン画の目的は、立体感および光と影の位置関係について、上述のように先入観と現実とのちがいの把握が、一般的な目的です。特に石膏(せっこう)デッサンなどで用いる石膏像は、立体感に専念しやすいように白色だけを使った像になっているほどであり、また、鼻の穴などの細部については美術の石膏像では省略された造形になっているほどです。


一方、絵の具などを用いる写実画の目的は、色彩の表現力などが目的です。


必要な道具(最低限の場合)
  • 普通の2B[47]くらいの黒エンピツ
  • 消しゴム(普通ので構いません[48][49]
  • 画用紙またはスケッチブック(これに描きます。説明は省略)

シャープペンシルだと、(画風にも寄りますが)影を塗れないので、エンピツを用意してください。また、シャープペンシルだと画用紙を痛めやすく、消しゴムで線を消しても、ヘコミが残るなどして、危険です。

消しゴムは、ハイライトをつける場合にも使います[50]


美術で使う消しゴムは、角が黒くなってきたら、ハサミなどで黒くなった部分を切ります[51]

※ 参考文献ではカッターナイフで消しゴムを切っている。ただ、高校生には少し危険だと思い、本wikiでは「ハサミ」にアレンジした。消しゴムを切れれば何でもいい。

※ なお、カッターやハサミをどうしても使う場合、多くの中学・高校で、美術室で事前に用意してあると思います[52]。なお、特に出典は無いのですが、社会常識として、多くの職場で、刃物を日常的に使う職場の場合、事前に職場で刃物を用意していることが多くあります。通勤のさいに刃物を持ち歩くと警察沙汰になることが多くあるので、なるべく常識として会社側が備品として仕事で使う刃物を用意しているのです。
※ 備品のカッターやハサミを美術室から借りた場合、使い終わったら、もとあった場所に返却しましょう[53]。これは美術以外の分野でも社会常識で、会社などで備品を借りる時でも常識です。

さて学校で「練り消しゴム」を買わされる場合、おそらくカッターなど刃物を使わせたくないので、「校内の美術では練り消しを使え」という意味でしょうか。

なお、呼び方は「練り消しゴム」でも「練り消し」でも[54]、どちらでも良い。

教科書会社の光村書店のサイトでは「練りゴム」と呼んでいました。


生徒側は用意する必要は無いですが、

  • 画用紙を置くナナメ台(なお「イーゼル」という)

が必要です。美術室に置いてあります。それを使えば十分です。


生徒側がそろえるものとしては、できれば、さらに

  • 濃い鉛筆 3B~6Bなど
  • 薄い鉛筆 HまたはHBまたは2Hや3hなどのHなんとか など

があれば、さらに便利です。

※ 教科書会社の動画では、そこまで説明していない。おそらく、あまり費用の負担をさせたくないのだろう。


全部そろえるのは大変だし、持ち運びも不便だし、カネもかかるので、5教科用の鉛筆のほかの鉛筆としては、濃い鉛筆2本、うすい鉛筆2本、くらいの4~6本くらいもあれば、高校レベルとしては十分でしょう。

ある本では、「4Hから6Bまでの間で、濃さの異なる4~5本を用意する」とあります[55]

本格的にやるなら(授業レベルでは不要でしょうが)、筆箱を、普通の鉛筆の筆箱とは別にも用意したほうが良いかもしれません。

仕上げなどは、強い筆圧で書くのではなく、濃い鉛筆で書くようにしたほうが安全です。

強い筆圧で書いてしまうと、紙を痛めやすくなります。


  • (許可があれば)ティッシュなど

影をこする場合に、ティッシュ[56]や、綿棒またはガーゼなどを使います。価格がいちばん安いのがティッシュでしょうか。ただし、高校の授業レベルでは、ゴミ防止などの理由で、ティッシュ・綿棒。ガーゼなどの使用が禁止されるかもしれません。ガーゼは薬局などで購入した一般のもので大丈夫です[57]


なお、自分の指でこすっても大丈夫です[58]

こすらなくても問題ありません。ただし、教員などの提出された画用紙の持ち運びなどの際、勝手にこすれると思います。

筆圧

鉛筆デッサンでは、筆圧はかならず、弱く書かないといけません。

なぜなら、もし強い筆圧で書いてしまうと、画用紙をヘコませてしまうので、消しゴムで消しても、影などを塗る際にヘコみのせいで、ヘコミの部分だけ影がつかなくなってしまいます。特にシャープペンシルを使うと筆圧が強くなりやすいので、シャープペンシルは使わないのが安全です。

教科書会社の動画でも、鉛筆で書いています。なお、鉛筆をナナメに寝かすような角度で書いています。このほうが広い範囲を弱い力で安定的に描けるので、デッサンでは、よく使われる持ち方です。


作業の流れ

デッサンの完成品では目立たない線ですが、じつは、デッサンの描き始めの段階で、プロの美術家でも、線画のようなもので人体のシルエットのようなもの(「アタリ」という)を描いています[59][60]

※ なお、教科書会社のサイトでは「アタリ」という用語は用いていません。

アタリを取らない流儀もありますが(いきなり影を塗り始める方法もあったりする)、しかし美大受験デッサン(3時間ていど)や高校の授業時間内などの短時間で書く場合、アタリが必要になるでしょう。本ページ・本セクションでは、アタリを取る流儀で説明します。多くのデッサン入門書でも、アタリを取る流儀で説明しています。


アタリは、決して頭の中だけで構図を決めたままで終わりにするのではなく、実際に鉛筆でアタリの線を紙の上で書いて確認することまでが、「アタリ」です[61]

構図が紙からハミ出ないかなどの確認や、構図のとおりのポーズで本当にかっこいいかの確認なので、細かなデコボコは無視して、大まかなシルエットを描きます。


指などは、(時間の節約のためか、)決して1本1本は、描けません[62]。野球グローブや料理ミトンのように、指全体の大まかなシルエットを取るようになるでしょうか。


ただし、手足の長さや、胴体の長さや、首の長さや頭の長さは、なるべく正確にとる必要があります。

同様、手足の太さ、胴体の太さ、首の太さ、頭の太さも、正確にとる必要があります。


作品づくりの作業のほとんどを、(エンピツで)塗り、修正、塗りなおし などに配分すると、いいようです。

なお、ここでいう「塗り」は、黒エンピツで影などをつけることです。

※ 説明の都合上「塗る」と書きましたが、しかしサンズイ(部首の「シ」)がありますが、しかしデッサンでは水彩絵の具は使いません。水彩も油彩も、とにかく絵の具も塗料も、デッサンでは使いません。基本は黒色エンピツです。色エンピツも使いません。
※ 鉛筆デッサンの専門書でも、影つけのことを「塗る」と表現しています[63]

先に全身のバランスを押さえてから、あとで細部を作っていきます。

人物画のアタリ

人物デッサン画を描く場合、シャープペンシルは使わないようにするのが常識です。なぜならシャープペンシルを使うと、画用紙がヘコんでしまいます。

デッサン画を描く時、普通はグラファイト鉛筆(ごく普通の鉛筆です)を使います。

高校レベルのデッサンでは、消しゴムを使って何度も修正して消すので、普通の鉛筆で書かなければいけないでしょう。(一発書きは、決して教育目的ではありません。もし一発書き・短時間での描写が目的なら「クロッキー」などの別の用語で呼びます。)


まず、アタリを取ります。

アタリとは、うすく、輪郭のシルエットのようなものを描くことです。

美術デッサンのアタリでは、薄く描くため、鉛筆を寝かして描くのが普通です[64][65]

鉛筆を寝かせることで線がやや太くなりますが、美術デッサンとしては問題ありません。(ただし、マンガやアニメのアタリとしては不適。マンガ・アニメは本ページの範囲外なので、説明は深入りしない。)


美術デッサンの場合、アタリの段階では、あまり顔の目・鼻・口に深入りしません[66][67]

シルエットが大まかにとれていれば十分です。

服のシワは、アタリの段階では取らなくて大丈夫です。よほど大きなシワや、目立つカゲでない限り、アタリの段階では不要です。

上半身シャツや下半身ズボンの境目など、目立つなら、アタリでも描いても大丈夫でしょう[68][69]

目立つ服のシワや影の書き込みなど

アタリの段階では、服のシワなどは無視したので、

次に、本当にシワなどを書き込んでも問題ない程度には正確にアタリが取れているかの確認もこめて、

目立つシワや、目立つ大きな影などを、描いてみます [70]


ほか、手の指も、アタリの段階では省略したので、この段階では、

指も実際に見える指をすべてシルエットを書いてみて、問題ないことを確認します[71]

アタリとその後のこの調整の段階で、写真のように完全に正確に描くのは、プロでも無理です。プロですら、つじつま合わせをします[72]。ポーズやプロポーションなどの大きな流れが崩れてさえいけなれば、とりあえずは、つじつま合わせとしては、良いのです。

影をつけ始める

ある程度、全身のアタリを取ったり調整をしたら、次に、影になる部位をうすめに黒く塗りにいく。

本当に影を塗っても問題ないかを確認する必要もあるため、実際に影を塗ってみて、確認するしかない。

ただし、あとから修正するので、うすく塗っていく。


このカゲを描くさいに使うエンピツはもちろん、普通の黒エンピツでなければならない。

決して、色鉛筆用の特殊な黒エンピツを使ってはならない。

影を描くさい、鉛筆の先端部をすこし寝かして紙にコスつけることで[73]、うすく広く、影をつけられるので、このテクニックを使って影をつけていくのが良い。(シャープペンシルだと、これが不可能。無理やりシャープペンシルでやると、芯が折れる。)


また、なるべく始めは、全身の各部位にある影部をバランスよく、黒く塗っていく。

もし、影をもっと濃くしたい場合は、けっして強く描くのではなく、濃い鉛筆に持ち替えます[74]


とにかく、実際に影部を黒く塗ってみて、もし違和感を感じた部分は、消しゴムで修正していきましょう。

影の大きさや位置を調整したり、場合によってはアタリで引いた線を引きなおします。

違和感を感じにくくなるまで、修正を繰り返します。


その後の調整

所要時間と書き方

その絵を作るのに投ずる時間によって、描き方は、変わってきます[75]

高校の場合、授業では4~6時間ていど、放課後に居残りをしても、せいぜいプラス3時間程度でしょうか。

国語・数学・英語・理科・社会など他の科目の勉強をす必要もあるし、絵の練習をするにしてもデッサン以外にも色々な練習があります。

(なお、美大受験でもデッサン受験をする場合は、時間の相場は3時間程度[76]のデッサンです)


授業の4時間ていどで仕上げる絵を描く場合、基本的には、週刊マンガ家やアニメーターのように、線画でアタリを取ることになるかと思います。

デッサンの専門書でも、1時間でデッサンを描く場合には、線画でアタリを取っています[77]。ただし美術のデッサンでは、決してアニメーターのように太さの細かい線で描く必要はありません。


後戻りをする時間が無い場合は、アタリ線を重視します。



各論

黒い服、白いYシャツの影を書く場合

黒い服

黒い服、制服の鉛筆デッサン。→黒いものに影つけするのが難しい。

対策案1:  濃く黒く見える部分を、「灰色だ」と思って描く。つまり、実物よりも薄い色として描く。
対策案2:  または、先に影になる部分を描いてから、そのあと、画用紙上での服の色を決める。つまり、あたかも、モデル役を「実物大の石膏デッサン人形」(デッサン用模型は白色であるのが通常)みたいな白色の人形だと思って描く。そして影を描き終わってから、服の色などを着色していく。
白いYシャツ

白いシャツの鉛筆デッサン。→紙も白いから、どう描くか混乱する。

対策案手順

1: とりあえず、Yシャツの輪郭線を、うすくエンピツで線を描いてしまおう[78]
2: 次にとりあえず、Yシャツで影になってて暗くなってて目立つ部分などは、エンピツで(うすく)灰色っぽく塗る[79]
3: そのあと、Yシャツの表現をどうするか、考えよう。

「うすく」と書いた理由は、黒色のズボンを、やや うすめ の灰色で描く場合、それと合わせるため、Yシャツの白色の輪郭や影の色を、調節する必要があるからですね。

法的な問題

※ 中高の美術の検定教科書には法的な話が無いですが、しかし実際に21世紀の中学の美術の教育現場では著作権などの指導もされています[80]


モデル生徒のプライバシーなどの問題

21世紀のネット普及以降の時代では、モデルになる生徒の側のプライバシーの都合のため、服を来た同級生をモデルにしたデッサンはしないかもしれません。なぜなら、ネットなどに同級生をモデルにした絵が転載されてしまうと、簡単には消せなくなってしまいます(消すには裁判などの手間が掛かる)。なお、デッサン画に限らず水彩などの写実画でも同様、人物を描く場合には権利問題はあります。

プライバシーや肖像権などの問題です。

就職活動や推薦入試などで学外の人に見せることになる場合もあるので、もし同級生などをモデルにしたデッサンだと、肖像権などの問題が発生するからです。

このように21世紀の現代では、モデルの生徒のプライバシーや肖像権なども考える必要があります。こういう権利的な問題を予防するため、現代の高校デッサンの授業では、代わりに美術用の石膏像の胸像のデッサンをすることになるかもしれません。いわゆる「石膏デッサン」です。

普通の高校では、いちいちモデル役の大人なんて雇いませんし、財政難の日本の公立高校では雇えません。


石膏デッサンだと、写実的な顔は石膏像では書けません。そもそも細部を省略しているのが石膏像です(立体感を把握するのが目的なので、細部の凹凸(おうとつ)は省略している)。


なお、石膏デッサンの目的は、立体感の把握もあるので、デッサンの際には、描くだけでなく、加えて、時々いろんな角度で石膏像を観察しましょう[81]


なので、デッサンの単元とは別の授業で、写実的な顔を練習することになるかもしれません。たとえば別の単元で、芸能人・俳優などの写真を使って、模写をすることになるかもしれません。当然ですが、芸能人・俳優などは高校に呼べませんので、写真を模写するしかありません。

さらに小中学校の美術や図工などで同級生の顔の似顔絵を描かされたでしょうから、その経験も上乗せすることになるでしょう。

最終的に人物デッサンをする場合、石膏デッサンで身に着けた立体感の上に、写真模写で身に着けた表現力と、その他の美術の経験を載せることになるでしょうか。


高校美術の一般的な石膏像は、肩・首元から上くらいしか、ありません。それ以下は、石膏像では練習できません。必要なら、ご自身で工夫して、写真などで肩から下は練習してください。


あるいは、自分の顔のデッサンなら、自由に公開しても、他人に見せても(たとえば推薦入試などの自己アピールで見せたり)、権利的には自己責任なので問題ありません。ただし、もし問題が起きても自分で対処する必要ありますが。推薦入試や就職活動などの非公表の自己アピール以外の場所では、自分の顔のデッサンなどは決してネットなどでは公開しないのが安全です。


なお、模写で「個性が失われるのでは?」という不安がよくありますが、しかし、模写をしても個性は大丈夫です。模写をしても個性は失われないと欧米のデッサン技法書などでも述べられています[82]。そもそも、欧米のデッサン技法書でも「まったく独創的なものなどありません。人のすることはすべて、組み合わさりながら新しいものを次々につくっていくのです」と言われています[83]

また、もし自分の作品にそれほど奇抜さや斬新さが無くとも、それはそれで使い道によっては、才能の一種です。なぜなら「普通」な作品とは、世の中で一番数が多い層に向けてモノを作っていることになるからです[84]


もうひとつ、既存のジャンルや定番の表現手法を知らずに(あるいはそれらを無視して)全くの独自の発想で作品を作っても、観客にとっては作り手との共通認識が不足することになるので、そのため観客がその作品を理解できなくなってしまい、そのため単に奇異な絵としか観客の目には見えない作品になってしまう、という結果になりがちです[85]

わざとそういった理解困難な作品を書きたいなら別にそうすればよいでしょうが、しかし多くの絵描きの目指す方向性は違うだろうと思います。

自分初の独自性・個性は、多すぎてもダメなのです(なぜなら相手に伝わらなくなるので)。いっぽう、独自性・個性が少なすぎても、アートや作家としては問題でしょうが(ジャンルにも寄る。下請け仕事で絵を書く場合なら、少な目でも良い場合も多い)。ジャンルや仕事の種類などに合わせて、うまく、作品内における独自性・個性の分量を調整しましょう。

模写の販売は禁止

なお、俳優・有名人などの写真を模写で描いた場合でも、決して販売してはいけません。なぜなら、モデルの肖像権のほか、さらにカメラマンの著作権があるからです。

「絵を販売しよう」という高校生は少ないと思いますが、法律の勉強も兼ねて、念のため、解説します。


まず、検定教科書にある偉人の写真ですら、20世紀後半まで生きた偉人については著作権が2020年になっても残っている場合も多いので、注意する必要があります。


もっとも、販売しないなら、学習用に模写して、学内や関係者などにだけ公開する程度なら、さすがに大丈夫だと思います。日本の著作権法にも、例外規定として、学校教育などの教育目的では模倣が法的に許されているし、海外でもアメリカでは「フェアユース」などの概念もあります。

しかし、有料で販売してしまうと、そういう例外規定を逸脱していて脱法的、あるいは単に違法な悪事として見なされ、損害賠償などを要求されかねません。

とにかく、法律がよく分からなけば、他人の写真などの模写については、権利者の許可が無い限りは、販売しなければ良いだけです。


人物画に限らず、たとえば過去の名画などの模写などをする授業もあるかもしれませんが、その場合も基本的には、手本にした作品の著作権がまだ切れていないものは、販売は禁止です。

また、模写した作品を公開する場合は、手本にした作品・作家の名前をきちんと紹介しましょう。引用のルールと同じようなものです。

もっとも、授業で模写をする場合は、美術教師から、手本にした作品名・作家名を明記するように指導されるでしょうから、教員の指示に従って明記すれば大丈夫でしょう。


このように、2020年以降の現代では、模写などの著作権や、デッサンモデルのプライバシーや肖像権などの権利問題にも、配慮して絵を描いたりする必要があります。


余談: 近代では模写の仕事があった

なお、中世や近代などの印刷技術が未熟だった時代は、ヨーロッパ各国で画学生が模写を販売していた時代もあります。中世・近代の当時はカラープリンタどころかカラー写真そのものが無かったので、模写の仕事に需要があったからです。

ですが、カラー写真の普及した20世紀後半以降・21世紀および今後の21世紀以降では事情が違います。もし現代で仕事などで模写が許可される場合は、「模写」と言う呼び名ではないかもしれず、たとえば「複製」依頼などと呼ばれるかもしれません。

ともかく、21世紀の現代では、学生レベルでは模写は販売しないのが安全です。

映像作品・小説イラストなどの模写の配慮事項
ネタバレ防止の必要性

デッサン画ではないですが、無料の公開であっても、マンガ絵・アニメ絵や小説などの挿し絵については、物語のネタバレなどになる危険もあるので、模写を公開するには、そういうのにも配慮が必要です。なので、どうしてもマンガ絵や小説挿し絵の模写を公開したい場合、なるべく序盤のほうだけ公開にするのが安全です。

実写映画などのワンシーンの模写も同様、序盤だけにするのが安全です。

また、基本的に他人の作品の模写なので、販売は禁止です。


二次創作の禁止

学校教育での創作活動では、基本的に二次創作は禁止です[86]。権利問題など、いろいろな事情があります。

※ 参考文献は文芸部での小説の二次創作禁止の話ですが、美術部でも似たようなものでしょう。部活でない美術の授業でも同じでしょう。

例外的に二次創作の認められる作品もあるかもしれませんが、少なくとも、著作権の切れてない作品については、二次創作は学校では基本的に禁止だと思ったほうが安全でしょう。

※ ただし、初音ミクとか情報科目や音楽の教科書でも紹介してるので、販売メーカーが二次創作を許可してるので、もしかしたら学校でも認められる可能性があるかもしれません。しかし、個別の作品・キャラクターに関する話題になるので、美術科目としては、これ以上は深入りしない。


原作者やその企業などが公式に許可していない限り、著作権の切れてない作品については、二次創作をしないのが学校でのルール・マナーです。

原作者が公式に許可している場合でも、ライセンス条件など公式サイトにあるので、ライセンス条件をきちんと読んで理解して、その上で二次創作をしましょう。

中学教育の振り返り

中学校で、多くの読者は、スケッチとは別の単元で、鉛筆と消しゴムだけで、写実的に見たものを書く単元があったと思います。体育館履きなどを書いたり、筆箱などを書いたり、あるいは利き腕でないほうの手を書いたり、・・・そういった単元です。

中学教育では、あの単元が、初歩的な鉛筆デッサンとして扱われています[87]

というか、中学でも「デッサン」という単語を使い、そういう絵を描けと課題を出しています。

ただし、中学の段階では、あまり細かいテクニックは教えていないと思いますが。

もちろん、中学でのデッサンの目的も、形をとらえる能力の向上が目的です[88]

デザインとアートの違い

デザインとアートは違います。デザインは自己表現ではありません。教科書会社のサイトにある動画でも、そう言っています[89]

デザインは問題解決のために、観客に分かりやすく、観客が楽しめるように絵を交えて説明する絵画作品のことです[90]

なお、美術科目だけでなく、情報科目の情報1の単元『情報デザイン』でも、似たようなことを習います

なお、デザインする仕事の人のことを「デザイナー」と言います。


ともかく、デザイナーは作品で情報が分かりやすく伝わらないと意味ないので、なので普通の人の気持ちもある程度は分からないといけません[91]


デザインでは普通、一発勝負はありません。

デザインでは、取引先や制作チームなどと協力して、試作品(プロトタイプ)を作って、それをつかってユーザーにテストしていくなどして改善していくプロセスによって、作品を作り上げていきます[92]。デザインでいう「試行錯誤」とはそういう意味です。


美大のデザイン学科と再受験

絵描きの仕事の志望者にとって、『デザイン』という言葉の意味を知ることが重要な理由のひとつとして、仮に美大を志望する際の学科選びに関わってきます。美大の「デザイン学科」とか学科内コースなどの「グラフィックデザイン専攻」とかはそういう意味ですので。

世間には「デザイン」という言葉の意味を誤解して、「なんだか20世紀後半以降のポップアートのような画風・作風だろう」と勘違いする人がいます。たとえばラッセン(クリスチャン・ラッセン)の絵みたいなのと勘違いする人がいるのです。あるいは、「わたせ せいぞう」みたいな、なんかマンガ絵っぽいオシャレ感のある絵とか。

しかし、「デザイン」とは、断じてそういう意味ではありません。

もしラッセンや「わたせ せいぞう」みたいなのと勘違いして美大の「デザイン学科」に進学してしまうと、目的のジャンルの絵の練習・勉強をするために転学科する羽目になって学費が余計に(私大なら少なくとも1年あたり100万円以上も)掛かったり、最悪、自主退学して再受験する羽目になってしまいます。

美大とかをロクに調べたことないイラストレーターさんとかが「デザインの定義なんて知らなくていい。それより絵を練習しろ。」とか言う人もいるかもしれませんが、しかし上述のような美大生の転学科などの手間の実例を知らない人のいう知ったかぶりなので、相手しないほうがイイです。そういう人が出世しているジャンルの業界は、もうその業界そのものの知的水準に欠陥があるので、そっと界隈から離れましょう。

だいたい、書道だと、単に字をうまく書く練習だけでなく、古典文学を勉強したりする事もあります。あるイラスト業界のイラスト会社が座学的なことを勉強しなくていいからと言って(そういう業界もあるのでしょう)、別の会社、別の業界までそうだとか、決めつける人はちょっと困りものです。


ともかく、美大ごとに、どういう意味で「デザイン」と言う言葉を使っていか異なる可能性もあるので、詳しくはそれぞれの美大についてパンフレットやらオープンキャンパスなどで調べてください。

あるいは、もしアナタが今が経済的に貧しくてオープンキャンパスに行けないなら、そもそも芸術家を将来の収入を得る職業として志望する進路そのものを考え直したほうが良いと思います。

美大・音大とか目指して3浪とか多浪する計画を立てたりして「浪人の困難にくじけず努力なワタシ! 自分かっこいい!!」とか自己陶酔できるカネと時間があるなら、私大あたりのオープンキャンパスに行く交通費のカネくらい捻出(ねんしゅつ)できるでしょう。もし捻出できないなら、足りないのはカネではなく、アナタの知能とかメタ認知とかの不足だと思いますので、まずは自身の情操を何とか生きていけるレベルにまで認知を発達させるのが優先でしょう。


日本では昭和の頃、服飾業界での『ファッション・デザイン』などの語とともに「デザイン」という単語が普及した経緯もあるので、どうも『デザイン』と言う言葉を、なんか昭和の戦後の頃に勃興した画風の総称だろうと誤解する人がいるのですが、まったく意味が違います。

そう勘違いしたまま美大受験浪人とかを3年やそれ以上も繰り返してしまうと、ちょっと人生で時間と金をかなり年単位で遠回りしてしまい、百万円単位でお金が飛びかねないので、昭和の時代なら勘違いするのはともかく、令和になってまで勘違いし続けるのは、さすがに直しましょう。


ただ、「デザイン」と言う言葉がまったくポップアートみたいな文化とも言えなくもない業界もあります。生け花とか華道とか知ってる人だと「フラワーデザイン」とか言う単語を知っているかもしれません。

このフラワーデザインとは、なんか西洋の花を、なんか明るく飾り立てたりするジャンルの芸通です。

なので、一般的な華道とかと違って、「わびさび」とか、フラワーデザインは基本、目指していません。

なお、海外ではフローラルデザイン(floral design)と言う。フラワーデザインは和製英語。


このように、カタカナの「デザイン」という単語が外来語である以上、英単語 design の本来の辞書的な和訳の「設計」「意匠」「構想」などの意味とは別に、海外文化の文脈も日本の外来語「デザイン」という単語には含まれることになります。

このように外来語としての「デザイン」という単語は、多義語です。

あまり和服とかの造形をファッションデザインとは言いません。同様、日本のボタン(牡丹)とかシャクナゲ(石楠花)とかの草花を和室っぽい場所にわびさびを感じさせるように飾ることをフラワーデザインとも言いません。

ともかく、芸術系の学校に進学する場合は、カリキュラム(教育課程)などをきちんと調べてください。「デザイン」のように同じ言葉でも学校や学科ごとに別々の意味で使っている可能性もあるので、進学志望校のカリキュラムの具体的な内容を調べておく必要があります。何らかの方法でカリキュラムを具体的に調べて下さい。



光源

通常、光は上にあるから、上側にあるものほど明るい。

いっぽう、暗いところで顔の下から上に向かって懐中電灯を照らしたりして、面白がる時がありますよね。あのように、暗い夜道などで、懐中電灯を顔の下から上に向かって照らしたような場合、顔の下側のほうが明るい。

光源が上にある場合の人物画を書く場合でも、「顔のアゴ下だから暗い」と考えるよりも、「アゴ下はヘコんでるので、そこに光がほとんど差し込まないので、アゴ下は暗くなりやすい」などととらえた方が、光源と対象の見え方の理解が深まると思います。


反射光

※ 普通のデッサンの入門書の多くで、光源と反射光の説明がされます。
よく、テーブルの上に置かれた、白いボール(バレーボールみたいな奴でミゾなしの美術用ボール)または卵などで、入門書では説明されます。


では、ボールを黒鉛筆だけでデッサンした場合を考えます。

机の上にボールがあるとしましょう。光源は、校内なら、美術室の天井にある照明、または屋外なら自然光だとしても、どちらにしても、ボールよりも上方にあります。このため、ボールの下側は、基本的には暗めになります。


さて、先入観では、ボールの各部の明るさについて、光源の上層部から遠いほど暗いと思いがちです。

しかし、じつは、反射光があるので、意外とボールの下部は(やや)明るいです。

光源の位置によって変わるので一概には言えませんが、たとえば下側1~20%部分よりも、下側 20~40% 前後あたりのほうが暗い[93][94]、なんてこともありえます。(反射光などの影響による)


デッサンの専門書でも、よく反射光が解説されますん[95][96]

反射光は、あくまで影の中の光なので、決して明るく描き過ぎないように気をつけてください[97]


反射光は、けっして古典的な美術だけの概念でなく、3Dコンピュータ・グラフィックスなど現代のテクノロジー的なイラストでも通用する理屈なので、反射光についてはぜひ、覚えておきましょう。


なお、ボールと地面の接地する部分は、とても暗くなります。おそらく、接地部が一番くらいでしょう[98](光源や環境にも寄る)。


路地裏の小道など、なぜか、小道でない日陰側の建物の横道よりも暗いと感じたことはないでしょうか?


その他

  • 光と影

たとえばリンゴの模型をもとにデッサンをする場合、光源の側に近い面は、明るくなってるし、逆に、その反対側の面は、影になってる。

人体では、次のような部位どうしが、光と影で逆関係に対応しやすい。

・ <頭の上部(髪の生える部分)> .対. <アゴの下>
・ <肩の上、うでの付け根> .対. <ワキの下>
・ <女性の乳房の上側(乳頭から上の面)> .対. <女性の乳房の下側(乳頭から下の面)>

こうなる理由は、重力方向的な上下関係の対応のほかに、球面に対してへっこんでいるという対応もしているからだろう。(乳房だけでは、乳房の上下とも球体的だが、しかし胴と組み合わせると、乳房が重力によって下方向に引っ張られるので、乳房の下側の面は、胴と乳房にハサまれてへっこんでいるし、逆に乳房の上側の面は、肩の前面から乳房にかけてのラインが平坦になりやすい。)


ワキの下の影をぬってる時、ついつい影を大きめに描いてしまいがちである。

1: 人体の輪郭を描いた上に、
2: その輪郭の描かれた絵の上に、つづけて影を描く、

このような手順で描くと、そうなりやすい。

そこで、

1: 人体の輪郭を描いた上に、(※ ここまでは前述の手順と同じ)
2: その輪郭の絵の上に、実物モデルを見て、光と影の対応場所を観察することで、 明るく照らされている人体部位 および 影になる部位 を、それぞれ探す。
3: そして影を描く際には、決して、明るくなっている部位には「影」が入り込まないように注意しながら、影を描く、

のように描くことをお勧めします。

その他、もし描画対象の人物が椅子にすわっているなら、いすの面に触れてる部分の付近は(たとえば尻および、尻から太ももの下側)、光が差し込みにくく、よって影になりやすい。

また、このように座っている場合、

・ ヒザの表側 .対. ヒザの裏側

は、明暗が対応しやすい。

服を着ている人物デッサンでは、胴体の隆起の他に、さらに衣服の隆起が加わる絵を描くことになるので、もっと複雑な絵になるので、とにかく実物を観察して、うまく工夫して描きましょう。

また、室内照明の場合、たいてい光源は決して一点ではなく、天井全体に蛍光灯などが分散的に配置されており、光源は天井全体に一面に広がっている。1つのある光源では光が差し込まずに影になる部分でも、他の別の光源による光が差し込み、影はつきづらい上複雑に、とらえにくくなります。

その他

空気遠近法などの技法について、『中学校美術/美術2・3下』に解説があります。

デザイン画、および集団作業

正面図と側面図

ウルトラマンに出てくる怪獣など、空想上の生き物の着ぐるみを、もし新しく怪獣を考えて作るときは、考えた形を絵でデザインしてスタッフに説明する必要があります。

目的は、着ぐるみなどの実物をつくることですので、正面図だけでなく、側面図など別方向から見た図も必要になります。正面図だけでは、正面からは見えない部分の形が分からないからです。

側面図のかわりに背面図を書く場合もあります。また、正面図と側面図と背面図の3つを描く場合もあります。

いっぽう、上面図は、描かない場合も多いです。映像作品の着ぐるみなどの場合、正面図と側面図があれば、そこから形が分かる場合が多いのです。

また、こういった集団作業用デザイン画では、デザインの第一段階では色は塗らない(ぬらない)のが普通です。当面の目的は、形のデザインですので、輪郭線などの線を目立ちやすくする必要があります。影も、つけないのが普通です。

このように、集団作業のデザインでは、特に空想の生き物をデザインする場合、普通のイラストとは描き方がちがいます。集団作業用のデザイン画では、少なくとも2方向(たとえば正面図と側面図)が必要になる場合が多くあります。

アニメ風に描かれたキャラクター設定画の例(色つき)
作者 Danny Choo
このデザイン画では、全身像として正面図と背面図を描いている。※「色トレス」とは,線画の線に色がついている物ですね。
※ 絵だけでは分かりづらい場合、デザインに重ならない位置に、文章で短く、たとえば「手の形は○○にする」などのコメントを追加したりして、明確に指定する場合もあります。目的は、絵だけで表現することではないのです。目的は、制作スタッフどうしで共通認識を作ることですので、もし目的のために必要ならコメントも追加します。
※ なお、アニメと製造業では「三面図」の意味が違います。アニメでいう「三面図」はキャラ絵の場合、正面 ・ 後ろ姿 ・ 側面 の合計3面です。しかし製造業でいう「三面図」は、正面・側面・上面です。
正面図と側面図
※ 集団作業とは別に、彫刻を木彫り(きぼり)や石彫り(いしぼり)でつくるときも、彫られる(直方体の)木や石に、実物大で正面図と側面図を描きます。その図を参考に、彫っていきます。
CGを制作する時も、多くの場合正面図と側面図を描いて、その画像を参考に各部分を入力していきます。

余談:ペンキ塗装

ペンキ塗装や板金塗装について(「美術」からは少し外れますが、過去の経緯上掲載します)

建築物で外壁の板金にペンキ塗装をしてある家庭が多い。ペンキ塗装する本来の目的は、サビなどの腐食を防ぐ事が、おもな目的である。

建築物で外壁の板金にペンキ塗装する時は、色のついた顔料の他にも、「上塗り」(うわぬり)および「下塗り」(したぬり)として樹脂製の塗料を塗っている。

ペンキで、外壁などに色をつける目的のひとつは、サビを防ぐための効果のある上塗り剤(うわぬりざい)・下塗り剤(したぬりざい)が年月の経過による劣化で落ちかけている場合に、目視で劣化を確認しやすくするための手段でもある。

一般的なペンキ塗装では、色のついた塗料を塗る工程の前後に、まず色塗りの前の工程として、ペンキの付着を向上するため及び(および)耐腐食性をあげるための下塗り(したぬり)をしており、また、色塗りの後の工程としてペンキが風雨で落ちないようにするため及び耐腐食性を上げるための上塗り(うわぬり)をしており、この下塗りと上塗りによって、耐腐食性を上げている。


作品の安全性・合法性

作家が事前に、作品の安全性などを判断するのは、必要な事です。

たとえば、立体造形物を作る場合は、事故が起きないよう、十分な注意をしたい。 形状のとがった部分があれば、とがった部分で目を刺したりなどの事故をしないように、対策する必要があるでしょう。 万が一、とがった部分をつくらないといけない場合でも、やわらかい材質でつくるとか、先端を丸めておくとかの、対策をほどこす事が望ましいですね。

他の例としては、たとえばイスをつくるなら、そのイスは、けっして、座っただけで壊れてはいけないでしょう。人間が座ったり乗ったりするものは、普通の使い方では壊れないように、頑丈(がんじょう)に制作しておく必要があります。そのため、事前に、自分が使っても壊れない事を確認する必要がありますよね。

もし、こういう安全対策を行わなかった結果として、観客などが、その作品でケガをすると、治療費などとして、作家側は多額の損害賠償を請求されたり、または刑事罰を受ける場合があります。

作品の安全性には配慮が求められています。

美術作品、娯楽作品の鑑賞

有料、無料、作品の対価

古い作品

「プロパガンダ美術」とは

芸術作品は、宣伝広告でもあります。なぜなら、芸術作品をつくるには、お金が掛かります。特に映画やアニメーションなどの映像のうごく作品は、制作に数億円の資金が必要になる場合も多くあります。

画家の芸術活動ですら、たとえ消費者や企業からお金を受け取っていない人だとしても、その作家が自身の思想信条を宣伝するために、作品を作っているのです。

また、中世キリスト教の宗教芸術の作品のように、そもそも、その宗教の宣伝を目的とした作品もあります。

企業でなく国家の宣伝をするために、作品を作る場合もあります。戦争中の絵画や音楽などの作品が分かりやすい例ですが、国家が宣伝するのは、なにも戦時中だけに限りません。


国家が宣伝のために作る作品を、「プロパガンダ芸術[99]や「プロパガンダ美術」のように言います。

ふつう、支配的な政府が、宣伝の目的でつくる作品のことをプロパガンダと言い、たとえばソビエト連邦などが作ったポスターなどにそういう例が多々あります。

ポスターの形で提示されることも多く、宣伝(プロパガンダ)目的のポスターのことをプロパガンダ・ポスターとも言い、たとえば1943年の戦争での空襲に立ち向かう市民の絵を描いたソ連のポスターもあります[100]

この時代のソ連は戦争(第二次世界大戦)を始めた側ではないですが(ソ連は連合国の一国。戦争を始めたのは枢軸国(すうじくこく)の日独伊の側)、それであっても、国家などによる宣伝目的の作品のことを「プロパガンダ」と言います。

なお、政府などを批判する絵画は「風刺画」(ふうしが)と言います。

(※ ある時点では政府批判の風刺画であっても、時間が経って政権が変われば、その新政権にとっては以前の風刺画が都合のいい宣伝になる場合もありますが(新政権が旧政権を打倒した場合など)、しかしそういうのは本ページでは議論せずに置いとく。)

学校の美術や音楽の教科書で習う作品には、こういうプロパガンダ作品が、抜けていることに留意してください。

小中高の教科書にある作品例は、学生に対する手本も兼ねているので、プロパガンダは政治的に中立ではないので、教育的に好ましくないとして、教科書からは除外しています。


なお、国家の側は、自分たちの線全作品の行為のことをプロパガンダという事は少なく、たとえばソ連なら「社会主義レアリスム」など別の言い方をしたりします[101]


※ 哲学などで「無知の知」と言う言葉があり、「自分が何を知らないか」と知っているかどうか、という意味です。あるいは、「どの程度までなら自分は詳しく知っていて、自分が知らないのはどこからか?」的な意味です。哲学的な意味はともかく、世間では「無知の知」とは、断片的な知識だけが沢山あっても、自分が何を知らないかという自己把握が出来ない人は頭が悪い、的な意味で使われます。心理学・教育学では「メタ認知」という言葉が似たような意味で使われる。「メタ認知」(metacognition)とは、自分の認知活動に対する認知です。具体的には「私は数学は得意だけど、国語は不得意」みたいな情報はメタ認知です[102]
「プロパガンダ美術」という分野を紹介しているのも、こういう「無知の知」「メタ認知」からの理由です。プロパガンダ美術が小中高の美術教育から抜けていることを、自己認識のためにも把握しておいてください。中学生は単に覚えるだけでも良いですが、高校生くらいになったら覚えた内容の程度を把握できるようになってください。将来的に仕事などをする場合に向けて、自己の能力をなるべく正しく把握しておく必要があります。

資料探し

たとえば、創作イラストとかで、日本の戦国時代の甲冑(かっちゅう)を装着した武者(むしゃ)を描きたいとします。

こういう場合、高校国語の資料集(国語便覧)や、あるいは高校の社会科の日本史の資料集などに、甲冑の写真や説明イラストが掲載されている。

空想上の生き物を描く場合や(朱雀(すざく)とか天使・悪魔など)、空想上の神々(シヴァとかヴィシュヌとかケツアルカトルとか)を描きたくて調べたい場合にも、資料集がある程度活用できます。

その他、現代に習慣の残ってない歴史上の文化や風習などをイラストで描きたい場合など、国語や日本史・世界史などの資料集を活用しよう。

ただ、たとえ教材のイラストとはいえ、著作権があるので、けっして、そのまま書き写して発表してはいけません。
詳しくは、著作権などを参考にしてください。

これとは別に、美術イラストの資料集が書店で販売されています。ただ、年少者には情報が多すぎる、あるいは不要な情報が多い、著作権の取り扱いが煩雑、値段が高い、などの理由で、高校生にはあまり薦めない考えの人が多いです。

描きたい題材によっては、なかなか資料が見つからない場合もあります。その場合、例外として特別に人命などにかかわる絵でないかぎり(たとえば生物学の解剖イラストなど)、描きたい絵を描いてしまいましょう。

資料なしで描けば、間違った構造の絵を描くことになるかもしれませんが、間違いはあとから修正できます。

後から少しずつ直したり、普段から物事について知ること、調べることを心がけていけば、少しずつ美術、絵画に対する世界観は広がってゆきます。

デフォルメ

漫画やアニメーションでは、わかりやすさを求めて、身体の特徴を強調することがあります。

たとえば、長身の人物は、より長身に描かれます。いっぽう、小さい人物は、より小さく描かれます。

たとえば、漫画やアニメーションで、登場する兄妹や姉妹が登場する場合に、たとえ成長期の終わった20歳すぎの兄妹や姉妹でも、年齢の大きいほう(兄や姉)を長身にデザインして、いっぽう弟や妹は、背を低くデザインするような手法があります。

観客は、自分が小学生のころの周囲の兄妹や姉妹のいる家庭などとの連想から、長身にデザインされたほうの人物が兄または姉だと分かり、いっぽう、背が低くデザインされたほうの人物が弟や妹だと分かる、というデザイン手法です。

このように、身体の特徴などを、作家が観客に、表現の意図をわかりやすく伝えるために、現実の人間や物体とは違うデザインを行うことをデフォルメといいます。

身長にかぎらず、体重でも同様です。漫画やアニメーションでは、太っている人物をデザインする際は、太っている事をわかりやすく視聴者などに伝えるために、顔や手を、現実の太っている人間よりも太らせてデザインします。しかし、現実の人間では、顔や手には、ほとんど脂肪がつきません。現実での、太っている人間の顔や手の脂肪の量は、太ってない人の顔や手足の脂肪の量と、ほぼ同じです。

また、美術用の、19世紀や20世紀始めごろのアメリカやヨーロッパの古い美術理論を解説した書籍のなかにも、デフォルメをしているものが多くあります。

たとえば、人間の頭身が、8頭身くらいに描かれる美術書がありますが、現実の人間の体型とは違います。現実の人間の頭身は、6.5頭身くらいだと言われています。

これら欧米の古い美術書にあるデフォルメは、目や鼻や手や足の書き方だけは写実的なので、一見すると現実の人体どおりに描いていると考えがちですが、しかし実際は、当時のアメリカやヨーロッパの美術の流行に合わせて頭身のデフォルメをしています。部分的な強調、と、言えるでしょうか。

美術史

詳細は専門教科美術「美術史」に記したので、そちらを見てください。 

日本の平安時代の古典文学『伊勢物語』(いせ ものがたり)をもとに、鎌倉時代につくられた『伊勢物語絵巻』(いせものがたりえまき)という絵巻物があります。

伊勢物語とは、在原業平(ありわらのなりひら)が東下り(あずまくだり)したりする文学です。(※ くわしくはwikibooks『高等学校国語総合/伊勢物語』)

※ 著作権の都合で、wikiでの画像の紹介が困難なので、代わりに外部リンク 伊勢物語絵巻 (リンク先は 東京国立博物館)

広角パースと望遠パース

パース=パースペクティブ【perspective】 遠近法。透視図法。


実際の人間の目の見え方は、広角レンズ的なパースでもなく、望遠レンズ的な望遠パースでもないのです。

なお、広角レンズは、視野角が広いだけでなく、焦点距離が短いという特徴もあります。

一般の携帯用の手持ちカメラなどで、家族旅行などで皆が気軽に使えるカメラは大抵、広角レンズです。

望遠レンズは、視野角や狭いだけでなく、焦点距離が長いという特徴もあります(視野角が狭いことで、、遠くのものを大きく撮影する)。

ゲームで スーパーマリオ1 や スト2(ストリートファイター2)などの、真横から見たゲームがありますが、ああいうのが望遠パース的な構図です。

さて、漫画やアニメーションではよく、やや遠くから眺めた構図で描きます。つまり、漫画やアニメーションでは、望遠パースの掛かった絵柄で書くことが多いです。

スーパーマリオ1は、望遠パースのすごく強い画面です。

漫画やアニメーションでも、視界内での被写体の左右の位置関係を分かりやすくしたい場合に(けっして、スーパーマリオ1ほどの強い望遠パースではないが)、さらにより望遠っぽいパースを使うこともよくあります。特にアニメーションでは、セル(レイヤー)の合成のしやすさから、望遠パースが好まれます。

なので、多くの漫画・アニメーションの愛好者は、望遠パースに見慣れています。

パースの教本などでは、三点透視法とか二点透視法とかでよく人物にパースをつけて説明していますが、あれはパースを強調するために、かなり近くから人物を眺めた構図だったりします(つまり、焦点距離が短い = かなり広角パースが強い)。

広角パースのほうが遠近による大小差が大きいためパースの仕組みが分かりやすいので、広角で説明図を描く教本のほうが多いのです。また、実際には人物にパースを強くつける機会は、あまりありませんが(人物よりも建築物にパースをつけるほうが多い)、しかし建築物は描くのが大変なので、かわりにマンガ調にデフォルメされた人物にパースを強くつけることが、イラスト教本でよくあります。

肩幅程度の横幅のポーズに人間ですら、人間にパースを30度くらい付けるイラスト教本は、よくあります。

実際の人間の胴体の厚み程度では、写真のように、パースは、ほとんどつかない。

現実の風景を観察すれば一目瞭然ですが、たとえば自宅のベランダを(一般的な民家の広さとする)、室内のベランダから50センチくらい前から斜め前方のベランダ床を見ても(真正面のベランダ床を見ても、傾斜は0になる)、いちおう斜め前方のベランダ床にパースはついているのですが、しかしパースの角度はベランダすら、せいぜい角度にして片側15度くらいです。ベランダでなくとも、お風呂の床のタイルでもいいです。床に、直線状または格子状に模様があると、パースが分かりやすいです。

なので、ベランダやお風呂の床タイルの斜め前方に見下ろした視界では、パース自体はあるものの、ほとんどパースは目立たず、他人から「実はベランダにもパースがついているよ。ほら床を見てごらん」とか指摘されてようやく気づけるほどしか、パースはついていません。またベランダ直前のその室内から、となりの家の一般の民家の窓ガラスも、パースがついているかどうかも、分かりづらい程度です。

いっぽう、立っている人間の 肩幅 や 胴の厚さは、どう考えてもベランダなどの通路よりも狭いし、窓ガラスよりも直立人間の横幅・肩幅・胴厚は狭いので、現実の人間の観察のさいに50センチ以上遠くにいる人体にパースが目立つことは、(現実の人間の視界では)ないでしょう。(ただし、相手か自分のどちらかが寝そべっていたり、あるいは相手が両手を前後に広げていたりしたら(歌舞伎のポーズみたいに)、近くにいる相手にパースがやや目立つ場合はあるかもしれません。)

私たちが書籍などで普段みる人間の顔写真は、実はやや望遠ぎみです(撮影者が一般にレンズの焦点距離を公表しないので不明だが、広角で被写体の顔を近づけて撮影すると顔がかなり歪んで(ゆがんで)撮影されて見苦しいので、普通はやや望遠だと思われる)。

美術などで資料として使う写真には、そういうゆがみは避けたいので、人物の顔写真などは望遠で撮影されていると思われます。

なので、正面顔の写真なら、手前にある鼻と、やや奥にある耳とでは、すでに望遠レンズによる奥行きの圧縮がついていて、ああいう構図の写真になっているわけです。

望遠レンズで遠くの人物を撮影した時、顔が小さく映っていても,写真のプリントアウト時に拡大してみて顔の大きさが標準レンズ撮影時に同じになるようにプリントアウトすると、写真上での顔の形はほとんど同じに見えます。

よく、テレビ業界などで、まるでバズーカ砲みたいに大きさが人間の顔みたいに大きい大型カメラがあるが、あれは何かと言うと、大型の望遠レンズです。大きいカメラほど焦点距離が長く、視野角も小さいでしょう。

望遠的なレンズで撮影するぶんには顔の形は歪まないようですね。

なので、その望遠の状態からやや前後に被写体が動いたくらいでは、望遠では奥行きによるパースによる左右位置の変化の影響は小さいので無視できます。同様に、あるいは顔を斜めにしたくらいでは、ほとんどパースの左右位置の変化の影響は表れないでしょう。

※ 望遠レンズによる奥行きの圧縮は、美術のほかにも、マスコミ報道の実写映像で応用されたり、または宣伝写真などでも応用される場合もあり、用途としては人数の密度を高めに錯覚させたい場合に使われる場合があります。たとえば商店街などが実際よりも混雑して盛況なように見せたい場合に、望遠レンズで写真撮影することにより奥行きを圧縮することで、写真を見た観客に、あたかもその商店街での客の密度が高いかのように錯覚させる撮影手法なども、昔からよくあります。
※ 一般の人間の顔写真に近いのは、望遠レンズです。望遠100mmレンズ、135mmレンズ、200mmレンズでも、ほとんど撮影された写真での顔の各部の位置は同じです。広角で撮影する場合は、70mmレンズなどで撮影すると考えられる。(広角30mmで近い人の顔を撮影しても、あまりに歪んでおり、顔写真としては使い物にならない。近似計算だが、まるで反比例のグラフのように、0(ゼロ)mm近くでは急速に写真が変化するが、しかし基準となる数値(この場合は70mm~100mmあたり)を超えると、あまり写真が変化しなくなる。)
※ もし幾何学的に正確に構図での被写体大小を計算するなら三角関数をつかった方程式で計算すればよいのだろうが、しかしそれだと計算が複雑すぎる。
なので、計算の手間をへらすために反比例として近似を考えると、割と、実物の構図と近い構図になる。
しかし、それだと絵を描くさいに作図が大変なので、さらに「近距離の場合だけ、被写体が離れると、マイナスの一次関数のように遠くほど被写体が小さくなる」、として近似している。

とにかく、あまり、通常の顔写真以上にパースの強調された写真というのは、発生しづらいのです。(遠くにあるものは、遠くにあるので縮小こそされているが、しかし拡大してみれば、形状はほとんど標準の距離の状態と(形が)変わらないのである。)

なので、被写体の顔がよほどカメラの近くにないかぎり(たとえば顔の どアップを至近距離(10~15センチくらい)で撮影してるのでもないかぎり)、けっして、よくみる顔写真以上のパースがつくことは通常、ありえないのです。

しかし一方絵の勉強として、あえて人物にパースを広角で強めにつけたイラストを練習することが必要な場合もあります。

また、漫画やアニメーションでも、あえてパースを実際にはありえないほどに強調する手法もあり、たとえば格闘マンガなどでカメラ方向(観察者のいる方向)に向かって出されたパンチをやたらと大きく描いて(この場合はパンチマンの)手のスピード感や迫力などを強調するような手法で、このような手法の呼び名はよく「嘘パース」(うそパース)と言われます。

また、アオリ、俯瞰という構図もありますね。 アオリとは、観察者が下側にいて、下側から上方向に向かって、物を見上げる構図です。

いっぽう、フカンとは、観察者が上側にいて、上側から下方向に向かって、下方を見る構図です。

例として、親子が立って、いたとしましょう。

親が、おさない我が子を見るとき、フカンの構図でしょう。

いっぽう、おさない子が、立っている親の顔を見るとき、アオリの構図でしょう。

演出的に「アオリ/フカンであり、なおかつ、広角パースを強調する」のような構図にする場合もありますね。

望遠パース推進と広角パース否定

奥行きの長い立方体を描くなという主張
※ 『キャビネット図』とは、中学校の技術科で習う製図技法のひとつ。(※リンク先はwikibooks中学技術科)

世の絵描きの中には、画角の小さい望遠パースだけを採用して、その方針の下、割と教条的に絵画技法をまとめ上げて、実用に供している人たちがいるようで、そういう人たちのルールの一つに、直線を引いて一点透視や二点透視を近似的に描く透視図法は、遠くにある物を描く場合でしか使えない[103]、というものがあるようです。

本来1点透視は画面の中央に消失点があるものですし、2点透視の二つの消失点を結ぶ線分は画面の中央点を通るようにするのが,見えている光景の真ん中を描くためには重要な条件ですが、描く絵を望遠パースに限るとこの法則はそれほど適用しなくてよくなり、割と自由に1点や2点の消失点を置けるようになります。

そしてその場合,1点2点透視を使うのは,遠くにあるものを描くときだけ使えという主張ですね。

では近くにあるものを描く場合はどうするか。

望遠パースのみを採用する場合、我々が見ている光景を小さな画角で切り取り、絵として描く場合,消失点が画面に含まれている場合と、画面の外に行ってしまって画面内に消失点がない場合がありますね。

そこで近くの立方体を描く場合は,消失点が画面内にある場合は奥行きは短く、圧縮しなければいけませんし、画面外に消失点がある場合は、立方体の奥行きは割と長く広く描かれるようになるでしょう。

そして画面外に消失点があって立方体の奥行きが長く描かれるときは、いっそキャビネット図にしてしまうという方法があります。

キャビネット図とは、中学の技術家庭科の技術分野で習った、図法の一種です。

立方体のキャビネット図


キャビネット図も、右図の例のように、遠くに消失点のある透視図を近似的に描いた物であるとも解釈する事も出来ます。

ただし、キャビネット図(上左の図)そのものの描きかただと、側面・上面の圧縮が強すぎるので、美術用にリアルな絵を書く場合には、側面・上面の長さを右図のように、やや延長(おおむね1.5倍くらいに長さを倍増)して使うほうが自然に見えます。

ただしこういう教条的な絵画技法は、あくまで画角の小さい望遠パ―スだけを採用する場合に当てはまる事です。

画角の広い広角の絵を認めたうえで、リアルな、効果的な絵を描くためには、もう少し一般的な遠近法、透視図法の理解が必要になりますし、逆に教条的、教文的絵画技法は、絵画活動や画法理解の障害になる場合もあります。

現実にない空間を作る

美術では、作風にもよりますが、望遠パースと広角パースは、都合に応じて逆らって使われます。実写のカメラでは本来、望遠レンズと広角パースがひとつなぎののカットで混在する事はありませんが、しかし手描きの絵画やアニメなら、カメラでは不可能な映像を作ることも出来ます。

たとえば、有名アニメ映画監督の使う手法で、群集シーンなどで人物は望遠パースだが、建物などの背景は広角パースで描く、という手法もあります。有名な例では、アニメ映画『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などで有名なアニメ会社スタジオジブリが、よくそういった望遠パースと広角パースとの混在で、群衆シーンなどの絵を書きます。(たとえば1998年ごろの日本テレビ系列の科学番組『特命リサーチ200X』で、ジブリのそういう作画技法がテレビで紹介された事もあります。また、同様の内容はドキュメンタリーDVD書籍『「もののけ姫」はこうして生まれた』でも確認できます。)もし広角パースを人物にも使うと人物も縮小してしまいますが、しかし演出の都合で人物をなるべく大きく表現したい場合が多々ありますので、そういった場合に、人物だけ望遠パース的に、縮小率を小さくしたりする場合もよくあります。屋外シーンなどでよく、望遠パースと広角パースの意図的な混在が使われます。

また、マンガなどでも、「嘘パース」(うそパース)と言って、演出などの必要に応じて、カメラレンズならありえない程度に極端に手前のものが大きくなったパースを使う場合もあります。よく格闘マンガなどで、パンチで突き出した拳が、実際の構図よりも手がかなり大きかったりしますが、これも嘘パースの例です。

しかし、このようなパース混在の手法が比較的に容易に実装できるのは、手描きの絵の場合です。コンピュータグラフィックの場合、そのソフトウェアのシステムにもよりますが、嘘パースや広角・望遠の混在パースなどは、実装が難しくなります。CGで嘘パースなどを表現する場合、代替的に、そのシーンだけキャラクター3Dモデルを別途作成したりして、表現します。つまり、手前に来る人物だけ大きさを拡大した巨人のモデルにしたり、あるいは格闘のパンチシーンなら手だけ大きいキャラクターモデルを作ってそのモデルに入れ替えたりして表現します。たとえば2012年のアニメ映画『アシュラ』(ジョージ秋山 原作、東映アニメーション制作、プロダクションIG制作協力)でも、そのように3Dモデルを別途作成することで、CGでの嘘パースを実装しています。

なお、このような嘘パース撮影のためにモデルごと作り変える手法は別にCGアニメ業界が発明したわけではなく、日本でも昭和の特撮番組『ウルトラマン』の時代にすでに似たような手法があり、ウルトラマンの変身シーン(いわゆる「シュワッチ」(変身時の掛け声))のときの手前に突き出た右手を大きく強調するポーズを撮影するときに、実はミニチュアのウルトラマンの右手だけが左手よりも数倍も大きいミニチュアを使って撮影されています。

ともかく嘘パースなどは、上述のように作成に手間が掛かるので、(アニメ映画なら可能かもしれませんが、しかしプレステ作品などの)ゲームソフトの3D映像で表現するのは難しいかもしれません。

演出によるウソの映像は、パースのほかにも、光源によるウソも比較的に芸術業界では有名な演出です。

太陽はひとつですので、太陽光も一方向からやってくるのが、自然な光です。しかし、ポスターイラストなどでは、被写体の立体感を強調するために、しばしば、観客に分からない程度にさりげなく、光源を2~3個用意した構図のイラストが描かれている場合も多々あります。

イラストだけでなく、女優モデルなどの写真撮影でも同様の撮影技法があり、被写体の立体感を強調するために光源を複数用意して、暗室などでメインの光源1つとサブ光源1~2個で被写体の女優を照らして撮影するというテクニックも、ときどき使われている事もあります。

メルクマール

(※ 一般の教科書には無い用語です)

文芸の用語で「メルクマール」というのがあります。もともとはドイツ語で、単なる「目印」(めじるし)という意味です。

しかし文芸で「メルクマール」といった場合には、やや特別な意味があり、その特別な意味とは、おおむね「なにかの流行や時代の代表例となる作品や作家のこと」のような意味です。

たとえば、漫画文化で、第二次世界大戦後の終戦直後や復興期のマンガ家として手塚治虫がよくとりあげられたり、彼・手塚の代表作『鉄腕アトム』がよく紹介されますが、このような例がメルクマールです。

さて、美術史やコンテンツ産業の歴史において、メルクマールは一つの目印(めじるし)であり、起源ではありません

たとえば、明治時代以降に日本でマンガを始めたのは、手塚が最初ではありません。『のらくろ』の田河水泡(たがわ すいほう)とか、手塚以前の時代の漫画家は、多くいます。

ゲーム機でも、1980年代のファミコンの発売と普及がよく紹介されるので(この例ではメルクマールはファミコンである)、ファミコンが家庭用ゲーム機の元祖だと考える人が多くいますが、しかし世界初の家庭用ゲーム機は欧米産のオデッセイですし、日本初の家庭用ゲーム機はエポック社のテレビテニスです。

美術史でも同様で、室町時代に水墨画を広めた雪舟(せっしゅう)は、べつに水墨画の日本での最初の人ではないですよね。

日本の小学校、中学校、高等学校における一般的な美術教育の傾向について。

進路に関すること

※ 一般的に、ある程度の偏差値の高い高校では、美術1か美術2の最後で、美大の入試に向けて教師から概要を話します。(なお、音楽1・音楽2も同様)
画塾・予備校に通い始める時期について

もし美大を目指す場合、高校の美術1~美術3の授業だけでは不足しているので、美大受験対策に対応した画塾や、美術予備校などに通う必要があります。

大体、高校2年の後半からか、遅くとも高校3年から画塾・美術予備校に通い始めるのが、美大受験としては典型例として美術教師から紹介されるかもしれません。

たとえば、雑誌『芸術新潮』の2022年くらいの号で[104]、日本画家の千住博が、美大志望の高校生に向けて、美大を目指すなら高校3年から美術予備校に通うのでも大丈夫と若者に説明しています(高校2年までは高校の期末テスト対策とかをしっかり勉強しろと千住は若者に教育している)。裏を返すと、高校3年になったら美術予備校に通い始めると有利でしょう。

小学生からの質問で、千住は下記のように答えています。

『早くから美術の受験予備校に行くことはお勧めしません。受験生たちは緊張感や疲労感から絵が嫌いになってしまう人が多いからです。高校3年生になった時に、もう一度考えて、どうしても絵を職業にしたいとまだ思っていたら、それが美術の受験予備校に活き始める一番いい時です。』

※ 以上、千住の回答の引用[105]


ほか、千住は下記のように、絵以外のことも勉強しないと、何を描けばいいのか分からなくなるので、絵以外の勉強もするように述べています。下記に回答を引用しますが、ただし、下記の回答は小学生(義務教育中)に当てた回答なので、読者の高校生(もはや義務教育ではない)は高校用に自分でアレンジして解釈してください。

『画家やデザイナーはいかに色々なことを学んでいるかが勝負です。まずは絵以外のさまざまな勉強をしてください。そうでないと、何を描いたらいいかすぐにわからなくなります。それに絵の好きな人は、勉強しないでも自然に絵のことは吸収しているものです。』

※ 以上、千住の回答の引用[106]

ただし、書籍『絵はすぐには上手くならない』によると、実際は多くの人が浪人して美大にようやく合格するのが2010年代でも実情のようです[107]


日本ではなくアメリカに目を移してみると、2006年の教育学の論文で、アメリカの大学入学共通試験(SAT)というペーパーテストの数学の成績の良い人ほど、芸術でも実勢をあげている人が多いという統計が知られています。David Lubinski and Camilla Persson Benbow『Study of Mathematically Precocious Youth After 35 Years』,2006 Association for Psychological Science,

SATの難易度は、ちょうど日本の高校2年生くらいの教科書レベルでしかも数学なのに4択問題とかですので(なので、日本の中堅の公立高校の2年生の中間期末試験よりも、米国SATは簡単です)、上記のアメリカ教育学の論文は、ちょうど日本の千住の言っている教育論と似たような結果になります。

なお、日本では高校の理系コースで3年生では三角関数とかの微分積分を習いますが、アメリカでは基本的に大学で三角関数などの微分積分を習います(ただしアメリカの私立高校などでは、先取り学習として微分積分を習う場合もある)。高校3年の「世界史探求」とか「物理」とか、ああいうのも、アメリカでは大学以降です(世界史B時代ですが、スタンフォード大学の歴史学教授が世界各国の高校課程の歴史教科書を調べて、「日本の高校世界史(山川出版社の『詳説世界史B』)の教科書は、アメリカでは大学レベル」と評しています)。SATは2教科のテストで、英語(米国人にとっての国語)と数学だけのテストです。

なので、上記の論文では、数学のテストの成績と、大卒の芸術家らの業績との相関を見ているわけです。


もっとも、お金持ちほどテストの点も良ければ芸術教育にもお金を掛けられるので、必ずしもペーパーテストが芸術に直接に良い影響を与えるという因果関係があるかどうかは知りませんが、しかし少なくとも相関関係はあるというのが統計的事実です。(「疑似相関」でも、相関関係はあります。疑似相関で存在しないのは、相関関係ではなく因果関係です。)

自由の国アメリカでも、大学入学試験SATのペーパーテストに合格できないと美大にも音大にも進学できません。アメリカでSATに合格せずに行ける学校は、決して大学ではありません。

なお、フランスには「バカロレア」という大学入学資格試験があります。ドイツにも「アビトゥア」という大学入学資格試験があります。なので、「おフランス」妄想で現実逃避しないようにしましょう。なお、フランスのチップ大学軍はパリ大学ではなく、グランゼコールという大学(ユニベルシテ)とは別種の学校群です。フランスの大学というのは、日本でいう都道府県の公立名門高校のような重みの大学ですので、勘違いしないように。


そもそもフランスの近代以降の学制は、ナポレオン時代の富国強兵のための教育改革が元になっています。フランス革命によって封建制を破壊したフランスが、周辺のまだ封建諸国だったドイツやイタリアなどと対立して戦争をすることになりました。その戦争で、フランス軍は強かったので、なので周辺のドイツやイタリアやイギリスなどがあわててフランスを真似て、教育改革をしたのです。

日本も江戸時代、アヘン戦争でとなりの清(シン)国がイギリスに敗退して殖民地にさせられたのを見て、あわてて大政奉還や明治維新のような近代化をしたわけです。

明治の教育改革もその一環であり、日本の教育は富国強兵のために西洋式の科学教育および英語教育など外国語教育なども取り入れる必要があり、その派生として芸術教育も私学など金のある民間の学校を中心に西洋式の芸術教育が取り入れられたのです。

第二次世界大戦後の兵器でも、かつてのミラージュ戦闘機(なお令和の現代はラファール戦闘機)とかエグゾゼ・ミサイルとかを生産しているフランス国に、なんか変な空想的平和主義みたいな幻想を抱かないようにしましょう(日本には、令和のいまだにそういう勘違いをしている大人も多い)。なお、ドイツ国はレオパルド戦車や、ユーロファイター戦闘機(イギリス、ドイツ、イタリア、スペインの共同開発)、潜水艦などの技術を有しています。

外国の小中高の芸術教育の投入時間は貧しい

余談ですが、フランスの小中学校には、ほとんど音楽の授業がありません[108][109]。なので、ネット上で、「フランスの小中高の芸術教育がすごい」とか海外かぶれを言ってる人は、インチキ人間です。なお、フランスの学校では、体育の授業もほとんどありません[110]

よくインチキ評論家が、「日本の小中高の教育のダメなところは、受験勉強ばかりしていて、芸術教育とかスポーツ教育をろくにしていない」とか大ウソをこきますが、実態は逆です。フランスのように海外のほうが、芸術教育とかスポーツ教育とかロクにしていなかったりもします。

あるいは国によっては外国の小中高では、授業は体育や芸術があっても、部活動を学校側が用意していなくて、民間のサービス(地域のスポーツクラブ)を使わざるを得ないような外国もあります。

たとえばドイツやイタリアの学校には基本、部活がありません[111][112]


なお、イギリスには部活のような放課後活動があります[113][114]。なので、別に学校での部活が教育的に非効率とか見られているわけでもありません。

まあ、常識的に考えて、小中高の校舎にスポーツ設備とか音楽室とか美術室とかあるのですから、それを活用したほうが効率的でしょう。


なのにネット上には、インチキ人間が、イギリスに部活がある事を知らずに、知ったかぶりで「部活なんて非効率だから、これからの日本の部活は改革としてヨーロッパみたいに地域のクラブに移行すべきだ」とかタワゴトを言ったりもしますが、イギリスに喧嘩(けんか)を売ってることに気づかないそのインチキ人間こそが社会的にお荷物で非効率と言えるでしょう。今時パソコンのネット検索で簡単に調べられる外国の部活のありようすらも調べられない点も、社会のお荷物なので非効率な人間でしょう。

また、中国や韓国では、運動部はひとにぎりのスポーツエリートしか参加していません[115]

意外かもしれませんが、日本の小中高は、割と文武両道なのです。小中高での国数英理社と言った基本的な5教科と、スポーツや芸術教育などとの両立が、日本は比較的に高い程度で出来ているのです。

アメリカとか新しもの好きの国なので、国によっては小中高の芸術教育・スポーツ教育の内容が新しいかもしれませんが、しかし外国は欧米先進国でも必ずしも学校での芸術・スポーツの量が充実しているわけではないのです。



さて、読者の高校の話に戻ります。読者の地元にある近場で信頼できる美術予備校など、もし美大受験を目指すなら、美術教師から(できれば在学中に)教えてもらうと良いでしょう。


なお、美大卒の学歴が必要ないアニメ産業などに就職するつもりでも、アニメーターには最低限、中学卒業ていどの基礎学力が必要です。なぜなら、脚本や絵コンテなどの設計図が読めないと仕事にならないからです[116]。文系科目はもちろん、理系科目も、たとえば背景引きのスピードの理解や、動きの軌道の理解のためには、初歩的な算数・数学や物理の理解も必要です[117]

上記の絵描き指導者たちの意見を合わせるなら、高校生は、事情がよく分からなければ、絵と両立できる範囲で、ふつうに高校の勉強もしていれば大丈夫だろうと思います。

要するに、勝手に「この科目は使わないから勉強しなくていいや」みたいなことは考えないようにして、ふつうに勉強しましょう。小中高のカリキュラムの前提になっている文科省の指導要領というのは、日本の偉い文科官僚や大学教授などの学者さんたち専門家が知恵を集めて作り上げた教育カリキュラムなので、少なくとも悪気はないわけですので、なるべく学校教育は(無批判で妄信してはいけないが)人生の参考にしたほうが得です。


美大に進学すべきかどうか

大企業などのデザイン部門は、美大などを卒業していないと就職が困難かもしれません。いわゆる「足切り」(あしきり)があります。いわゆる「学歴フィルター」として、美大卒または、かなりの大卒を要求しているかもしれません。

よほど特別な業績が無い限り(たとえば、少なくとも都道府県以上の規模の美術コンテストで大賞や上位の賞を取るとか)、高卒・専門学校卒では書類だけで就職が難しいかもしれません。


デザイナー志望など、高卒だと新卒採用枠への応募じたいが不可能という企業もあり、専門学校でもいいので進学しないと応募じたいが不可能という企業も多々あります。実際にゲーム会社などのデザイナー採用でも、そういう会社があります。

なお、俳優・映画業界でも役者などで、高卒だとオーディションの応募じたいが不可能という足切りをしている業界は多々ありました(現代はどうか知りません)。もし高卒を認めると、応募者が殺到して審査しきれないので、なので専門学校でもいいので足切りをするのです。もちろん、その分野に近い専門学校の必要があるしょう。つまり、調理師の専門学校とか看護の専門学校とかでは、デザイナー志望や役者志望に応募するのは、なかなか難しいと思います(志望先にも寄ると思います)。


なので、家庭に進学できるまでの資金力のない人は、特に若さの必要とする役者などの仕事には、ハナからその仕事につけない確率が高まります。ジャンルにも寄りますが、芸術・芸能にはカネが掛かります。「貧乏でも出来る」みたいな事を言っている人は、業界にも寄りますが、多くの業界ではインチキ人間でしょう。

多くの若者は専門学校に進学したところで役者になれませんが、しかしそもそもオーディションなどの応募じたいが専門学校に行かないと足切りされて制度的に不可能なので、その分野の若者はしかたなく専門学校に行くのです。その専門学校では、講師が、加齢などで一線をしりぞいた役者が講師をすることで、役者が二毛作(にもうさく)と言いますかそういう方法で儲けている、というビジネス・モデルです。

「芸術は爆発だ」の格言で有名な岡本太郎も、実家が金持ちです。戦前の時点でフランス留学できています。子供のころはw:慶應幼稚舎[118]w:慶應義塾普通部にも通っています。

音楽の世界も、フォークソングの吉田拓郎はなんか凄い金持ちの家の子です。コミックバンドのドリフターズ(志村けんとか加藤茶とかのあのグループ)の仲本工事(芸人名)も大学の学歴が学習院大学です。

そもそも芸術・芸能のアーティストは基本的に東京出身者(もしくは神奈川)が多いのです。

よく「大卒後の若いころ、親の仕送りを受けずに作品をつくった」とかアーティストは自己を喧伝(けんでん)して言ったりしますが、そもそも貧乏人とは親や弟・妹に仕送りをしないといけない側です。何を勘違いしているのか。


さて、絵の業界の話題に戻ります。もし絵の仕事に就職できたとしても終身雇用でない場合もあります。たとえば、数年ごとの契約期間中だけの契約かもしれません。

一方、漫画家やアニメーターなどは実力主義でしょう。しかし、ここでいう「実力」とはマンガそのもの、あるいはアニメの原画(げんが)そのものを作る能力なので、それと関係ない水彩画や絵の具がいくら上手くても評価されません。なお、漫画家はお話をつくる人でもあるので、絵だけが上手くでもプロになるのは難しいかもしれません。


ほか、アニメ業界やゲーム業界の絵描き志望者について、初心者はよく、キャラクターデザイナーを志望するという報告が書籍『絵はすぐには上手くならない』でされているのですが、しかしこの書籍『絵はすぐに(※以下略)』でも述べられているのですが、絵描き新人をいきなりキャラクターデザイナーに抜擢することはないのがゲーム業界およびアニメ業界です[119]

アニメ業界外のイラストレーターや3Dモデラーなど十分な絵描き仕事の経験者が場合によってはアニメのキャラクターデザインの仕事をすることはありますが、あるいはゲーム業界人でないアニメ業界のアニメーターがゲームのキャラクターデザインをするような場合もありえますが、しかし全くの絵描き新人のキャラクターデザインが採用されることは無いような業界がゲーム業界・アニメ業界です[120]

なお、ゲームイラストレーターもアニメーターも、芸術家ではありません。クレジットが出るので芸術家のようなものと勘違いする人がときどきいるのですが、しかし芸術家とは違い、チームで仕事をする能力が求められます[121]。自己表現をしたいなら、個人や同人サークルで作品を作るとか、あるいは作品展があれば出品するなどの別の道を探しましょう[122]

このため、アニメーターを目指す人がイラスト専門学校を目指すと、やや授業内容が目標とは遠回りになる可能性もあります[123]。イラストレーターとは違ってアニメーターは個性を押し出す仕事ではなく[124]、また、他人のデザインしたキャラクターをさまざまな角度[125]とポーズで描けるようにする必要があるからです。

もうひとつ、絵を動かすことが好きでないと[126]、アニメ業界への就職はつらいかもしれません。アニメ作品を見るのが好きとは違います。


個別の職業についてはこれ以上は立ち入りませんが、このように仕事では職業によって要求される能力が違います。


マンガとアニメとで、じつは絵の描き方はけっこう違っています。マンガの絵の描き方は、比較的に自由です。一方、アニメの絵の描き方は、比較的に不自由です。アニメは集団作業で制作する理由と、動画として破綻のない動きを書かないといけない理由などにより、絵の描き方に制限があるのです。

いっぽう、マンガの絵の自由/不自由については、ゼロ年代(2000~2010年あたり)ごろか、中学美術あたりの地域版(東北の某地方)の資料集に、マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』の作者インタビューが掲載されたことがあり、そのテーマに作者が答えたことがあります。ジョジョ作者の発言によると、マンガにおける絵の描き方は、比較的に自由のようです。ジョジョ作者が言うには

「絵画というのは、何をどのように描いても(えがいても)自由なものであるとは思います」

とのことです。


ほか、美術教科書には掲載されてない情報ですが、ネットなどで多くの漫画家の発言を見ると、日本の多くの漫画家たちは、マンガの絵の描き方を比較的に自由であると考えています。

しかし、商業アニメの絵の描き方については上述のように、マンガとは違って自由ではありません。ここでいう「商業アニメ」とは、美術科目以外も含めて検定教科書で紹介されるような作品でいえば、たとえば『君の名は』(新海アニメのほう)とかエヴァンゲリオンとかジブリ作品とかドラゴンボール(アニメ版)とか名探偵コナンとか(以下略。ほか多数)、・・・なども含みます。これらのアニメ作品の絵の描き方は、比較的に自由ではありません。

普段のテレビ番組や普通の映画館で見れない芸術アニメとは、商業アニメは絵の描き方が違います。

漫画家もアニメーターも、それぞれの職業の絵の描き方に、誇り(ほこり)を持っています。

※ 編集者への注意: 1990年代の過去、今よりも美大卒がアニメーター就職・漫画家就職などに有利だと思われていた時代がありました(アニメ評論家の岡田斗司夫(元・東大講師でもある)の書籍などに証拠あり)。岡田の当時の予想とは、現実は違うという意味です。
※ もっと言うと、どのジャンルでも通用する「基礎画力」なんて、もしかしたら存在しないかもしれません。なので、よく分からないうちは、あまり絵のジャンルを絞らずに、いろんなジャンルを練習しておくのが安全でしょう。

進路相談は高校3年にありますが、しかし他の子が小学生から練習を始めているジャンルで、いきなり自分だけが高校3年になってから始めても追いつくのは無理ですので、目指している絵の職業がある場合については、図書館(学校図書館はもちろん地元の図書館)やネットや書店などで軽くでいいので、就職までの傾向を調べてください。

美大入試の学力試験に向けて

なお、美大に進学するにしても、最低でも高校生1年生の期末テストを攻略できる程度の5教科の学力は必要でしょう。決して5教科が得意でなくてもいいので、少なくとも高校2年の終わりくらいまでは、学校の期末試験レベルで良いので5教科などもシッカリと真面目に勉強しておいて、そして絵の練習と両立できる範囲でいいので、せめて1年生の内容くらいは5教科を復習などで理解しておくと良いかもしれません。2年生になってからの復習でも良いので1年の内容を理解しておいてください(けっして丸暗記で切り抜けようとするのではなく)。

入試に小論文のある美大もあります。学力が低すぎると、小論文の質が下がりかねません。

美大の小論文では、べつに学力アピールするための小論文を書く必要はありませんが(そもそも小論文のない入試形態の美大もある)、まあ常識的に高校の期末試験レベルは楽しく理解して勉強しておいてください。


美大などに進学する場合でも、美大には美術教師になる教員免許のための課程もありますので、もし学力が低すぎると美術教師にはなれません。5教科の学力が低すぎると、たとえば教員採用試験に不合格になるかもしれません。

仮に入試で小論文の無い美大でも、大学4年での卒業論文の存在を忘れてはいけません。べつに高校の時点で大学レベルの卒業論文が書ける必要は無いですが、そういう能力も将来的に必要になるという事は念頭においてください。

なお、べつに勉強が得意でなくてもマジメに高校の勉強をしていれば、あとは美大の授業を普通にきちんと受けていれば、どの美大生も卒業論文を書けるレベルになるはずでしょうから、過度な心配はしなくて大丈夫です。(博士論文などとは違い、学部の卒業論文なんて、あまり大したものではありません。)


ともかく、こういう美大の事情もありますので、美大の入試の受験科目でも、美術の実技以外にも、英語(多くの私立美大の入試でほぼ英語が必須)および、国語の学力試験もあります。

大学によっては実技試験だけで入学できる入試形態をもつ美大もあるかもしれませんが、しかし大学である以上は、大学入学後に最低でも高校を卒業できる程度の学力が建前上は要求されます。


高校の1~2年生でいきなり美大の学科試験に特化するよりも、まずはふつうに5教科および副教科(保健体育や情報科目や家庭科など)を期末試験レベルで良いので勉強しましょう。

受験の細かなことは、それぞれの高校3年あたりの進路相談や塾・予備校で聞いてください。

ジャンルと用語

上記の、職業・進路に関することでもありますが、業界によって用語の意味が違います。

たとえば、同じ「デザイン」という言葉でも、業界によって意味がまったく違います。

「デッサン」、「デザイン」、「スケッチ」、「パース」、「デザイナー」等、、・・・何でもいいですが、単語の発音・表記だけは流用していますが、しかし業界によって言葉の意味が微妙に違う場合もありますので、それぞれの進路志望先での用語の意味を確認しておいてください。

具体的には、理科の「スケッチ」と美術の「スケッチ」は違います。

「デザイナー」も、美術系のデザイナーと、ソフトウェア業界の「デザイナー」とでは、意味がまったく違います。

パースも、建築のパースと、アニメのパースとは違います。


「デッサン」は、たとえば美術のデッサンとは別に、日本ではマンガやアニメについての線画を描くための人体各部の比率の知見のことを「デッサン」と言います。たとえばアメリカンコミックス作家クリストファー・ハートの著書の日本語訳版『驚くほどかんたん 人体デッサン』では、アメコミ風の人体を描くためのコツとして、目と目のあいだは目1つぶんの説明とか、正面の顔の横幅は目5つぶんだとか、説明しています[127]

なお、このような人体各部比率の知識を「デッサン」と読んでいるのは日本語版だけであり、英語版『human anatomy made amazingly easy』ではドローイング drawing と呼んでいます。たとえば日本語版にある「頭部のデッサン」は、英語版では drawing the head です。

「美術」という言葉自体、アニメ業界では別の意味で使われます。アニメ業界では「美術」とは主に背景のことです[128]。決してアニメ業界で美術史やら抽象アートやらが要求されているわけではないので、誤解なきよう。


こういうふうに業界ごとの要求される能力が違うので、ひとくちで「画力」や「デッサン力」などと言っても、業界ごとに要求される「画力」などが違っていることも、商業などの実務ではありえます。

高校レベルでは各業界の各論には入りませんし入れないので、各自で将来の志望に向けて、意味を確認しておいてください。

高校美術で習わないかもしれないこと

基本

「自分は何を知っているか」だけでなく、「自分は何を知らないか?」という苦手分野の把握とか「どの程度知っていて、どの程度知らないのか」という習熟の程度の把握などの事を知るのも仕事などの集団作業では重要なことです。

こういうのを「無知の知」とか、あるいは心理学用語や教育学用語で「メタ認知」とも言います。

こういう「無知の知」のため、高校美術の欠点も把握しておきましょう。

高校の美術に関しては、下記のような内容が実務と比べると不足しているかもしれません。

そのほか

ダンスとか演劇とか、日本では小中高の芸術教育に基本的に含まれないが、海外ではニュージーランドなど、ダンスや演劇を芸術教育として扱う国もある[129]。ご参考に。

なお、ダンスは日本では体育で中学校カリキュラムにて扱っている。

日本では高校の芸術教育は音楽、美術、書道そして工芸からの選択となっているが、外国では音楽、美術、演劇という科目構成になっている国も多い[130]

日本の芸術教育は、国際的には、少し例外的なようである。


CG実習の授業の有無について、ほか

高校の実情

小学校の図工や、中学・高校の美術の授業は、設備などの関係もあってか、コンピュータはあまり使いません。

例外として芸術系の高校でない限り、CG(コンピュータ・グラフィックス)の実習は、あまり習わないと思います(2次元絵・3次元絵とも)。なぜなら普通の中学・高校では、美術室などに専用コンピュータを用意できません。情報科目用のコンピュータ室はどこの高校にもあるでしょうが、しかし普通の高校のコンピュータ室では絵を描けるようにはなっていません。(たとえば一般的にコンピュータ室では、消しゴムや絵の具や液体などは厳禁のはずです。)

タッチペンやペンタブレットなどのデバイスが多くの高校では用意できません。一般的な高校ではコンピュータ室も美術室も、タッチペンなどは全く用意していないだろうと思います。

設備の都合などで中学高校の美術ではコンピュータを使いませんが、しかし現代の商業イラストレーションの仕事の少なくない割合で(つまり、そこそこ多めの割合で)、コンピュータおよびタッチペン(またはペンタブレット)を使って制作されている作品も多々あることは念頭に入れておいてください。


ほか、美術の実習などでポスターなどを作る場合、高校側の設備の都合で、文字なども手書きで描いたりすることも多々ありますが、しかし校内に提示されている各種の学外制作のポスターの文字を観察すれば分かるように、商業ではポスターの文字は基本的にはコンピュータ用の書体を使います。

文字が変形している場合でも、すでに専用ソフトウェア(Adobe illustrator や inkscape など)に、ベクター形式のフォント文字を変形させて描画する機能があったりして、決していた絵描きがいちいちフォントを自作しているわけではありません。フォントも、無料のものから有料のものまで多くのものが存在しているので、いちいちフォントを作る機会は仕事ではあまり無いでしょう。


ほか、一見すると手描きのように見える題字でも、実はすでにデジタルフォントとして販売または配布されているものもあり、商業ポスターなどでは多く使われています[131]


ほか、ポスターが画像データの場合や、あるいは印刷する場合は問題ないのですが、webサイトでフォントを表示する場合、閲覧者側のコンピュータにインストールされていないフォントは表示されずに、別のフォントに置き換わったりします[132]

こういう事にも気を付ける必要があります。

ポスター中のフォントについては、ポスターごと画像(PNG画像など)にしてしまうのも手です。


題字デザインなどでよくあるミスのひとつとして、影の付けすぎがあります。

影をつけすぎると、読みづらくなります。私たちが文字を読むときは、文字の黒い部分だけでなく白い部分(または背景色の部分)も含めて、セットのイメージで覚えています。なので、その背景の部分に影が入り込むと、分かりづらくなるのです。

なお、美術としてイラストレーターが文字などを描くことを「レタリング」と言い、中学高校の美術教育でもレタリングとして分類されています[133]


配色

世の中には、目に障害があって、色の区別ができない人がいて、そのような病気のことを色弱や色盲などと言います。

種類もあるのですが、たとえば赤と緑の区別ができないタイプや、それとは別に赤と黒との区別ができないタイプもあります。色弱・色盲には、P型とかD型とかのタイプがあります[134]


医学的な話を省略したいので、このような問題にどう対処すればいいのかというと、基本的には、色だけで情報を教えるのを避けるのが良いです。


色はヒント程度にしておいて、色を見なくても、文字でも情報が分かるようにするとか。

なお、赤と緑の区別がつかないといっても、明るさを変えることで、たとえば暗い赤と明るい緑とすれば、区別つきます。(明るい赤と暗い緑でも区別が可能)

「明度」(めいど)を知ってれば、明度に差をつけることで、色弱の対策になります[135]


スマホアプリなどで、色弱・色盲者にどう見えるかをシミュレーションして確認できるアプリもあります[136]

Adobe の Photoshop でも、すでにそういう色弱シミュレーション機能があります。


その他、デザインの常識として、余白があります。

ポスターに文字を描くときは、ちゃんと紙の外周部に余白(「マージン」[137]ともいう)をつくる必要があります[138][139]

余白が無いと、文字が読みづらいです。余白の部分に画像が来てもいいですが、しかし文字は余白にはおかないようにしましょう。

実務を無視し続けると、就活でツラくなる

なお、商業ポスターでも題字くらいはイラストレーターなどが手書きで書く場合などもありうるでしょうから、高校の文字手書きポスターの経験は、決してまったくの無駄にはなりません。そのような文字をイラストレーターがデザインするジャンルのことを「レタリング」や「デザイン文字」などと言います。

同様、タッチペンなどコンピュータ機器を使わずに絵の具などで書いた経験も、決して、まったくの無駄にはなりません。


ただし、だからといって決して「授業で美術教師の言う通りに描いていればいい」などと思考停止せず、絵の仕事の実務 と 中高の美術教育の違い については「無知の知」として把握しておいてください。もし、目先の授業や、あるいは目先の美大受験などだけに目を捕らわれて、実務との違いについて無視をし続けていると、たとえば大学卒業後・専門学校卒業後などに商業デザイナーやイラストレーターなどを本業でもバイトでも目指す場合などに、就職活動などの前後の段階で、無視しつづけた実務と自分の想像(妄想)とのギャップの大きさで、精神的・肉体的に負担がキツくなってしまいます。


あるいは、もしかしたら就職活動の段階ですでに、実務を無視しつづけた結果として不採用などの不利益を味わう羽目になるでしょうか。たとえば、商業デザイナーの就職活動のための自作品の持ち込みで、もし抽象アートのような油絵を作品持ち込みで提示しても、特別な理由が無い限りは高確率で不採用になるだけだと思います。

目指す業界の実務については、実務などの仕事における現実を無視して逃げようとしても、業界の現実があなたを追いかけてくるだけです。

高校の段階はまだ普通教育ですので、実務の勉強の深入りを避けるという意味で実務勉強を後回しにするのは構いませんが(高校の美術もそれを見越してか、実務には深入りしていない)、しかし多くの絵描きは、決して最終的に仕事では実務的なことからは逃げられません。(例外があるなら、トップクラスの芸術家として成功でもしない限りは。)

自分ひとりが実務的な手法に従うかどうかに関係なく、絵の業界の同業者や競合他社や注文者なども含めて、社会と多くの他人が実務で動いているのです。


※ 「普通学校美術」って何でしょうかね? 『よくわかる教育課程 第2版』とか『よくわかる教育学原論』とか読みましたが、普通学校美術とは寡聞にして聞かない表現です。下記セクションは編集者Hが上書きしています。

日本の普通学校美術

日本の普通の学校における美術教育は、世界的にみるとかなり特殊らしい。ある編集者(仮にAとする)がまず示した出典、2010年におけるニコニコ動画の投稿[140]によると、二人の美術関係者がかなり長々と現状の学校美術教育を批判している。

編集者Aはさらに、アーツ・アンド・クラフツ運動と独国バウハウスについて言及しているが[141]、前者は工業製品、大量生産品のオブジェクトとしての安易さ、粗悪さを批判しそれを改善することを目的としていただろうし、後者はデザインに合理性、機能性を求めた美術教育の話だが、どちらにせよ、日本の美術教育の傾向に絡める必要もない話だろう(※ ←個人的見解)。

最初の動画では、学校の美術のペラペラの教科書が批判され、然しこの人物のくどい説明に眩暈がしてきたので(※ ←編集者個人の体験)、結局どういう美術教育が良いと考えているのかわからなかったので、興味のある方々はリンク先のこの動画の方を観ていただきたい。

ちなみに村上隆はこの国の現代美術の分野でトップランナーとみなしていい芸術家で、高校美術の教科書でもたびたび紹介されている[142][143]。然しこの頁の一編集者S は、彼の見解が別に世界の美術教育の多数説や有力説などと言う証拠もないので、興味なければ出典動画を見に行く必要は無いだろうと忠告している。

明治時代の日本における小中高の美術教育の方針は、工場労働者などの職人を育てるため、手先の器用さを育成したい、という意図があったようだ。特に当時の軍部が、美術教育によって、手工業職人的な手先の器用さ、物づくりの技術育成の教育が必要、重要だと考えていたようである。

1990年代までの普通の学校での美術教育は、わりに写実画を重視していたが、2000年以降は、あまり写実にこだわらず、いろいろな発想で絵を描くように指導しているようだ。

中学で習った事も高校範囲です

本wikiの本ページでは美術1では中学の復習までしませんが、たとえば美術1で色相環を復習しています[144]

高校での色相環の内容は、中学美術とほぼ同じです。


水彩画や版画なども、すでに中学で習っているでしょうが、高校でも美術1の教科書などで、また習います[145][146]


高校で新しく習う可能性あるのは、もし美術3まで履修できるなら、高校3年生あたりで、もし油絵またはアクリル絵具でしょうか。いちおう、教科書会社のwebサイトでも油彩画の技法なども紹介しています。

しかし、ほとんどの普通科高校では、そもそも美術3までは「美術」科目が存在せす(美術1で終わりか、美術2で終わりの学校が多い)、普通科高校では、なかなか油絵・油彩画などを扱わないと思います。


2020年以降の現代、学科に美術科のある高校でないと、美術3の履修は、なかなか難しいと思います。

※ かつて1990年代、日本にまだ美術学科の高校が少ない時代があって、そういう時代だと普通科高校でも美術3や音楽3など履修できる自由度の高い高校も多かった時代もあったが、しかし2020年代以降の現代の普通科高校ではそういう履修は難しくなってしまった。

いちおう、美術1の検定教科書でも、目次を見れば、油絵の具や、アクリル絵の具、日本画の絵の具も紹介しています[147][148]。しかし、普通の高校普通科の多くでは、油絵およびアクリル絵、日本画の実習は、まず行いません。


なお、普通科高校では、美術教科書の内容すべては、実習できません。大幅に時間不足です。美術1や美術2でもそうです。

「彫刻」とか美術1の目次にありますが、まず、やりません。やるとしたら、紙粘土などをつかった塑像(そぞう)でしょうか。


逆に、美術の検定教科書にはない七宝焼きとかでブローチとかの初歩的な工芸品を、もしかしたら美術2あたりで作るかもしれません。そういう高校もチラホラ聞きます。公表されてる学校だと、日大の付属高校がそう[149]。芸術コースのない普通科高校でも、美術部用に購入でもされた七宝焼きの窯(かま)を普通科美術の授業にも流用したりなど。

「工芸」科目で使う七宝焼き窯を流用してるだけでは・・・と思うかもしれないが、しかし実は「工芸」科目を開設していない高校も多い。多くの高校が、中学でも習う美術・音楽・書道 の3つまでしか開設していなかったりするのが現実。だから美術高校または工業高校でないのに「工芸」の科目がある高校は、じつは設備のいい高校なのである。

もし七宝焼きを実習するとしたら、学年は美術2~美術3だろうか。なぜなら、本来なら美術科目ではなく工芸科目の内容なので(しかし実際は20世紀の昔から、七宝焼きが高校美術でも容認されているが)、選択必修の美術1で七宝焼きをやるのは、やや難しいかもしれないからである。


教科書会社の光村書店のサイトで、美術2の目次に「シルクスクリーン」とか「銅版画」とかあったが[150]、まあ、多くの高校では、この実習は無理だろう。シルクスクリーンなどの実習の話をまず聞かない。


私立高校のサイトとか見ると、CG教育でAdobe(アドビ)のフォトショップとかイラストレーター(※ソフト名)とかその他のアドビソフトを使ってたりする。ほか、私学のICT機器の導入のアピール動画とか見ても、フォトショップとかアドビソフトが定番である。Adobeのソフトのセットは、まとめてでも販売されてて、Adobe Creative Suite (「CC」と略)とか Adobe creative suite (「CS」と略)とかで販売されているが、かなり高い。(学割や学校一括購入による値引きが効いているとはいえ、高値だろう。)Adobe CS をもし個人で買うと年間7万円以上とか、かなり高い。

公立の普通科高校に(および、農業高校や工業高校などの、美術高校以外の専門高校には)、そんなソフトのカネはないかもしれないので、公立だとそういうのは実習できないかも。


ソフトウェアの定額サービス化の傾向

むかし、ソフトウェアは1度買えば、壊れないかぎりは、ずっと使い続けることができる販売の形態が主流でした。

しかし近年、ネットサービスなどの多くは、利用期間の長さに応じてお金を払う定額制になっています。月額料金など、期間限定でまとめて料金を払う仕組みであり、これを「サブスクリプション」と言います[151]

※ 高校の帝国書院の教科書では、ネットフリックスの写真が、サブスクのコラムで写っています。

Adobe の CC や CS の年額支払いもサブスクリプションです。


生成AIについて

※ 美術に限った話ではないですが、上述のITスキルの説明のついでに本ページで説明します。

生成AIについては、検定教科書には書かれていませんが、文科省が授業などへのAI活用を容認しています。[152]

ただし、著作権などには注意してください。

なお、AIとは「人工知能」のことです。(※ 読者は「言わなくても分かるわい」と思うかもしれないが、じつは中学では2023年時点では「AI」の単語を習わない可能性があるので、念のため「AI」の意味を説明した。)

文科省によるAI利用のガイドラインのPDFでは、「透明性に関する懸念」として表しています。[153]

現状、生成AIには権利問題などがあるため、作品の本体には組み込まないほうが安全かもしれません。アイデア出しなど、作品の前段階で非公開の段階でのみ限定的に使うとか。(ゲーム企業などはそうしています(つまり、作品本体には組み込まず、書類などにのみ生成AIによる生成イラストを使っている事例がある。) )


不適切な活用例として、文科省は、

『各種コンクールの作品やレポート・⼩論⽂などについて、⽣成AIによる⽣成物をそのまま⾃⼰の成果物として応募・提出すること(コンクールへの応募を推奨する場合は応募要項等を踏まえた十分な指導が必要)』

という悪例を上げています[154]


ほか、生成AIに対する生成の命令に、個人情報やプライバシーに関する情報などを入力してしまうと、AI・サーバーが個人情報を学習して覚えてしまうので、第三者が生成命令をしたときに個人情報が漏洩してしまう可能性があります。

文科省のPDFでも、その懸念を出しています。生成AIに個人情報などを入力してはいけません。

よく分からなければ、無理して生成AIを使う必要もありません。文科省は意訳「注意すれば、AIを使ってもいいよ」という感じのことを言ってるのにすぎず、決して「使え」なんて文科省は言っていません。

ターゲット層とテスト8割の心理法則

心理学や教育学などで知られている法則的なノウハウなのですが、テスト問題を作る際、子どものやる気が出る正答率は約80%である、という事が知られています。小学校のテストの得点率とか思い出してください。だいたい、そんな感じだったでしょう。

世間の人の多くは、あまり自分の知らない事の多すぎる話題には、興味を抱かないのです。世間の人がたとえ口先で「私は好奇心あります」とか言おうが、世間の多くに人には、そこまでの好奇心はありません。だからターゲット層がおおむね8割ほど知っている情報を前提に、娯楽などの作品をつくる際はデザインする必要があります。

これは別に絵画に限ったことではありません。音楽コンサートなどの演目もそうです。吹奏楽部とかの校外コンサートとかそうです。

たとえば、保育園の幼児など子ども向けのコンサートでは、演目の楽曲は子どもでも知っている童謡や国民的アニメソング(ドラエモンやアンパンマンやちびまる子の類の主題歌、ほかジブリやディズニーなど)とかです。

一方、老人ホームなど高齢者むけのコンサートでは、時代劇テーマソングや唱歌や数十年前の流行曲とかが、演目の楽曲だったりします。なお、ジジババに受けるような懐かしい(なつかしい)曲のメロディのことを俗に「懐メロ」(なつめろ)と言います。

吹奏楽部による地域の保育園や老人ホームの慰問(いもん)の演目とか、だいたいこうです。そういう日常のなかの美に気づくのが観察力です。


いちいち「ターゲット層」とかの広告業界の企画マンみたいな言葉を吹奏楽美や合唱部や管弦楽部の人は使ったりしませんが、彼らの部活動ではターゲット層に合わせまくりです。

幸(こう)か不幸か、あいにく世間の人の多くは、知らない曲ばかりが続くコンサートを聴きたがらないのです。


絵や演劇や映画なども同じです。

難しい言葉ばかりが続く小説も、世間の人は読みたがりません。難しい会話ばかりが続く演劇も、世間の人は鑑賞したがりません。

8割くらいは、客層が頑張れば内容を理解できそうな内容に、設計するのが定石(じょうせき)です。


小説家や絵描きなどのクリエイターの中には「自己表現」とか言う人もいますが、少なくとも吹奏楽部も合唱部も演劇部もライブなどの披露はチーム作業なのが現実です。軽音楽部のバンドですら、チーム作業です。人間の腕は2本しかないので、どうあがいても一人の人間だけではギターもドラムもキーボードも同時には軽音楽バンドでは演奏できません。

美術の一部は自己表現かもしれませんが、それは決して芸術の共通の常識ではありません。

そもそも音楽で新規の表現を開拓するなどの自己表現しているのは、作曲家やボーカル担当などといった一部の職種だけです。演奏家は、基本的には楽譜どおりに演奏するのが役目です(若干のパフォーマンスはある)。

「だからこそ美術では、音楽では困難な自己表現をリスクをとって追求したい」と思うなら、それはそれで一つの信念でしょう。とにかく、少なくとも「音楽も美術も自己表現」みたいな、音楽に関するかぎり現実に反する妄想は抱かないようにしましょう。

音楽の演奏家のパフォーマンスのように、各地の高校の文化祭とかで普通に見れるものに気づかないで、芸術表現のパフォーマンス演技を追求したりするのは、とっても時間の無駄です。たとえるなら、演劇の背景画の「書き割り」にも気づかずに「演劇と美術を組み合わせたら斬新なんじゃないか?」とか考えるのが時間の無駄なのと同様です。その程度の発想しかできないなら、芸術家ヅラをしないほうが安全だと思います。


書道の分かりづらさ

なお、決して「大衆に分かりやすくないと芸術でない」と言うわけではなく、実際に書道では、観衆に学力が無いと理解できない作品もよくあります。たとえば、崩し字とかで書かれていて、そもそも観衆が素人だと文字そのものが読めない書道作品も良くあります。書道では「釈文」(しゃくぶん)といって、作品の下などに別の紙で印字の楷書(かいしょ)で書かれた文字を説明するのですが、もし書かれた文字の内容がマニアックな漢詩だったりすると、たとえ釈文を見ても漢詩の教養が無いと理解できない場合もあります。

なお、高校レベルだと、展示スペースの限りがあるので、釈文が無い書道作品もよくあると思います。添削する先生も残業とかで忙しいし。

このように、芸術と言うのは、ジャンルそれぞれで多様であり、異なるジャンルとの共通性というのは少ない面もあるのです。あまり「芸術全体をつらぬく共通テクニック」みたいなものは無いか、仮にあったとしても普通に小学校で習う程度のものでしょうか。

スケジュール管理など

絵の練習法には色々とありますが、高校卒業後でも練習できる事は、高校卒業後に回しましょう。

高校在学中でないと実行が困難なのは、石膏デッサンや、人物デッサンなどです。

もし画塾などに行くと、短期間のコースでも数万円は掛かってしまいます。

名画の模写やマンガの模写などといった模写は、卒業後にも可能ですし、自宅の自室で可能です。なので高校卒業までは、家庭での絵の練習では、あまり模写に深入りしないようにしましょう。

「模写をするな」とは言いませんし、模写は勉強にもなりますが、しかし卒業後にいくらでも低価格で模写は可能なので、できれば模写練習は後回しにするほうが効率的です。よほど興味をそそらえた絵でない限り、模写はしなくていいでしょう。

古典名画の画集なども、近隣の図書館をいくつか回れば、たぶん置いてありますので、わざわざ在学中にあせって画集を読む必要もないと思います。


ただし、授業などで模写をする場合は、希望すれば教員からの指導を受けられる機会があったり、仮に教員から個別の指導が無くても校内での展覧などの機会もあったりして刺激になるので、その授業を受ける経験は決して無駄にはなりません。


校内の風景画は、卒業後は部外者立入禁止になるので実行が難しくなりますが、しかし、書籍の写真集などで美術家むけの学校背景などの写真集があるので(いくつかの書店で美術書のコーナーをさがせば、大体は売っています)、そういう写真集で同等の練習が低価格で可能です。

また、家の周囲の風景画は、卒業後にいくらでも書けるので(自宅が存在している限り。借金などで自宅を手放さないかぎり)、自宅のスケッチなどは卒業後で十分です。

ともかく、高校の在学中にしか出来ないことを優先しましょう。

たとえ大学進学しても、一般の大学には美術室は無いのです。仮に美術部の部室があっても、石膏像などは置けなかったりします。大学では、そもそも美術部があるかどうか、仮に美術部があっても専用の部室があるかどうかすら不明です。


美術Iまでしか履修しない高校の場合、石膏デッサンの授業を受けられない可能性がありますが、当wikiの知ったことではありません。そういう高校に進学したのは、あなたの意志ですので、あなたが今後どう絵と付き合うかと一緒に考えてください。あなたの地域にそういう教育カリキュラムの高校しかないとしても、それはあなたの地域の美術教育の限界ですので、ガマンしてください。

イラストレーターなどで、べつに石膏デッサンを高校在学中にしなくても、絵の上手い人はいます。また、デッサンの授業はすでに義務教育で、身の回りの小物デッサンとか、同級生の顔デッサンなど、ある程度は受けています(中学の授業では「デッサン」と呼んでなかったかもしれませんが、中学教師向けの美術教育書では、小中学校の美術実習であつかう身の回りの小物デッサンとかも「デッサン」に分類しています)。

美術Iまでしかなくて石膏デッサンの授業が受けられない高校の場合、そのぶん、他の教科の授業が多めに受けられているので、そういう利点もあります。すべての教育がそろった教育環境なんて、無いのです。


技法書や教本、美術史などを勉強するのも、後回しで、かまわないでしょう。なぜなら書籍を読むのは卒業後にも低価格で可能だからです。どこの地域の図書館にも、図書館をいくつか探せば、美術史の本や、美術技法書などはあります。無ければ、図書館に購入してもらえば済みます。仮に地元の市の図書館にその本がなくても、取り寄せなどが可能です。

本wikiを書くために多くの美術書がwiki編集者によって読まれましたが、高校生は決してそういった美術書をwikiの真似して読む必要はありません。高校生は、実際に校内で絵を描くことを優先し、美術科の教員に絵を見てもらうことを優先してください。


鑑賞も、実はあまり高校生は鑑賞できません。(決して「鑑賞するな」とは言っていません。)

吹奏楽部などの人は、実はあまり、他校など外部の作品を鑑賞していません。 もし地域交流とかで公民館とかで土日に自校も参加する近隣校どうしの合同の公演会があれば他校の公演を鑑賞するものの、それ以外の日はふだんの稽古(けいこ)で忙しく、他校の鑑賞をできません。地域外だと、交通費も掛かってしまいますし。

土曜日・日曜日とかに地域主催の講演会がある場合、私立高校は日曜日に公演だったりします。これは私立だと土曜日には授業があるので公演できないし鑑賞もできないからです。土曜日に公演するのは、公立小学校・中学校といった土曜日が休日の学校の吹奏楽部の人たち、みたいな事もあります。

あるいは、地域主催で1週間の地域交流の芸術イベントがあっても、学生が鑑賞するのは土曜日・日曜日だけ、というのがマナーです。学生さんは平日の月~金曜日には授業があるのです。

1990年代後半の社会批評の漫画『ゴーマニズム宣言』で、大学生の学生運動団体がデモ行進を平日の月~金曜に企画・実行したのでマンガ作者が批判したのですが、(作中では上述のような理由は説明されていませんが)上述のような教育事情の背景があります。

児童福祉法などの規制により、大人たちは高校卒業以下の年齢の子供たちの学業を邪魔してはいけないのです。だから、マトモな団体や業界のイベントのスケジュール管理は、そういうのを考慮しています。

だからNHKテレビドラマの子供キャラの配役とかもそうです。声変わり前の小学生くらいの男子児童の役をドラマでは成人女性が演技したりとかにも、そういう法律的な背景もあります。民放はどうだか知りません。


余談ですが、(公民館以外の)民営のイベント会場とかのレンタルとかレンタル会議室とかのレンタルをする際(たとえば最低でも10万円とか掛かる)、土日は料金がかなり割高(1.5倍~2倍ほど行くか?)になります。

ただし公民館などは、どの市町村でも土日も平日も均一ですが、しかし決してカネさえ払えば誰でも使用できるわけではなく、イベント内容に制限がつきますし、基本的に地元民優先です。(たとえば一企業の就職説明会とかには、公民館は使えないと思います。)

公民館のレンタル料金を見ると、数千円とかの金額なので、ついつい会場レンタルの市場は安そうに誤解しますがが、しかし実は民間のイベント会場などの料金はじつは十万円以上とか普通に行きます。(一企業の就職説明会とかで外部イベント会場をレンタルする場合、民間の10万円以上の出費になり、かなり出費が痛い。)

なので、土日にだけ高校で連れていかれる芸術鑑賞祭イベントを見さられる高校生は、じつはとても優遇されているのです。(もし民間のレンタル会場だと、土日は2倍価格で20万円だったりするのが普通)


あ、この10万円の相場は、あくまで、余計な装飾品とか無い、単なるビル内の広間をレンタルとして貸し出しているようなレンタルイベント会場での相場に過ぎません。

もし、東京都心の高級ホテル(たとえばアメリカ大統領とか海外の来賓(らいひん)が来日したときに宿泊するようなホテル)などの広間をレンタルイベント会場として借りようとすると、調べた限りでは値段が見つからないのですが、たぶんもう数百万円とか掛かると思います


まあ、土日のレンタルはともかく高いので、かといって平日の朝9時~午後5時までだと学生は授業で、サラリーマンは仕事でいけないので、なので平日の夜中にレンタル、というナイト時間帯のレンタル会場の市場もあります。 ただし、平日の昼間よりも割増です。

高校受験の学校説明会でも、「ナイト説明会」とかあります。土日の昼間にこれない人のため(子どもが行けても母親が行けなかったりする)、ナイト説明会というのがあり、だいたい午後6時~8時くらいのイベントです。

このナイト説明会も、外部のイベント会場を借ります。防犯上の問題があるので、夜中に学校に部外者を入れたくありません。あくまで、受験生はまだ部外者です。

なお、このナイト説明会は、私立高校の説明会でも、公民館とか借りれたりします(なので、優遇されている)。


ともかく、小中高の子供は、児童福祉法とかで、学業に専念できるように、かなり優先的に配慮されています。


そうそう、公民館とかの学生の演奏などの公演を見に行くと、たとえば演奏終了後などにアナウンスで「次の演者以外は、楽屋に入らないでくささい。OB・OGでも入らないでください」などと言われる場合もあります(言わない公民館やイベントもある)。

なぜこういうアナウンス文章が作られたかと言うと、つまり、楽屋に入ってしまう保護者やOB・OGがいるわけです。「応援!」とかのつもりで楽屋に入って、演者たちの成長の邪魔をしてしまう困った保護者やOB・OGがいるのです。

子供や後輩などを口実に、さみしさを紛らわすのはやめましょう。あなたの孤独をいやせるのは子どもではない。あなた自身で知りなさい。


学校行事とは別に追加で美術館を見に行く「体験」とか、優先順位は低いでしょう(どうしても見に活きたければ行けばいいと思いますが)。学校の修学旅行かなんかで東京にでも行ったときに美術館やら博物館やらに行けば十分でしょう。そもそも高校あたりで「芸術鑑賞債」という国からの補助金の出るイベントがすでに平成時代からあり、普通に公立学校の生徒でも教員に引率されて見に行ってます。

そもそも自治体の公民館とかが何のためにあるのか理解しているのでしょうか。あと、東京都の人がイラストレーター就職などに有利なのは、単に家賃を掛けずに職場に勤務できるから低賃金でも就職しやすいというダンピング構造なのであって、鑑賞の「体験」とかは関係ないですねえ。

日本の公立小学校とかにも、年に1回、地元の劇団とか楽団とか来て体育館などで公演するのを、その小学校の低学年の生徒児童が体育館で見させられると思いますが。最近は自治体は財政難なので様子はもしかしたら違うのかもしれませんが、少なくとも昭和の時代の日本の小学校はそうでした。朝鮮学校とかの非・一条校はどうか知りません。

ほか、田舎の戦後設立の私立学校が、昭和時代の創設当初に普通科ではなく美術科とか音楽科とか作っても生徒が集まらずに、仕方なく平成時代に改革して進学校になって今や道州内でも有名な進学校・受験校になった悲哀とか、美術館の「体験」とか言ってる偽善者には分からんのでしょう。

参考文献

出典など

美術史

書籍

  • スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房
  • 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、
  • 早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、
  • 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、
  • アントニー・メイソン『名画で見る世界のくらしとできごと  想像と個性の競演 モダン・アートのはじまり』、国土社、2004年2月25日 初版 第1刷 発行

技法書・教本

デッサン技法書

  • 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行
  • 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行
  • アトリエ・ハイデ編『デッサンの基本』、ナツメ社、2009年7月7日 初版 発行
  • 『鉛筆デッサンの基本』、遊友出版、2004年8月20日 発行
  • バート・ドットソン 著『デッサンの55の秘訣』、田辺晴美 訳、マール社、2018年2月20日 第2刷 発行

水彩画の技法書

  • 小林啓子 著『いちばんていねいな自然の風景の水彩レッスン』、日本文芸社、2016年5月31日 第1刷発行

色鉛筆画の木奉書

  • 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行

その他の技法書・教本

  • 西澤晋『リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座』 (漫画の教科書シリーズ No.03) 、誠文堂新光社、2009年7月31日発行(※ アニメーター向けのドローイング技法書)
  • バート・ドットソン 著『デッサンの55の秘訣』、田辺晴美 訳、マール社、2018年2月20日 第2刷 発行(※ アメリカの漫画家・アニメーター向けのドローイング技法書)

その他

  • 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行
  • 『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策』アーティゾン美術館 東京都、
  • 雑誌『芸術新潮 2022年 7月号』、新潮社、P.142 、『千住博の往復書簡 第48回』
  • 村上隆の芸術闘争論#2 日本の美術教育はどう特殊なのか(vs森川嘉一郎) 投稿日時 2010/12/03 17:11、2021年9月8日に確認
  • 室井康夫 著『アニメ私塾流 最高の絵と人生の描き方 添削解説80例付き』、エクスカレッジ、2019年12月17日 初版 第1刷発行
  • 高等学校情報科「情報Ⅱ」教員研修用教材 第1章 - 20200609-mxt_jogai01-000007843_002.pdf 『情報社会の進展と情報技術』 P40、2021年9月8日に確認
  • 最近のものだと、たとえば 日本文教出版 (令和4年度新版教科書)「高校美術」 村上隆「五百羅漢」 (2022年1月7日に確認)
  • ページ『掲載作家一覧 | 現行版 美術1 | 高等学校 美術 | 光村図書出版』、 2022年1月7日に確認.
心理学

webサイト


脚注など

  1. ^ 『鉛筆デッサンの基本』、遊友出版、2004年8月20日 発行、P24
  2. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P20
  3. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P20
  4. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P21
  5. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P13
  6. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P37
  7. ^ 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.81
  8. ^ 早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P.140、
  9. ^ 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.110
  10. ^ [https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2018/01/size_perception.pdf 『臨床心理士』「大きさ知覚 人の見方はカメラとは違う」2015/06/17、2022年10月23日に確認.
  11. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P37
  12. ^ 『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策』アーティゾン美術館 東京都、
  13. ^ 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.95
  14. ^ 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、、P.5
  15. ^ 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、、P.5
  16. ^ 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.67
  17. ^ たとえば、 早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P15、
  18. ^ 早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P15、
  19. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P26
  20. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P106
  21. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P29
  22. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P106
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  25. ^ 小林啓子 著『いちばんていねいな自然の風景の水彩レッスン』、日本文芸社、2016年5月31日 第1刷発行、P11
  26. ^ 小林啓子 著『いちばんていねいな自然の風景の水彩レッスン』、日本文芸社、2016年5月31日 第1刷発行、P11
  27. ^ 小林啓子 著『いちばんていねいな自然の風景の水彩レッスン』、日本文芸社、2016年5月31日 第1刷発行、P14
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  33. ^ 小林啓子 著『いちばんていねいな自然の風景の水彩レッスン』、日本文芸社、2016年5月31日 第1刷発行、P106
  34. ^ 小林啓子 著『いちばんていねいな自然の風景の水彩レッスン』、日本文芸社、2016年5月31日 第1刷発行、P94
  35. ^ 小林啓子 著『いちばんていねいな自然の風景の水彩レッスン』、日本文芸社、2016年5月31日 第1刷発行、P94
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  39. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P92
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  41. ^ 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.125
  42. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P24
  43. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、P12 ※ 寝そべって逆さまになった顔のクロッキー
  44. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、巻頭『はじめに』
  45. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、P17 ※ 『修正』の書き手をえがいたイラストでは、消しゴムを使っている
  46. ^ アトリエ・ハイデ編『デッサンの基本』、ナツメ社、2009年7月7日 初版 発行、P3
  47. ^ アトリエ・ハイデ編『デッサンの基本』、ナツメ社、2009年7月7日 初版 発行、P61 ※ 卵のデッサンの輪郭線で2B使用
  48. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P8
  49. ^ アトリエ・ハイデ編『デッサンの基本』、ナツメ社、2009年7月7日 初版 発行、P9
  50. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、P58
  51. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、P59
  52. ^ 山崎正明『中学校美術 指導スキル大全』、明治図書、2022年5月初版第1刷刊、P101
  53. ^ 山崎正明『中学校美術 指導スキル大全』、明治図書、2022年5月初版第1刷刊、P101
  54. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P8
  55. ^ 『鉛筆デッサンの基本』、遊友出版、2004年8月20日 発行、P14
  56. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P8
  57. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、P33
  58. ^ バート・ドットソン 著『デッサンの55の秘訣』、田辺晴美 訳、マール社、2018年2月20日 第2刷 発行、P66
  59. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P92
  60. ^ アトリエ・ハイデ編『デッサンの基本』、ナツメ社、2009年7月7日 初版 発行、P130
  61. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P92
  62. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P92 ※ 文章では説明してないが、掲載の絵を見ると、アタリでは指の1本1本は描いていない
  63. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、P37
  64. ^ アトリエ・ハイデ編『デッサンの基本』、ナツメ社、2009年7月7日 初版 発行、P130
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  71. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P92
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  73. ^ 上田耕造 著『イチバン親切なデッサンの教科書』、新星出版社、2018年4月15日 初版発行、P37
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  77. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P27
  78. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P92 ※ 白い上着を着た女性のデッサンで、似たような対策でアタリを攻略してる
  79. ^ 浅井琢磨 監修『基礎を知り、表現を磨く 人物デッサンの教科書』、池田書店、2018年4月25日 発行、P92 ※ 白い上着を着た女性のデッサンで、似たような対策で影を攻略してる
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  105. ^ 『芸術新潮 2022年 7月号』、新潮社、P.142
  106. ^ 『芸術新潮 2022年 7月号』、新潮社、P.142
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