ガリア戦記/参照画像一覧
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『ガリア戦記』対訳本文中で参照した画像の一覧。
全般
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1783年刊行の『ガリア戦記』と『内乱記』
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カエサル(右)と対面するウェルキンゲトリクス(左)(1899年、Lionel-Noël Royer画)
第1巻
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ガリア戦記 第1巻の情勢図(BC58年)。黄色の領域がローマ領。
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カエサル (左側中央)がアラル川 (Arar、ソーヌ川) でヘルウェーティイー族 Helvetii を破った後、その使節ディーウィコー Divico (右側中央) と会見した場面 (第1巻13節~14節)。
19世紀スイスの画家 Karl Jauslin (1842-1904)による歴史画。ヘルウェーティイー族はスイス人のルーツとみなされるため、ディーウィコーも歴史的英雄として凛々しい姿で描写されている。
第2巻
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ガリア戦記 第2巻の情勢図(BC57年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。 -
ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路。
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フランスのラーンス市(Reims)に残る、帝制ローマ期(3世紀)の軍神マルスの凱旋門(Porte de Mars)。
レーミー族 Rēmī(仏 Rèmes)は、ラーンス(Reims)近辺にいた部族で、都市名 Reims も部族名に由来する。同市のラテン語名は Durocortorum だが、これは彼らの首邑のラテン語名 Durocortorum である。 -
後1世紀頃のレーミー族市民のポートレート。ラーンス市のサン=レミ博物館(Musée Saint-Remi de Reims)所蔵。
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キンブリ・テウトニ戦争の遠征路。
ベルガエ人は、両部族の侵攻を撃退した。 -
ローマ人に支配される前のブリタンニア島南部の部族分布図。Belgae, Atrebates などの名がある。
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ベルガエまたはガッリア・ベルギカ(Gallia Belgica)の部族と首邑の配置図。
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アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図
(British Library HMNTS 9041.h.7.)
※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐(Eugène Stoffel:1821-1907)の説によるもので[1][2]、これが有力な説となっている。
図中の Berry-au-Bac, Condé-sur-Suippe, Guignicourt, Pontavert(以上エーヌ県)並びに Gernicourt(マルヌ県)は、近現代の自治体名。 -
アクソナ河畔においてローマ・ベルガエ両軍が布陣したと考えられている現在のエーヌ県ベリ=オ=バク(Berry-au-Bac)の地図。左図の中央部に対応する(Google Map)。
当地は、レーミー族の首邑があったランス市の市街地から北西へ約19km、徒歩4時間ほど、自動車で20分強[3]。 -
ビブラクス(Bibrax)の遺構と考えられている「ラン旧市街(Vieux-Laon)」の復元図。
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ビブラクス(Bibrax)と考えられている古代ローマ時代の遺構「ラン旧市街(Vieux-Laon)」が残る仏エーヌ県の村落サン=トマ(Saint-Thomas)の郊外(Google Map)。
エーヌ県ラン市(Laon)から東南東へ約19km、徒歩約4時間、車で30分ほど。レーミー族の首邑があったマルヌ県ランス市から北西へ約32km、徒歩約7時間、車で約40分。戦場と考えられる自治体ベリ=オ=バク(Berry-au-Bac)から北西へ13km前後、徒歩3時間弱、車で約14分。カエサルの記述とおおむね合致する。 -
トラヤヌスの記念柱(113年)に描写されたローマ軍の兵器バリスタ(またはスコルピオ)。
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ローマ軍の巻揚げ式射出機バリスタ(またはスコルピオ)の復元例。
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アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図
(前掲 British Library HMNTS 9041.h.7. の拡大図)
※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐(Eugène Stoffel:1821-1907)の説によるもの[1][2]。
現在モシャン(Mauchamp)と呼ばれている集落(図中の右上)のある小高い丘陵にカエサル麾下ローマ軍の陣営(Roman camp)が築かれて、その両隅から突き出した堀の両端にそれぞれ小さい砦(Fort)が置かれ、アクソナ川の支流(Miette R.)の北岸に野営するベルガエ人の軍勢(Belgic Host)に対してローマ軍(Roman Army)6個軍団が布陣している。その南方にある橋をカエサルの副官サビーヌス率いる6個歩兵大隊が守備する(Camp of Sabinus)(#5節)。 -
ミエット川(la Miette)
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戦場となったベリ=オ=バク(Berry-au-Bac)は現在も沼地(水色の部分)が多い。
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ベルガエ勢が渡河をめざしたのは、現在のポンタヴェール(Pontavert)の辺りと思われる。
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アクソナ川の戦いにおける両軍の布陣図。
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同じくスピール村に設立された第一次大戦の戦死者のための国立戦没者墓苑。
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スエッスィオーネース族 Suessiones の名が訛ったソワソン市(Soissons)に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市アウグスタ・スエッスィオーヌム(Augusta Suessionum)が建設され、やがてソワソン王国の都として栄えて今日に至る。
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vinea の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。
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城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた
土塁 の復元画。左上には、両軍の攻城櫓 が描かれている。 -
ベッロウァキー族(Bellovaci)の名を伝えるボーヴェ市(Beauvais)に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市カエサロマグス(Caesaromagus)が建設され、「ベッロウァキー族の都市」を意味する別名キーウィタース・ベッロウァコールム(civitas Bellovacorum)またはベッロウァクム(Bellovacum)とも呼ばれ、その名が訛って今日のボーヴェに至る。
ベッロウァキー族は、ローマ人の軍門に降った後、彼らの本拠ブラトゥスパンティウムからカエサロマグスに移住させられたため、ブラトゥスパンティウムがどこにあったのか、(ボーヴェの近くと思われるが)正確な位置は不明である。 -
ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路図。アンビアーニー族とネルウィイー族の領土は離れているように見える。
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サビス川の戦いにおける布陣図(左)と戦況図(右)。
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古代ローマ時代のラッパ(Roman tuba)
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カエサルから激励を受ける軍団兵。
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ローマ軍のピールム(投槍)。
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グラディウス (長剣)を構えるローマ兵。
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ローマ式陣営(castra Romana)の概略図。7が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
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古代ローマ時代の、首根っこを互いにつながれて苦役に従事させられる奴隷たち。
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ローマ軍に滅ぼされたキンブリ族。
フランスの画家アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカンによる『キンブリ族の敗北』(«La défaite des Cimbres» par Alexandre-Gabriel Decamps ) -
城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた
土塁 の上り坂を登り切って城壁に近づいた攻城櫓 (再掲)。 -
盾や槍などで武装したガッリア人の再現例。
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『競売で売られたアドゥアトゥキー族』(Les Aduatiques Vendus à l'Encan)
ベルギー出身の画家レミー・コッヘ(Rémy Cogghe (1854–1935))による1880年の作品(複製・部分)。
第3巻
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ガリア戦記 第3巻の情勢図(BC56年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。 -
現在のグラン・サン・ベルナール峠。ラテン語では Porta Magni Sancti Bernardi という。
スイスを縦断する欧州自動車道路 E27 がレマン湖からこの峠を通ってイタリアのアオスタへ至る。 -
カティリーナの誓い(Le Serment de Catiline)
ジョゼフ=マリー・ヴィアン画(1809年)。
カティリーナと共謀者たちは、人間の血を混ぜたワインを飲んで誓いを立てる儀式を行なったと伝えられている。 -
カティリーナの遺骸の発見
(Il ritrovamento del corpo di Catilina)
Alcide Segoni 画(1871年)
アッロブロゲース族のいるガッリアへ向かおうとしていたカティリーナは、ピストリア(Pistoria)の戦い(Battle of Pistoia)で戦死した。 -
オクトードゥールス(Octodurus)、すなわち現在のマルティニー市に遺る帝制ローマ時代の円形競技場。オクトードゥールスは、Forum Claudii Vallensium と改称され、クラウディウス帝によって円形競技場が建てられた。
(Amphithéâtre de Martigny 等の記事を参照。) -
ある日(24時間)の潮位予測グラフの例(2012年、オランダ北海沿岸のエイマイデン)。
満潮や干潮は、約12時間の周期で繰り返されることが多いため、たいてい1日2回ずつ生じる。 -
ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)一つの帆をもつ帆船の例
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ウェネティー族の船の再現画(左下に兵士の大きさが示されている)二つの帆をもつ帆船の例
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古代ローマの軍船(ガレー船)の構成
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aluta (なめし皮)
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海戦において敵船に接舷するために用いられていた、多数の
鉤 を備えた銛 の一種(英語 grappling hook)。
『内乱記』第1巻57節、第2巻6節においても、D.ブルートゥスによるマッシリア攻囲の海戦の場面で、同様の鉤について言及される。 -
破城鎌の復元画の例
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葉冠を頭にかぶせられ、ローマの奴隷市場で競売に懸けられる女性奴隷。
フランスの画家ジャン=レオン・ジェロームが1884年に描いた歴史画「ローマの奴隷売却」(Vente d'esclaves à Rome)の一部分。 -
サビーヌスのウネッリー族・レクソウィイー族への遠征経路。
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クラッススのアウィタニア遠征の経路。
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BC200年頃のイベリア半島の民族分布。朱色の部分にアクィタニア人の諸部族が居住していた。
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ローマ式陣営(castra Romana)の概略図(再掲)。7が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
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クラッススのアウィーターニア遠征図(再掲)
Tarbelli, Bigerriones, Tarusates, Elusates, Ausci, Cocosates の名が見える。 -
アクィーターニアからイベリア半島にかけての部族配置図。
Tarbelli, Bigerrones(Bigerriones), Elusates, Ausci, Sibuzates の名が見える
第4巻
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ガリア戦記 第4巻の情勢図(BC55年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。 -
古代ローマ期のゲルマーニアを描いた近代の地図。
出典:Gustav Droysens Allgemeiner historischer Handatlas, Velhagen & Klasing 1886.
(『グスタフ・ドロイゼンの一般歴史地図帳』1886年 ) -
古代ローマ期のゲルマーニアを描いた近代の地図。
出典:A Classical Atlas of Ancient Geography by Alexander G. Findlay. New York, Harper and Brothers, 1849. -
1世紀頃のゲルマーニア西部のおもな部族配置図。
赤色で記された Marcomanni(マルコマンニー)、Semnones(セムノネース族)、Lombards(ランゴバルド)などがスエービーと呼ばれた諸部族。
紫色で記された Chatti(カッティー族)、Cherusci(ケールスキー族)、Hermunduri(ヘルムンドゥリー族)は IrminonesまたはHerminones などと呼ばれる部族グループ。
黒字で記された残りの部族名の中に『ガリア戦記』で言及された Ubii(ウビイー族)、Usipii (Usipetes)(ウスィペテス族)、Tencteri(テンクテリー族)が見られることから、Chatti(カッティー族)と比較的近いことが見て取れる。 -
メナピイー族の復元住居(ベルギーのDestelbergen)
レーヌス(ライン川)の架橋
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(i) 根元の先を尖らせた太さ約44cmの材木を2本用意する。
(ii) 2本を約59cmの間隔をあけて板などで固定する。
(iii) 一対の材木を川の中に挿し入れて杭打ち機で押し込む。 -
カエサルがレーヌス架橋工事に用いた杭打ち機の復元模型
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(iv) 橋杭を斜めに傾ける。
約12m離してもう一つ設ける。
(v) 二つの橋杭の上に、太さ約59cmの材木を、梁として渡して接合する。 -
左の復元図では、木造の
桁橋 は構造上安定せず、軍隊の重さで潰れてしまうと考えられる。
そこでホームズ(T. Rice Holmes)は、建築家の助力を得て、ブレース(筋交 い)で橋杭を支える案を提唱した。これが右の復元図である。 -
(vi) 梁の上に、さらに材木(図中の丸印)を
橋桁 として渡して、橋脚どうしをつなぐ。
その上に柴(図中の緑色部分)などを敷く。
橋を障害物から防護するために、
下流側にはさらに杭を立て掛けて支える。
(後述の «sublicae ~ oblique agebantur» 参照)
上流側の川底にも杭を打つ。 -
左の復元図では、上述のように安定しないと考えられる。
そこで同様にブレース(筋交い)で橋杭を支える案が、右の復元図である。 -
(vii) 桁橋を側面から見た復元例
(材木を1本ずつ立て掛けた場合)。 -
レーヌス(ライン川)架橋工事の想像画。
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レヌス川に架けた橋を渡るローマ軍。 1814年、建築家ジョン・ソーン(John Soane)による想像画。
第一次ブリタンニア遠征
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ローマ時代のブリタンニア島
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ドーバー海峡を航海中のカエサルを描いた後世の戯画。
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古代ローマの軍船(再現模型)
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ローマ軍の上陸を鼓舞する鷲の徽章の旗手(想像画)
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ケルト式二輪戦車の再現(1986年、スイス)
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水牛の首に掛けられたくびきと、後ろの車とをつなぐ長柄の例。
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湖沼の旱魃の例(米カリフォルニア)
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メナピイー族の復元住居(再掲)
- ライン架橋図
- ファイル:Caesar's Rhine bridge construction-01.svg
- ファイル:Caesar's Rhine bridge construction-02.svg
- ファイル:Caesar's Rhine bridge construction-02 (brace version).svg
- ファイル:Caesar's Rhine bridge construction-03.svg
- ファイル:Caesar's Rhine bridge construction-03 (brace version).svg
- ファイル:Caesar's Rhine bridge construction-04.svg
- ファイル:Caesar's Rhine bridge construction-04 (with crossed stakes).svg
第5巻
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ガリア戦記 第5巻の情勢図(BC54年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。 -
トレーウェリー族の再現された住居(Altburg)
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アルドゥエンナ(アルデンヌ)の森林地帯
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イティウス港の所在地として、ブーローニュとともに有力な候補であるウィサント(Wissant)
第二次ブリタンニア遠征
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鉄器時代後期のブリテン島南部の部族の配置。
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カエサルの第二次ブリタンニア遠征の経路。
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大陸側から見えるブリタンニアの海岸
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ローマ人の大艦隊を見て断崖絶壁の上に身を隠したブリタンニア人たちの想像画
(A.S. Forrest画、1905年。H.E. Marshall: "Our Island Story" の挿絵)。 -
ストゥール川(Stour)の支流の一つ
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ローマ軍の亀甲隊形(テストゥド)
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防壁(図中の左端)を攻略するために築かれた
土塁 の復元画(再掲)。 -
カッスィウェッラウヌス(Cassivellaunus)の近代の想像画。
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古代ブリタンニア南部の部族分布。大陸と同じ部族名が見られる。
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再現されたケルト系部族の住居(英ウェールズのセント・ファガンズ国立歴史博物館内)。
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再現されたケルト系部族の集落(英ウェールズのセント・ファガンズ国立歴史博物館内)。
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トリノウァンテース族(後出)の青銅の貨幣。
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ガッリアから輸入された鉄器時代の金貨(大英博物館 Room 50所蔵)。
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ヨーロッパノウサギ(英ケント州)。ヨーロッパに広く生息するが、ブリテン島では外来種とされている。
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雌鶏(右)と雄鶏(左)。
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モナ島(マン島)は、ブリタンニア島(右)とヒベルニア島(左)の間に位置する。
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冬至のラテン語による図解。
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水時計の例
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ほぼ同時代のギリシア人地理学者ストラボーンの記述に基づくヨーロッパの地図。中央に三角形のブリタンニア島(Brettania)が見える。ヒベルニア島=イエルネ(Ierne)の位置が北方へずれていることなどを除けば、本節の記述とおおむね合致する。
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現在のケント州の位置
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ホソバタイセイ(学名 Isatis tinctoria)の黄色い花。
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ホソバタイセイから作られた藍色の染料。
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陣営の近くで歩哨に立つローマ軍団兵たち。
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後にカトゥウェッラウニー族(Catuvellauni)として知られることになる部族の推定される版図
(地図の赤い部分)。
イングランド南東部などのうち、大ロンドンの北に隣接していた旧ミドルセックス州(現在のハートフォードシャー州辺り)、北西に広がるバッキンガムシャー州などを含む。
カエサルはカッスィウェッラウヌスの出身部族についても、上の部族名にも言及していないが、やがてローマ帝国軍と戦うことになる、その部族が該当すると考えられている。 -
ロンドン西部のブレントフォードにある記念碑。
"B.C. 54 at this ancient fortified ford, the British tribesmen under Cassivellaunus bravely opposed Julius Caesar on his march to Verulamium."
(紀元前54年、この古代の要塞化された浅瀬で、カッスィウェッラウヌス麾下のブリテン部族民が、ウェルラミウム[14]へ行軍する途上のユーリウス・カエサルに勇敢に立ち向かった。)
と刻まれている。 -
テムズ川上流地域に広がる森林と平原
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同じくテムズ川上流地域の森林から平原を眺める
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カエサルがカッスィウェッラウヌスを破ったと推定される城砦跡の記念碑。
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左と同じカッスィウェッラウヌス城砦跡の一部分
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カエサルの第二次ブリタンニア遠征の経路(再掲)。左上の赤い×印の地でカエサルと戦っている間に、カンティウム勢が右下の赤い■印の地を急襲した。
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凪の海に浮かぶ船の光景
(エドゥアール・マネ画)
アンビオリークスとエブローネース族の蜂起
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サマロブリーウァ(Samarobriva)すなわち現在のアミアン市の位置。
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スイスのバーゼル市にあるプランクスの像
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パドゥス川(現在のポー川)
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カルヌテス族(Carnutes)の名を残す仏シャルトル(Chartres)市街の原野からの眺望
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プランクスの像。前掲と同じもの。
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百人隊長(ケントゥリオ)の再演。
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トンゲレン市街の南を流れる川(Jeker)。本節の峡谷に相当すると思われるもの。
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鷲の徽章の旗手(アクィリフェル)を先頭に行進するローマ兵たちの再演(帝政期のAD70年頃のもの)
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ローマ軍団の鷲の徽章(再掲)
ネルウィイー族らベルガエ人同盟の蜂起
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アンビオリクスがローマ軍に勝利したアドゥアトゥカの戦い直後の情勢図
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ローマ軍の防備の再現。3基の櫓(turris)と、その間に凹凸形に編み込まれた柴の壁(pinnae loricaeque ex cratibus)が見える。
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ローマ軍の攻城機械。右上に攻城櫓(tower)、左上に亀甲車(testudo)が見える。
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破城鎌(falx)の想像画
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攻城櫓(turris)の例。絵は中世イギリスの物だが、古代ローマの物とあまり違わないと思われる。
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キケローを支援するカエサルと軍団の情勢図。カエサルは、本営サマロブリーウァ(Samarobriva)をクラッススに委ね、ファビウスとトレボニウスの軍団とともに東進。ラビエーヌスはトレーウェリー族を迎撃。
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ギリシア文字で刻まれたガッリアの碑文
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投槍(tragula)を持ったガリア人騎兵を復元した人形
インドゥーティオマールスとトレーウェリー族の蜂起
[編集]第6巻
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ガリア戦記 第6巻の情勢図(BC53年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。 -
グナエウス・ポンペイウスの胸像。カエサルおよびマルクス・クラッススとともに三頭政治を行ない、共和政末期のローマを支配した。この巻の年にクラッススが戦死し、ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘ユーリアが前年に病没、三頭政治は瓦解して、やがて内戦へ向かう。
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ポンペイウス劇場の復元図。ポンペイウスの名を冠したこの劇場は、彼が執政官であった紀元前55年頃に竣工し、当時最大の劇場であった。
伝記作家プルータルコスは以下のように伝えている[15]:「クラッススは執政官の任期が切れるとすぐに属州へと出発したが、ポンペイウスはローマで劇場の開館式や奉献式に出席し、その式にはあらゆる競技・ショー・運動・体操・音楽などで人々を楽しませた。野獣の狩猟や餌付け、野獣との闘いもあり、500頭のライオンが殺された。しかし何よりも、象の闘いは、恐怖と驚きに満ちた見世物であった」と。
カエサルの最期の場所でもあり、血みどろのカエサルはポンペイウスの胸像の前で絶命したとされている。 -
ルテティア周辺の地図(18世紀頃)
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復元されたメナピイー族の住居(再掲)
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トレーウェリー族の城砦跡(再掲)
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ピールム(投槍)を投げるローマ軍兵士(帝政期)の再演
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トレーウェリー族の再現された住居(再掲)
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トレーウェリー族(Treveri)の名を現代に伝えるドイツのトリーア市(Trier)に残るローマ時代の浴場跡
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現代イギリスのドルイド教復興主義者たち
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ギリシア文字で刻まれたガリアの碑文
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古代以来の伝統的な世界観における天空と平らな大地。カルデアやギリシアを除けば、丸い地球という観念は知られていなかった。
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二頭立て二輪馬車(戦車)に乗るガリア人像(仏・ラン博物館)
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柳の枝で編んだ巨人ウィッカーマン(Wicker Man)の想像画(18世紀)。この特異な風習は、近代になって人々の興味をかき立て、いくつもの想像画が描かれた。1973年にはイギリスで映画化され、2006年にはアメリカなどでも映画化された。
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スコットランドの野外博物館で燃やされるウィッカーマン(2008年)
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ガリアの雷神タラニス(Taranis)の神像(フランス国立考古学博物館)。雷を司ることからローマ神話のユピテルと同一視された。左手に車輪、右手に稲妻を持っている。
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ガリアの神ケルヌンノス(Cernunnos)の神像(フランス国立考古学博物館)。
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ケルト文化の広がり(BC800年~BC400年頃)。ケルト系部族の優越は、鉄器文化の発達などによると考えられている。
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エラトステネスの地理観を再現した世界地図(19世紀)。左上に「Orcynia Silva(オルキュニアの森)」とある。
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ヘルキュニアの森林地帯(ドイツ南西部、シュヴァルツヴァルトの森の最高峰フェルドベルク山 Feldberg の眺望)
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トナカイ(Rangifer tarandus)。発達した枝角を持ち、雌雄ともに角があるという特徴は本節の説明に合致している。が、角が一本ということはないし、野生のトナカイは少なくとも現在では極北の地にしか住まない。
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ノロジカ(Capreolus capreolus)。
ヨーロッパに広く分布する小鹿で、まだら模様で山羊にも似ているので、本節①項の説明と合致する。しかし、関節はあるし、腹ばいにもなる。 -
ヨーロッパバイソン(Bison bonasus)。
かつてヨーロッパに多数生息していた野牛で、相次ぐ乱獲により野生のものは20世紀初頭にいったん絶滅したが、動物園で繁殖させたものを再び野生に戻す試みが行なわれている。 -
疾走するバイソン
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酒杯として用いられた野獣の角。銀で縁取りされている。
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帝政期に用いられた軍旗(ウェクスィッルム)の一種を再現したもの。
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ローマ式陣営(castra Romana)の概略図(再掲)。7が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
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楔(くさび)の図。本節で述べられているのは、ローマ勢が楔(図の黒い部分)のように突撃することにより、敵を中央突破しようという戦術であろう。
第7巻
[編集]ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起
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ガリア戦記 第7巻の情勢図(BC52年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。 -
グナエウス・ポンペイウスの胸像。クロディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、元老院によりポンペイウスが単独の執政官に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。
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ウェルキンゲトリクスの立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ Alise-Sainte-Reine)。
近代ナショナリズムの高揚とともにフランス国民が自らを古代ガリア人の末裔と見なすようになると(ガリア起源説)、ガリア諸部族を率いて古代ローマと戦った彼は「フランス最初の英雄」として祀り上げられた。第二帝政期に皇帝ナポレオン3世の命によりアレスィア古戦場の発掘調査が実施され、1865年にはその地に彫刻家エメ・ミレ(Aimé Millet)による高さ7メートルの銅像が建立された。
(fr:La statue de Vercingétorix) -
ウェルキンゲトリクスの騎馬像(fr)。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、クレルモン=フェラン市中央広場に建つ。1903年に、自由の女神像の作者として著名な彫刻家フレデリク・オーギュスト・バルトルディによって建立された。フランス語で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。
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グナエウス・ポンペイウスの立像(ワルシャワ王宮)。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の執政官として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。三頭政治後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。
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ナルボ(Narbo)すなわち現在のナルボンヌ市(Narbonne)の街並み。ローマ人がドミティア街道の拠点として植民市コロニア・ナルボ・マルティウス(Colonia Narbo Martius)を建設し、後にはローマ内乱のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、属州名もガリア・ナルボネンスィスに改められたほどである。
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フランスにおける中央高地(Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
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城壁のように続くケウェンナ(セヴェンヌ)山地の断崖
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前節までのカエサルのナルボからアゲディンクムへの進路(青線)およびウェルキンゲトリクスの進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアルウェルニ族の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリクスを引き寄せ、その間にブルゴーニュに冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリクスはボイイ族を攻めようとする。
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ウェッラウノドゥヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネス族の城市ウェッラウノドゥヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在のサンス)とケナブム(現在のオルレアン)の中間地点であると考えられることから、モンタルジ(Montargis)、ボーヌ=ラ=ロランド(Beaune-la-Rolande)やシャトー=ランドン(Château-Landon)などが候補地に挙げられている。
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城市ノウィオドゥヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されているロワール=エ=シェール県のヌン=スュル=ブーヴロン(Neung-sur-Beuvron)のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイ族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現オルレアン)の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥヌムであると推定されている。上空からは、ガリア時代の城市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。
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ノウィオドゥヌムに至るカエサルの進路(青線)およびウェルキンゲトリクスの進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥヌム、ケナブム、ノウィオドゥヌムを続けて降し、ボイイ族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリクスもノウィオドゥヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。
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ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイ族の首邑ゴルゴビナは、ニエーヴル県のサン=パリーズ=ル=シャテル(Saint-Parize-le-Châtel)あるいはシェール県のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ(La Guerche-sur-l'Aubois)の近辺にあったと推定されている。
アウァリクム攻略戦
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アウァリクム(Avaricum)すなわちビトゥリゲス族(Bituriges)の名を残すともいわれる現在のブールジュ(Bourges)のサン=テティエンヌ大聖堂(世界遺産)。この街はガリア時代からこの地方の中心的な城市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。
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アウァリクム、すなわち現在のブールジュ市(Bourges)のあるフランス・シェール県の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ(La Guerche-sur-l'Aubois)の近辺にボイイ族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣のニエーヴル県(Nièvre)がハエドゥイ族の版図であった。
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アウァリクム攻略戦の布陣図(イタリア語)。中央がアウァリクム(AVARICUM)、右下の赤枠内がカエサルと8個軍団の陣営、赤い矢印の先端がローマ軍の土塁。左上の楕円形がウェルキンゲトリクスが移動させた陣営。
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ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの仏国立図書館貨幣部蔵)
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破城鎌(falx)の想像画(再掲)
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ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの仏国立図書館貨幣部蔵)
ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)のピュイ=ド=ドーム県県道978号(D978)からの眺望。19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。
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ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城市に隣接してガリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀のストッフェル大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche-Blanche)だと考えられている。
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)の全景(南方のル・クレスト Le Crest から撮影)。
画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche-Blanche)の丘陵が見える。
本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。
これらの位置関係の推定は、19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。 -
ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche-Blanche)の丘陵
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)で発掘された城壁の遺構。
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ゲルゴウィア(Gergovia)すなわち現在のジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)の遠景(南方のル・クレスト Le Crest から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ(La Roche Blanche)の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。
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ゲルゴウィア戦勝記念碑。1903年にクレルモン=フェラン市出身の建築家ジャン・テラール(Jean Teillard)が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄ウェルキンゲトリクスに捧げるためにジェルゴヴィ高地(Plateau de Gergovie)に建立したものである。
アレスィア攻囲戦
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アレスィア古戦場であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村(Alise-Sainte-Reine)近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にあるウェルキンゲトリクス像(Statue de Vercingétorix)。Googleマップの航空写真にもこの巨像が写っている。
当地はフランス東部ブルゴーニュ地方コート=ドール県(Côte-d'Or)のオソワ地域(L'Auxois)にあり、県都ディジョン市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(Venarey-les-Laumes)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。
オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ(Sainte Reine 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。 -
アレスィアにあったローマ時代のフォルム(広場)やバシリカ(教会堂)などと思われる遺跡(Googleマップの航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所にオッピドゥム(城市)があったと思われる。
上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。
『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。 -
ウェルキンゲトリクスの立像(パリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レー Saint-Germain-en-Laye)。アレスィア古戦場(現在のアリーズ=サント=レーヌ)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ(Aimé Millet)によって建立された。
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二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図(ヴィオレ=ル=デュク著『中世フランス建築体系辞典』(s)より)。
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アレスィア古戦場跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。
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アレスィア古戦場跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。
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サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図(ヴィオレ=ル=デュク著『中世フランス建築体系辞典』(s)より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。
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鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図(ヴィオレ=ル=デュク著『中世フランス建築体系辞典』(s)より)。
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アレスィア古戦場跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。
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アレシアの戦いにおける攻囲陣地の構成(図の説明はイタリア語)。
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「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリクス」
“Vercingétorix se rendant au camp de César”、
アンリ=ポール・モット(Henri-Paul Motte)画、1886年。
ル・ピュイ=アン=ヴレのクロザティエ美術館(Musée Crozatier au Puy-en-Velay)蔵。(作品そのものはカラー) -
「ウェルキンゲトリクスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ(Lionel-Noël Royer)
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オータン市に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。ビブラクテを首邑としていたハエドゥイ族は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「アウグストゥスの砦」を意味するアウグストドゥヌム(Augustodunum)を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。
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クレルモン=フェラン市の街並み。ローマに降伏したアルウェルニ族は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期にアウグストゥスに由来するアウグストネメトゥム(Augustonemetum)に改称して、クレルモン教会会議が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。
第8巻
[編集]-
ガリア戦記 第8巻の情勢図(BC51年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
題字
[編集]その他・未使用画像
[編集]- 全般
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ガリア戦争 直前のガリア情勢図(BC59年)。
黄色の領域がローマ領。 -
ガリア戦争 直後のガリア情勢図(BC50年)。
黄色の領域がローマ領。 -
ガリア戦争直前のローマ周辺図(BC58年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
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ガリア戦争直後のローマ周辺図(BC50年)。緑の領域がケルト系部族の居住地、黄色の領域がローマ領。
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ガッリアの地図(SVG)
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ガッリアの現代の地形図
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ガッリアの地形図
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カエサルの胸像
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カエサルの胸像
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ローマ軍の陣営の模型
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ローマ軍の陣営の模型
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ローマ軍の塁壁の再現例
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櫓の再現例
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ロダヌス川
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アリオウィストゥスとの会見
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アリオウィストゥスとの戦い
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ベルガエ遠征路
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ローマ軍の陣営
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アクソナ川の戦い
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サビス川の戦い
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アトゥアトゥキー族攻囲
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ウェネティー族との海戦
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ライン川への遠征
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ライン川架橋
- 第1巻
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ヘルウェーティイー族の領土
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ヘルウェーティイー族の領土
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ヘルウェーティイー族の領土
- 第2巻
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エーヌ県の地図
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キンブリ族を撃退するマリウスとローマ軍(ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ画)(第1巻40節)
- 第3巻
- 各4巻
- 各5巻
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Ambiorix tendant une embuscade à la XIVe slégion romaine.
- 各6巻
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ハエドゥイ族のドゥムノリクス
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ラテン語で記述されたブリタンニアとヒベルニア周辺の地図(17世紀)
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緯度と日付(ユリウス日)による日中の長さの図示。
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ユピテル神像(仏エヴルー博物館)
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ヘルキュニアの森(Hercynian Forest)
- 第7巻
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中央高地(Massif Central)におけるセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置
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ウェルキンゲトリクスの降伏
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ウェルキンゲトリクスの降伏
- 第8巻など
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ベッロウァキ族の指導者コッレウス。第8巻でローマ軍と戦って戦死した。絵は19世紀フランスの画家ディオジェーヌ・マイヤール(Diogène Maillart)作『コッレウスの死』(La mort de Correus)。
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トイトブルク森の戦いでローマ人を圧倒するゲルマニア人
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トイトブルク森の戦いでローマ人を圧倒するゲルマニア人
- その他
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『ガリア戦記』の最初の近代的な校訂版(1847年)を著わしたカール・ニッペルダイ(Carl Nipperdey:1821-1875)の肖像写真(1858年撮影)。
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『ガリア戦記』などローマ史を研究し、1902年にノーベル文学賞を受賞したテオドール・モムゼン(Theodor Mommsen:1817-1903)の肖像画(1863年)。
脚注
[編集]- ^ 1.0 1.1 近山金次訳『ガリア戦記』等を参照。
- ^ 2.0 2.1 Caesar's Camp on the Aisne — Classical Journal 36:337‑345 (1941)等を参照。
- ^ Google Mapsによる。
- ^ w:en:Second Battle of the Aisne
- ^ w:fr:Bataille du Chemin des Dames
- ^ w:fr:Soupir (Aisne)
- ^ w:en:Saulzoir, w:fr:Saulzoir#Histoire 等を参照。
- ^ Sabis battlefield, Satellite photo - Livius の戦場の布陣図等を参照。
- ^ s:la:De_vita_Caesarum_libri_VIII/Vita_Galbae#III.
- ^ w:en:Roman mosaic
- ^ 右に掲げたウォルマー海岸の記念碑と同一の物と思われる。
- ^ julius caesar - WalmerWeb
- ^ Julius Caesar Landing plaque Map - Memorial - Kent, United Kingdom - Mapcarta
- ^ ウェルラミウム(Verulamium)は、カッスィウェッラウヌスの部族の城塞都市。
- ^ s:en:Plutarch's_Lives_(Clough)/Life_of_Pompey より
参考リンク
[編集]ウィキペディア
[編集]- ラテン語版(la)
- w:la:Categoria:Bellum Gallicum - ガリア戦争のカテゴリ
- w:la:Bellum Gallicum - ガリア戦争
- w:la:De bello Gallico - ガリア戦記
- ドイツ語版(de)
- w:de:Portal:Rom und Römisches Reich - 古代ローマのポータル
- ガリア戦記の研究者
- w:de:Carl Nipperdey - カール・ニッペルダイ(1821-1875):1847年に初めて近代的な校訂版を著わした。
- w:de:Theodor Mommsen - テオドール・モムゼン(1817-1903):ノーベル文学賞を受賞したローマ史家。
- Heinrich Meusel - ハインリヒ・モイゼル:β系写本の評価を高め、写本の系図を提案した校訂者。
- w:de:Alfred Klotz - アルフレート・クロッツ(1874-1956):β系写本の優位を主張した校訂者。
- w:de:Otto Seel - オットー・ゼール(1907-1975):1961年に校訂版を著わした。
- w:de:Wolfgang Hering - ヴォルフガング・ヘーリンク(1987-?):1987年に校訂版を著わした。
- 英語版(en)
- w:en:Portal:Ancient Rome - 古代ローマのポータル
- w:en:Template:Ancient Rome topics - 古代ローマ関係の記事テンプレート
- w:en:Roman military personal equipment - 古代ローマ軍の個人装備
- w:en:Military of ancient Rome - 古代ローマ軍
- フランス語版(fr)
- w:fr:Portail:Rome antique - 古代ローマのポータル
- w:fr:Portail:Monde celtique - ケルト世界のポータル
- w:fr:Catégorie:Cité gallo-romaine - ガッロ=ローマン都市
- w:fr:Liste des noms latins des villes françaises - フランスの都市のラテン語名の一覧
- w:fr:Liste des peuples_gaulois en France - フランスにおけるガリア人(部族)の一覧
- w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise - ガリアの人物カテゴリ
- イタリア語版(it)- 参考になる画像が多い
- w:it:Conquista della Gallia - ガリア戦争:画像が豊富。
- w:it:Esercito romano - ローマ軍
- w:it:Portale:Antica Roma - 古代ローマのポータル
- w:it:Portale:Celti - ケルトのポータル
- 日本語版(ja)
- w:ja:Category:ガリア戦争 - ガリア戦争のカテゴリ
- w:ja:ガリア戦争
- w:ja:ガリアの部族一覧
ウィキソース
[編集]- フランス語版
- s:fr:Auteur:Eugène Viollet-le-Duc : フランスの建築家 ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク(Eugène Viollet-le-Duc;1814-1879)の著作集
- s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle : 『中世フランス建築体系辞典(11~16世紀)』(1856年発行)
- s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé : 同書の第5巻「堀」(アレスィアの攻囲陣地について記述がある)
- commons:Category:Viollet-le-Duc:上掲書の図版のカテゴリ
- s:fr:Auteur:Eugène Viollet-le-Duc : フランスの建築家 ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク(Eugène Viollet-le-Duc;1814-1879)の著作集
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