ガリア戦記 第4巻

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ガリア戦記> 第4巻 >注解

 C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI 

 LIBER QVARTVS 

ガリア戦記 第4巻の情勢図(BC55年)。
黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。
ガリア戦記 第4巻 目次

ゲルマーニア人との戦役:

第一次ゲルマーニア遠征:
第一次ブリタンニア遠征:


モリニー族・メナピイー族への第二次遠征:

01節 | 02節 | 03節 | 04節 | 05節 | 06節 | 07節 | 08節 | 09節 | 10節
11節 | 12節 | 13節 | 14節 | 15節
16節 | 17節 | 18節 | 19節
20節
21節 | 22節 | 23節 | 24節 | 25節 | 26節 | 27節 | 28節 | 29節 | 30節
31節 | 32節 | 33節 | 34節 | 35節 | 36節
37節 | 38節
参考リンク

3節 コラム「スエービー族?、あるいはカッティー族?」
15節 コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」
15節 コラム「カエサルを弾劾する小カトー」



ゲルマーニア人との戦役[編集]

GERMANIA   MAGNA
古代ローマ期のゲルマーニアを描いた近代の地図。
出典:Gustav Droysens Allgemeiner historischer Handatlas, Velhagen & Klasing 1886.
(『グスタフ・ドロイゼンの一般歴史地図帳』1886年 )
古代ローマ期のゲルマーニアを描いた近代の地図。
出典:A Classical Atlas of Ancient Geography by Alexander G. Findlay. New York, Harper and Brothers, 1849.
上にローマ期のゲルマーニア・マグナ(大ゲルマーニア)の地図を示した。
ローマ人は、ライン川ドナウ川の彼方を「ゲルマーニア」と呼んだが、『ガリア戦記』で言及されるのは西端の地域に限られる。

『ガリア戦記』で記述されるゲルマーニア・ライン川関連の位置関係[編集]

ベルガエ地域の河川図。
明るい水色(右):レーヌス  〔ライン川
(中央)濃い深緑色:モサ川  〔マース川
(左)薄い水色 :スカルディス〔スヘルデ川
エブーローネース族やコンドルースィー族は、モサ川〔マース川〕の中流域にいたと考えられ、図のTongerenトンゲレン)ではエブーローネース族がやがてローマ軍に大勝することになる。コンドルースィー族は、図の Condroz(コンドロ地域)に名を遺す。いずれもベルギー東部の地域にある。
  • カエサルは、レーヌス〔ライン川〕の東方を「ゲルマーニア」、レーヌスの西方を「ガッリア」と呼んでいる。
  • #4節で、ゲルマーニアから来たウスィペテース族 Usipetes とテンクテーリー族 Tencteri が、ライン川両岸にいたメナピイー族 Menapii を襲撃した。これは、大西洋岸に近い地域で、ライン川下流域での出来事であった。
  • #6節で、ゲルマーニアの両部族は、トレーウェリー族 Treveri の庇護を受けるとされる、エブーローネース族 Eburones やコンドルースィー族 Condrusi の領地にまで進出したと言及された。これは、モサ川〔マース川〕流域まで南下したことになる。なお、トレーウェリー族は、より南方のモセッラ川〔モーゼル川〕の渓谷にいた。


1節[編集]

ゲルマーニア情勢、スエービー族について(1)

  • Ea quae secuta est hieme,
    • (第3巻の出来事に)続く冬に、
  • qui fuit annus Cn.(Gnaeo) Pompeio M.(Marco) Crasso consulibus,
  • Usipetes Germani et item Tenchteri magna [cum] multitudine hominum
    • ゲルマーニア人のウスィペテス族と同じくテンクテーリー族が大がかりな人数で、
  • flumen Rhenum transierunt, non longe a mari, quo Rhenus influit.
    • レーヌス川ライン川を、レーヌスが流れ込む海からあまり遠くないところで、渡った。
  • Causa transeundi fuit,
    • (両部族らが)渡河したことの理由は、以下のことであった。
  • quod ab Suebis complures annos exagitati
  • bello premebantur
    • 戦争で攻撃されて、
  • et agri cultura prohibebantur.
    • 畑を耕すことを妨げられていたからである。
      (訳注:これ以降はスエービー族などの説明に移り、
          ウスィペテス族とテンクテーリー族の話は、4節からになる。)


  スエービー族という種族について
  • Sueborum gens est longe maxima et bellicosissima Germanorum omnium.
    • スエービー族という種族は、すべてのゲルマーニア人の中でもひときわ大きく最も好戦的である。
  • Hi centum pagos habere dicuntur,
    • 彼らは百のを持つと言われており、
      (訳注:pagus (郷) はここでは、部族の領土の農村区画を指す行政用語[1]。)
  • ex quibus quot annis singula milia armatorum bellandi causa suis ex finibus educunt.
    • そこから毎年千名ずつの武装者たちを戦争するために自領から出陣させている。
      (訳注:百の郷が千名ずつ兵を出すという話が真実なら、10万もの大軍になる。)
  • Reliqui, qui domi manserunt, se atque illos alunt;
    • 残った者らは、郷里に留まって、自らとあの(武装した)者らを養う。
  • hi rursus in vicem anno post in armis sunt, illi domi remanent.
    • この(残った)者らは、1年後に再び交代して武装し、あの(武装していた)者らは郷里に残留する。
  • Sic neque agri cultura nec ratio atque usus belli intermittitur.
    • このようにして、畑を耕すことも、戦争の計画や行使も中断されはしない。
  • Sed privati ac separati agri apud eos nihil est,
    • けれども、彼らのもとでは、何ら私有で独立した耕地は存在しない。
  • neque longius anno remanere uno in loco colendi causa licet.
    • 1年より長く、耕作するために1つの土地に留まることも許されない。
  • Neque multum frumento, sed maximam partem lacte atque pecore vivunt
    • 多くの場合に、穀物だけではなく、家畜で大部分を生活しており、
  • multumque sunt in venationibus;
    • 多くの場合に、狩猟をしている。
  • quae res et cibi genere et cotidiana exercitatione et libertate vitae,
    • このような事情は、食物の種類、毎日の鍛錬、生活の自由により、
  • quod a pueris nullo officio aut disciplina adsuefacti nihil omnino contra voluntatem faciunt,
    • すなわち、少年の頃より義務や教育に慣れさせられることなく、自分の意思に反するあらゆることをしないのだが、
  • et vires alit et inmani corporum magnitudine homines efficit.
    • (これらが)力を養い、巨大な体格の人間にさせているのだ。
  • Atque in eam se consuetudinem adduxerunt,
    • そして、自らをそのような慣習に導いた彼らは、
  • ut locis frigidissimis neque vestitus praeter pelles habeant quicquam,
    • 非常に寒冷な所ながら、(獣の)以外には何ら衣服を持たず、
  • quarum propter exiguitatem magna est corporis pars aperta, et laventur in fluminibus.
    • それらの(皮の)薄さのために、体の大部分をむき出しにして、川の中で水浴びをする。

2節[編集]

スエービー族について(2)

  • Mercatoribus est aditus
    • 商人たちにとっては機会がある〔門戸が開かれている〕
  • magis eo, ut, quae bello ceperint, quibus vendant, habeant,
    quam quo ullam rem ad se importari desiderent.
    • それにより、何らかの物が自分ら〔スエービー族〕のもとへ輸入されることを欲しているというよりも
      むしろ戦争で獲得した物を売却する相手として確保するためである。
      (訳注:magis ~ , quam … 「…よりも、むしろ~」)
  • Quin etiam iumentis,
    • そればかりか、役畜でさえも、
  • quibus maxime Galli delectantur quaeque impenso parant pretio,
    • ──ガッリア人はそれ〔役畜〕によって特に楽しませられ、高い価格で調達しようとするが、──
  • Germani importatis his non utuntur,
  • sed quae sunt apud eos nata, prava atque deformia,
    • 彼らのもとで生まれたものは奇形で不格好だが、
  • haec cotidiana exercitatione, summi ut sint laboris, efficiunt.
    • これらを毎日の訓練によって、最高の働きを発揮するように、させている。


  鞍を使わずに馬を乗りこなす
  • Equestribus proeliis saepe ex equis desiliunt ac pedibus proeliantur,
    • 騎兵戦では(ゲルマーニア人は)しばしば馬から跳び下りて、徒歩で闘う。
  • equosque eodem remanere vestigio adsuefecerunt,
    • 馬を同じ立ち位置に留まることに慣れさせたし、
  • ad quos se celeriter, cum usus est, recipiunt;
    • 必要であれば、かかる(馬たちの)ところに速やかに戻る。
  • neque eorum moribus turpius quicquam aut inertius habetur quam ephippiis uti.
    • 彼らの慣習では、を使うことよりも見苦しくより稚拙なものは何もないと考えられている。
  • Itaque ad quemvis numerum ephippiatorum equitum quamvis pauci adire audent.
    • したがって、鞍を付けた(敵の)騎兵の数が何であれ、(味方が)どれだけ少数でも、あえて突撃する。


  酒は呑まない
  • Vinum ad se omnino importari non sinunt,
    • ブドウ酒が自分たちのもとへ輸入されることを、まったく許さない。
  • quod ea re ad laborem ferendum remollescere homines atque effeminari arbitrantur.
    • なぜなら、そういった物により、人間は労苦に耐えるためには柔弱になり、女々しくされると思っているのだ。

3節[編集]

スエービー族(3)、ウビイー族について

  • Publice maximam putant esse laudem
    • (スエービー族が)国家として最大の誉れと考えていたのは
  • quam latissime a suis finibus vacare agros:
    • 自分たちの領土からできるだけ広く土地を空けておくことである。
  • hac re significari
    • この事によって示されるのは、
  • magnum numerum civitatum suam vim sustinere non potuisse.
    • 多数の部族が自分ら〔スエービー族〕の力に抗し得なかったことである。
  • Itaque una ex parte a Suebis
    • こうして、スエービー族により一方の側で
  • circiter milia passuum DC(sescenta) agri vacare dicuntur.
    • 約600ローママイルにわたって土地が空けられているといわれている。
      (訳注:1ローママイルは約1.48 kmで、600マイルは約900 km)

ウビイー族について

  • Ad alteram partem succedunt Ubii,
    • (スエービー族領の)もう一方の側には、ウビイー族が近接しており、
  • quorum fuit civitas ampla atque florens, ut est captus Germanorum.
    • ゲルマーニア人の水準では、かつては大きくて繁栄している部族であった。
  • Et paulo, sunt quam eiusdem generis, ceteri humaniores,
    • 同じ種族や(ゲルマーニアの)他の者たちよりも、より(文明的に)洗練されているが、
  • propterea quod Rhenum attingunt multumque ad eos mercatores ventitant
    • これはレーヌスライン川に接していて、彼らのもとに商人たちが頻繁に訪れるためであり、
  • et ipsi propter propinquitatem quod Gallicis sunt moribus adsuefacti.
    • かつ彼ら自身も隣人であるがゆえにガッリア人の慣習に慣れ親しんでいるためである。

ウビイー族とスエービー族

  • Hos cum Suebi multis saepe bellis experti
    • 彼ら〔ウビイー族〕に対して、スエービー族はたびたび多くの戦争を企てたが、
  • propter amplitudinem gravitatemque civitatis finibus expellere non potuissent,
    • (ウビイー族の)大きさと勢いのために、この部族を領土から追い出すことができなかった。
  • tamen vectigales sibi fecerunt ac multo humiliores infirmioresque redegerunt.
    • しかし(ウビイー族を)自らの税源(朝貢国)となし、はるかに劣った無力なものとしてしまった。


コラム「スエービー族?、あるいはカッティー族?」[編集]

 『ガリア戦記』第1巻や第4巻などに記されている スエービー族(Suebi)とは、特定の部族を指す部族名ではなく、マルコマンニー族ランゴバルド族など多くの部族の総称として用いられていた(タキトゥスによる)。スエービーと呼ばれた諸部族は、現在のエルベ川流域辺りに居住していたと考えられている(下図参照)。
 タキトゥス著『ゲルマーニア』では カッティー族(Chatti)について述べられており、カエサルはこの部族名を記していないが、ウビイー族(Ubii)、ウスィペテス族(Usipetes)、テンクテリー族(Tencteri) との位置関係などから、『ガリア戦記』のスエービーとは実際はおそらくカッティー族であろう、という見解がある(関連記事:Suebi, Chatti 参照)
 カッティー族が居住していたのは、現在のドイツのヘッセン州北・中部からニーダーザクセン州南部の辺りで、山岳・丘陵や河川の渓谷や盆地などが多い。丘陵などを占拠していれば、周囲の渓谷や盆地に他部族が住まないようにすることは容易であろう。
1世紀頃のゲルマーニア西部のおもな部族配置図。
赤色で記された Marcomanni(マルコマンニー)、Semnones(セムノネース族)、Lombards(ランゴバルド)などがスエービーと呼ばれた諸部族。
紫色で記された Chatti(カッティー族)、Cherusci(ケールスキー族)、Hermunduri(ヘルムンドゥリー族)は IrminonesまたはHerminones などと呼ばれる部族グループ。
黒字で記された残りの部族名の中に『ガリア戦記』で言及された Ubii(ウビイー族)、Usipii (Usipetes)(ウスィペテス族)、Tencteri(テンクテリー族)が見られることから、Chatti(カッティー族)と比較的近いことが見て取れる。

4節[編集]

ゲルマーニアのウスィペテース族とテンクテーリー族が、レーヌス川を渡って、メナピイー族を襲撃

  • In eadem causa fuerunt Usipetes et Tencteri, quos supra diximus;
    • (第1節で)前述したウスィペテース族とテンクテーリー族も、事情は同じであった。
      (訳注:Usipetes はウースィペテース Ūsipetēs または ウースィピイー Ūsipiī, Ūsipī などとも表記される[2]
          Tencteri は Tenchtērī または Tencthērī などとも表記される。)
  • qui complures annos Sueborum vim sustinuerunt,
    • 彼ら〔ウスィペテース族とテンクテーリー族〕は多年にわたってスエービー族の攻勢に対抗してきたが、
  • ad extremum tamen agris expulsi
    • にも拘らず、最後には土地から追い出されて、
      (訳注:ad extrēmum「最後に、とうとう、結局」)
  • et multis locis Germaniae triennium vagati
  • ad Rhenum pervenerunt,
    • レーヌスライン川のたもとに到達した。
  • quas regiones Menapii incolebant.
    • それらの地方〔ライン川沿岸〕には、メナピイー族が居住していた。
  • Hi ad utramque ripam fluminis agros, aedificia vicosque habebant;
    • 彼ら〔メナピイー族〕は、川の両岸に耕地や建物や村落を持っていた。
      (訳注:hi (彼ら)は β系写本の記述で、α系写本では et (そして)となっている。)
Menapii メナピイー族
ベルガエ(Belgae (Belgica))の部族と首邑の配置図(再掲)。
Menapii (メナピイー族)は、大西洋沿岸地域に住み、Rhenus (ライン川)の右岸に Usipetes (ウスィペテース族)、Ubii (ウビイー族)、Chatti (カッティー族)などの名が見える。
メナピイー族の復元住居(ベルギーDestelbergen
 メナピイー族は、第2巻4節第3巻9節で言及された。
第3巻28節~29節では、カエサル自身が森林におおわれたメナピイー族領の制圧を試みたが、徒労に終わっている。
  • sed tantae multitudinis adventu perterriti
    • しかし、これほど大勢のゲルマーニア人の)到来に脅かされて、
      (訳注:adventū (到来)は β系写本の記述で、α系写本では aditū (接近・攻撃)となっている。)
  • ex iis aedificiis, quae trans flumen habuerant, demigraverant
    • 川の向こう側〔東岸のゲルマーニア側〕に持っていた建物から退去して、
  • et cis Rhenum dispositis praesidiis
    • レーヌスライン川のこちら側〔西岸のガッリア側〕に守備隊を分置して、
  • Germanos transire prohibebant.
    • ゲルマーニア人が渡って来ることを防いでいた。
  • Illi omnia experti,
    • あの者たち〔ゲルマーニア人〕はあらゆることを試みたが、
  • cum neque vi contendere propter inopiam navium
    • 船の欠如のゆえに力ずくで(渡河して)進攻することもできず、
  • neque clam transire propter custodias Menapiorum possent,
    • メナピイー族の見張りのゆえに密かに(川を)渡ることもできなかったので
  • reverti se in suas sedes regionesque simulaverunt
    • 自らの居住地や地方に引き帰すと見せかけて、
  • et tridui viam progressi rursus reverterunt
    • 3日間の道程を(ゲルマーニア内陸方面に)進んでから、再び(レーヌス河岸に)引き返して、
  • atque omni hoc itinere una nocte equitatu confecto
    • この全行軍を一晩で騎兵隊が成し遂げて、
  • inscios inopinantesque Menapios oppresserunt,
    • (そのことを)知らずに、かつ思いもかけずにいるメナピイー族を襲撃した。
  • qui de Germanorum discessu per exploratores certiores facti
    • 彼ら〔メナピイー族〕は、ゲルマーニア人の撤退について偵察者たちを通じて報告されて、
  • sine metu trans Rhenum in suos vicos remigraverant.
    • 不安なしにレーヌスの向こう側〔ライン川東岸〕の自分たちの村々に戻っていたのだ。
  • His interfectis navibusque eorum occupatis,
    • (ゲルマーニア人は)彼ら〔東岸のメナピイー族〕を殺戮して、彼らの船団を占拠して、
  • priusquam ea pars Menapiorum, quae citra Rhenum erat, certior fieret,
    • レーヌスのこちら側〔ライン川西岸〕にいたメナピイー族の分派が(奇襲について)報告されるよりも前に、
  • flumen transierunt atque omnibus eorum aedificiis occupatis
    • 川を渡って、彼ら〔メナピイー族〕のすべての建物を占領して、
  • reliquam partem hiemis se eorum copiis aluerunt.
    • 冬の残りの部分を、彼ら〔メナピイー族〕の貯えで、自らを養った。

5節[編集]

カエサルのガッリア人観

  • His de rebus Caesar certior factus
    • カエサルは、これらの事情について報告されて、
  • et infirmitatem Gallorum veritus,
    • ガッリア人の気まぐれさを恐れ、
  • quod sunt in consiliis capiendis mobiles et novis plerumque rebus student,
    • (ガッリア人は)物事を決することにおいて変わりやすくてたいがいは新奇な事〔政変〕を好むので、
  • nihil his committendum existimavit.
    • 何ごとも彼らに委ねられるべきではない、と判断した。
  • Est enim hoc Gallicae consuetudinis,
    • なぜなら、ガッリア人の慣習は以下のようなものであったから。
  • uti et viatores etiam invitos consistere cogant
    • 旅人たちが不本意であってさえも、留まることを強いて
  • et, quid quisque eorum de quaque re audierit aut cognoverit, quaerant
    • 彼らのおのおのがそれぞれ聞き知った事は何かを尋ねる。
  • et mercatores in oppidis vulgus circumsistat,
    • 城塞都市オッピドゥムでは群衆が商人たちを取り巻いて、
  • quibusque ex regionibus veniant
    • (商人たちが)どの地方からやって来たのか、
  • quasque ibi res cognoverint pronuntiare cogat.
    • そこで(商人たちが)知っている事を物語ることを強いるのである。
  • His rebus atque auditionibus permoti
    • (ガッリア人は)これらの事実や風聞に揺り動かされて、
  • de summis saepe rebus consilia ineunt,
    • しばしば最も重要な事について判断を決する。
  • quorum eos in vestigio paenitere necesse est,
    • そのような彼らがただちに後悔することになるのは、当然である。
      (訳注:in vestīgiō「即座に、すぐに」[3]
  • cum incertis rumoribus serviant
    • なぜなら(ガッリアの大衆は)不確かな噂のとりことなり、
  • et plerique ad voluntatem eorum ficta respondeant.
    • (旅人や商人の)大半の者は、彼ら〔質問者たち〕の意思に沿ってこしらえたことを答えるからである。

6節[編集]

ガッリア人とゲルマーニア人の動き、カエサルが戦争を決意

  • Qua consuetudine cognita Caesar,
    • カエサルは、そのような(ガッリア人の)慣習を知って、
  • ne graviori bello occurreret,
    • より重大な戦争に出くわさないように、
  • maturius, quam consuerat,
    • いつもそうであったよりも早め(の時季)に、
  • ad exercitum proficiscitur.
    • 軍隊のもとへ出発する。
      (訳注:第3巻29節によれば、アウレルキー族やレクソウィイー族などの部族領に設けた冬営地。)
  • Eo cum venisset,
    • (カエサルが)そこにやって来たときに、
  • ea, quae fore suspicatus erat, facta cognovit:
    • (以下に述べるような)起こるであろうと勘繰かんぐっていたことが行なわれたことを知った。
  • missas legationes ab non nullis civitatibus ad Germanos
    • 使節団が(ガッリアの)いくつかの部族によってゲルマーニア人のもとへ派遣されていたこと、
  • invitatosque eos, uti ab Rheno discederent:
    • 彼ら〔ゲルマーニア人〕がレーヌスライン川のたもとから立ち去るようにと懇願されていたこと、
  • omniaque, quae postulassent, a se fore parata.
    • (ゲルマーニア人が)要求していたすべてのものは、自分ら〔ガッリア人〕によって用意されるであろう、と。
  • Qua spe adducti Germani latius iam vagabantur
    • このような期待に引かれて、ゲルマーニア人はすでにより広く放浪して、
  • et in fines Eburonum et Condrusorum, qui sunt Treverorum clientes, pervenerant.
    • エブーローネース族や、トレーウェリー族の庇護民クリエンテースであるコンドルースィー族らの領土に到達していた。
      (訳注:エブーローネース族やトレーウェリー族は、ライン川西岸の有力なガッリア部族。
          第5巻27節によると、エブーローネース族は以前はアトゥアトゥキー族に貢納していたが、
          第2巻33節ではアトゥアトゥキー族がカエサルによってほぼ壊滅されたと記された。)
ガッリア北部の部族と首邑の配置図(再掲)。
Eburones (エブーローネース族)、Treveri (トレーウェリー族) の名がライン川西岸に見える。
  • Principibus Gallicae evocatis
    • ガッリア人の領袖たちが招集されると、
  • Caesar ea, quae cognoverat, dissimulanda sibi existimavit,
    • カエサルは自分が知っていたことを秘すべきと考えた。
  • eorumque animis permulsis et confirmatis
    • 彼ら〔ガッリア人の領袖たち〕の心をなだめ、落ち着かせ、
  • equitatuque imperato
  • bellum cum Germanis gerere constituit.
    • ゲルマーニア人との戦争を遂行することを決定した。

7節[編集]

ゲルマーニア人の使節がカエサルに弁明する

  • Re frumentaria comparata equitibusque delectis
    • (カエサルは)糧秣供給が手配され、騎兵が選り抜かれると、
  • iter in ea loca facere coepit, quibus in locis esse Germanos audiebat.
    • その地にゲルマーニア人がいると聞いていたところの土地に、行軍を始めた。
  • A quibus cum paucorum dierum iter abesset,
    • (カエサルが)そのところからわずか数日の道程しか離れていなかったときに、
  • legati ab his venerunt,
    • 彼ら〔ゲルマーニア人〕から使節たちがやって来た。
  • quorum haec fuit oratio:
    • その者らの弁明は、以下の通りであった。
  • Germanos neque priores populo Romano bellum inferre
    • ゲルマーニア人は、ローマ人民より先に戦争をしかけることはないし、
  • neque tamen recusare, si lacessantur, quin armis contendant,
    • しかしながら、もし挑まれれば、武器により争闘することを拒むものでもない。
  • quod Germanorum consuetudo haec sit a maioribus tradita,
    • というのも、先祖から伝えられたゲルマーニア人の慣習というものは、
  • quicumque bellum inferant, resistere neque deprecari.
    • 誰であれ戦争をしかけてきたものには、(助命を)嘆願せずに抗戦するというものだからである。
  • Haec tamen dicere:
    • しかしながら、(以下のことを)申し述べる。
  • venisse invitos, eiectos domo;
    • (自分らゲルマーニア人は)不本意ながら故国を追い出されて、やって来たのだ。
  • si suam gratiam Romani velint,
    • もし、自分たち〔ゲルマーニア人〕の厚遇をローマ人が欲するならば、
  • posse iis utiles esse amicos;
    • (ゲルマーニア人は)汝ら〔ローマ人〕にとって有益な友邦と成り得よう。
  • vel sibi agros adtribuant,
    • 自分たち〔ゲルマーニア人〕に土地を割り与えよ、
  • vel patiantur tenere eos quos armis possederint;
    • もしくは、武器で獲得したもの〔占領地〕を保持することを許されよ。
  • sese unis Suebis concedere,
  • quibus ne di quidem inmortales pares esse possint;
    • 彼らには、不死の神々でさえ匹敵し得ない。
  • reliquum quidem in terris esse nemimem quem non superare possint.
    • (自分たちにとってスエービー族の)他には、誰もこの地上で征服することのできない者はいないのだ。

8節[編集]

カエサルが、ゲルマーニアの両部族の使節に、ガッリアから撤収するようにと返答する

  • Ad haec Caesar, quae visum est, respondit;
    • これに対してカエサルは、適切であると思われることを、返答した。
  • sed exitus fuit orationis:
    • しかし、弁舌はこう(以下のように)結論付けられた。
  • sibi nullam cum iis amicitiam esse posse, si in Gallia remanerent;
    • もしガッリアに残留するならば、自分にとって汝ら〔ゲルマーニアの両部族〕とのいかなる友好もありえない。
      (訳注:cum iis 「彼らとの」は、間接話法で、話し相手であるゲルマーニア人使節を指す。)
  • neque verum esse, qui suos fines tueri non potuerint, alienos occupare;
    • 己が領土を守り得なかった者〔ゲルマーニアの両部族〕が、他人の(土地)を占拠することは正当ではないし、
  • neque ullos in Gallia vacare agros, qui dari tantae praesertim multitudini sine iniuria possint;
    • ガッリアにおいて、特にこれほど大勢に不公正なしに与えられ得る、いかなる土地も空いていない。
  • sed licere, si velint, in Ubiorum finibus considere,
    • しかし、もし(汝らが)ウビイー族の領土に宿営することを欲するならば、許可しよう。
  • quorum sint legati apud se
    • かの(ウビイー族の)使節たちが自分〔カエサル〕のもとにいて、
  • et de Sueborum iniuriis querantur et a se auxilium petant:
    • スエービー族の無法に苦情を言い、自分〔カエサル〕による支援を頼んでいる。
  • hoc se ab Ubiis impetraturum.
    • これ(ゲルマーニア人の宿営)を、自分がウビイー族に要求するだろう。

9節[編集]

カエサルの判断

  • Legati haec se ad suos relaturos dixerunt
    • (ゲルマーニア人の)使節たちは、これ〔カエサルの返答〕を味方に報告すると言い、
  • et re deliberata post diem tertium ad Caesarem reversuros:
    • その事柄を思案して、3日目の後〔明後日〕にカエサルのところに戻るだろう(と言った)
      (訳注:古代ローマで日数を数えるときは当日から起算し、post diem tertium 「3日目の後」とは明後日を意味する。)
  • interea ne propius se castra moveret, petiverunt.
    • その間に(カエサルがゲルマーニア人の方へ)さらに近く陣営を動かさないように要求した。
  • Ne id quidem Caesar ab se impetrari posse dixit.
    • カエサルは、それ〔使節の要求〕は自分によっては決して遂げられないと言明した。
      (訳注:ne ~ quidem 「決して~ない」)
  • Cognoverat enim
    • なぜなら(カエサルは)知っていたのだ。
  • magnam partem equitatus ab iis aliquot diebus ante
    • 彼ら〔ゲルマーニアの両部族〕により騎兵隊の大部分が数日前に
  • praedandi frumentandique causa ad Ambivaritos trans Mosam missam:
    • 略奪や食糧徴発のために、モサ川の向こう側のアンビウァリティー族のところへ派遣されたことを。
      (訳注:モサ川 Mosaベルガエを流れる川で、上流ではフランス語でムーズ川 Meuse
          下流ではオランダ語でマース川 Maas と呼ばれる。)
  • hos exspectari equites
    • これらの騎兵隊(の帰着)(ゲルマーニアの両部族により)待たれており、
  • atque eius rei causa moram interponi arbitrabatur.
    • その事情のために遅滞を口実としていると思われたのだ。

10節[編集]

モサ川・レーヌス川流域の地理

  モサ川〔現在のマース川
ガッリア北東部の河川名(ラテン語)。
Rhenus:レーヌス 〔ライン川
Mosella:モセッラ 〔モーゼル川
Vacalus:ウァカルス〔ワール川
Mosa :モサ    〔マース川
Scaldis:スカルディス〔スヘルデ川
  • Mosa profluit ex monte Vosego, qui est in finibus Lingonum,
    • モサ(川)は、リンゴネース族の領土にあるウォセグス山から流れ出て、
      (訳注:モサ Mosa は現在のフランス→ベルギー→オランダ→北海へ流れるマース川
          ウォセグス Vosegus はフランス北東部のヴォージュ山脈
          実際にこの山脈から流れ出ているのはモセッラ川 Mosellaモーゼル川)であり、
          カエサルの思い違いであろう。15節でも同様の誤りがある。
          マース川の水源はラングル台地 [4][5]、リンゴネース族が住んでいた。)
  • et parte quadam ex Rheno recepta, quae appellatur Vacalus
  • insulamque efficit Batavorum,
    • バターウィー族の島〔中洲〕を形成して、
      (訳注:バターウィー族 Batavi は、カッティー族 Chatti(カエサルのいうスエービー族?)
          の支族で、ライン川河口の三角州に住んでいたようだ。右下図を参照。)
  • [in Oceanum influit];
    • 大洋大西洋 (北海)〕に流れ込む。
      (訳注:この箇所を削除提案する校訂者もいるが、ワール川と合流したマース川は北海(大西洋)へ流れ込んでいただろう。)
  • neque longius ab Oceano milibus passuum LXXX(octoginta) in Rhenum influit.
    • 大洋から80ローママイルより遠くないところでレーヌス〔ライン川〕に流れ込む。
      (訳注:1ローママイルは約1.48 kmなので、80マイルは約120 km。)
      (訳注:マース川が北海から約120 kmのところで合流したというのは、上述のワール川ではないか?)
モサ川・レーヌス川の河口の三角州 バターウィー族の島
現在のマース川とライン川=ワール川が合流する河口の三角州の衛星画像。
バターウィー族の島(Insula Batavorum)
1世紀頃と現代(19世紀)のマース川とライン川・ワール川の河口の三角州を重ね合わせた比較図(1884年)。
  レーヌス川ライン川
  • Rhenus autem oritur ex Lepontiis, qui Alpes incolunt,
  • et longo spatio
    • 長い距離を
  • per fines Nantuatium, Helvetiorum, Sequanorum, Mediomatricorum, Tribocorum, Treverorum
    • ナントゥアーテース族、ヘルウェーティイー族、セークァニー族、メディオーマトリキー族、トリボキー族、トレーウェリー族の領土を通って
      (訳注:Nantuates第3巻冒頭で既出の部族で、ライン川水源から100km以上離れていた[7]
          Helvetii第1巻冒頭でライン川に接するとされたが、西へ向かいカエサルに撃退された。
          Sequani第1巻冒頭でライン川に接するとされたが、ジュラ山麓にいた。
          Mediomatrici はモッセラ川(モーゼル川)上流の河岸[8]にいたので、ライン川からは離れていた。
          Triboci は第1巻でカエサルに撃退されたゲルマーニア人で、ライン川西岸に住むとされた[9]
          Treveri は第1巻・第2巻ではカエサルの同盟部族で、モーゼル川下流域に住み、ライン川に近かった。)
  • citatus fertur,
    • 急流で運ばれ、
  • et ubi Oceano adpropinquavit,
    • 大洋に近づくや、
  • in plures diffluit partes multis ingentibusque insulis effectis,
    • より多くの部分〔支流〕に分散して、多くの広大な島々〔中洲〕を形成し、
  • quarum pars magna a feris barbarisque nationibus incolitur,
    • それらの(島々の)大部分は、粗野で野蛮な種族によって住まわれ、
  • ex quibus sunt, qui piscibus atque ovis avium vivere existimantur,
    • その者らの内には、魚や鳥の卵(の常食)で暮らしていると考えられる者たちもいる。
  • multis capitibus in Oceanum influit.
    • (レーヌス川は)多くの河口で大洋に流れ込んでいる。
      (訳注:caput「頭」は、河川の水源 fons fluminis を表わすことがあるが、
             まれに、河川の河口 ostium fluminis を表わすこともある。)

11節[編集]

ゲルマーニア人使節団とカエサルの駆け引き

  • Caesar cum ab hoste non amplius passuum XII(duodecim) milibus abesset,
    • カエサルが敵から12ローママイルより多く離れていなかったときに、
      (訳注:1ローママイルは約1.48 kmで、12マイルは約18 km。)
  • ut erat constitutum, ad eum legati revertuntur.
    • 申し合わせていたように、(ゲルマーニア人の)使節たちが彼のところに戻って来る。
      (訳注:9節で、使節たちは3日目の後(2日後)に戻ると告げていた。)
  • qui in itinere congressi magnopere ne longius progrederetur, orabant.
    • (使節団は)道中に出逢って(カエサルに)これ以上は前進しないようにと、大いに請願していた。
      (訳注:progrederetur はα系写本の記述で、β系写本では procederet だが、意味は同じ。)


  使節たちがカエサルに和平の機会と猶予を要求
  • Cum id non impetrassent, petebant,
    • そのことを達成していなかったので、(以下のことをカエサルに)求めていた。
  • uti ad eos equites, qui agmen antecessissent, praemitteret eosque pugna prohiberet,
    • 隊列に先行していた騎兵たちのもとへ(伝令を)先遣して、彼らに戦闘を禁ずるように、
  • sibique ut potestatem faceret in Ubios legatos mittendi;
    • 自分たちに、ウビイー族に使節たちを派遣する機会を作ってくれるように(と求めていた)
  • quorum si principes ac senatus sibi iure iurando fidem fecisset,
    • もし、その(ウビイー族の)領袖たちや評議会が自分たちに、誓約によって保護をしてくれるならば、
      (訳注:部族国家の合議制統治機関もローマの元老院に倣って senātus と呼ばれるが、
          ここでは「評議会」と訳す。第2巻5節28節第3巻16節に同じ。)
  • ea condicione, quae a Caesare ferretur, se usuros ostendebant:
    • カエサルにより提案されている条件を自分たちが受け入れるであろう、と提示していた。
  • ad has res conficiendas sibi tridui spatium daret.
    • この事を成し遂げるために、自分たちに3日間の時間を与えるように(と求めていた)
      (訳注:古代ローマで日数を数えるときは当日から起算するため、「3日間の」は明後日までという意味。)


  カエサルの判断と使節団への返答
  • Haec omnia Caesar eodem illo pertinere arbitrabatur,
    • カエサルは、これらすべては以下と同じことを狙っている、と考えていた。
  • ut tridui mora interposita equites eorum, qui abessent, reverterentur;
    • 3日間の猶予が介在すれば、離れている彼らの騎兵たちが戻って来る、と。
  • tamen sese non longius milibus passuum IIII(quattuor) aquationis causa processurum eo die dixit:
    • しかし、自分は水の補給のため、本日は4ローママイルより遠くには進まないであろうと(使節団に)言った。
      (訳注:1ローママイルは約1.48 kmで、4マイルは約6 km。)
  • huc postero die quam frequentissimi convenirent, ut de eorum postulatis cognosceret.
    • 明日は、汝らの要求について知るように、ここにできるだけ数多くの者が参集するように(と使節団に言った)


  カエサルが部隊長たちに訓令
  • Interim ad praefectos, qui cum omni equitatu antecesserant,
    • その間に(カエサルは)全騎兵隊とともに先行していた指揮官たち〔騎兵隊長〕たちのところに
  • mittit, qui nuntiarent,
    • 伝令するための者たちを派遣して、
  • ne hostes proelio lacesserent,
    • 敵に戦闘を挑まないように、
  • et si ipsi lacesserentur,
    • もし自身たちがしかけられたら、
  • sustinerent, quoad ipse cum exercitu propius accessisset.
    • 自分〔カエサル〕軍隊とともに近くに接近するまで、持ちこたえるようにと(伝えさせた)
      (訳注:exercitus は通常は「軍隊」と訳されるが、
          騎兵隊 equitatus に対しては「歩兵隊」すなわち重装歩兵からなる軍団を指す。)

12節[編集]

ゲルマーニア騎兵の奇襲、ローマ方の騎兵ピーソーらの討死

  • At hostes, ubi primum nostros equites conspexerunt,
    • だが一方で敵方〔ゲルマーニア勢〕は、我が方〔ローマ勢〕の騎兵を目にするや否や、
  • quorum erat V(quinque) milium numerus,
    • その(ローマ側の騎兵の)数は5000人で、
  • cum ipsi non amplius DCCC(octingentos) equites haberent,
    • 彼ら自身〔ゲルマーニア勢〕は800より多くの騎兵を持っていなかったが、
  • quod ii, qui frumentandi causa erant trans Mosam profecti, nondum redierant,
    • ──というのは、食糧徴発のためにモサマース川の向こう側に出向いていた者たちは、まだ戻っていなかったためだが──
      (訳注:9節で、ゲルマーニア両部族の騎兵隊の大半が略奪や食糧徴発のために、
          モサ川の向こう側のアンビウァリティー族のところへ派遣されたと述べられている。)
  • nihil timentibus nostris,
    • 我が方〔ローマ方〕は何をも恐れておらず、
  • quod legati eorum paulo ante a Caesare discesserant
    • ──というのも、彼ら〔ゲルマーニア勢〕の使節たちは少し前にカエサルのもとから立ち去っており、
  • atque is dies indutiis erat ab his petitus,
    • かつ、その日は彼らの要求により休戦(の日)であったためだが──
  • impetu facto celeriter nostros perturbaverunt;
    • (ゲルマーニア勢は突如)襲撃をしかけて我が方をたちまち狼狽させた。
  • rursus his resistentibus
    • それでも、こちらが抵抗すると、
  • consuetudine sua ad pedes desiluerunt
    • (ゲルマーニア騎兵は)自分たちの習慣により足元に跳び下りて、
  • subfossisque equis compluribusque nostris deiectis
    • 馬を突き刺して、かなりの我が方の者たち〔ローマ方の騎兵〕を引きずり下ろして
      (訳注:このときのローマ方の騎兵たちは、
          同盟部族から供出されたガッリア人たちと思われる。)
  • reliquos in fugam coniecerunt
    • 残りの者たちを逃亡に追いやって、
  • atque ita perterritos egerunt,
    • こうして脅えている者たちを追ったので、
  • ut non prius fuga desisterent, quam in conspectum agminis nostri venissent.
    • (ローマ方の騎兵は)我が方の隊列が来るのが見えるまで、逃亡をやめなかったほどであった。

アクィーターニア人騎兵 ピーソーとその兄弟の討死

  • In eo proelio ex equitibus nostris interficiuntur IIII(quattuor) et LXX(septuaginta),
    • この戦闘において、我が方〔ローマ方〕の騎兵たちの内から74名が討ち取られるが、
  • in his vir fortissimus Piso Aquitanus,
  • amplissimo genere natus,
    • (ピーソーは)非常に有力な氏族に生まれ、
  • cuius avus in civitate sua regnum obtinuerat amicus a senatu nostro appellatus.
    • 彼の祖父は、その部族で王権を保持していて、我が〔ローマの〕元老院から友人と呼ばれていた。
  • Hic cum fratri intercluso ab hostibus auxilium ferret, illum ex periculo eripuit,
    • 〔ピーソー〕は、敵により兄弟から引き離されたときに、支援をして、彼〔兄弟〕を危機から救い出した。
  • ipse equo vulnerato deiectus, quoad potuit, fortissime restitit;
    • 彼自身〔ピーソー〕は馬を傷つけられて投げ出されたが、できるかぎり果敢に抵抗した。
  • cum circumventus multis vulneribus acceptis cecidisset
    • (ピーソーが)包囲されて多くの傷を受けて斃れたとき、
  • atque id frater, qui iam proelio excesserat, procul animum advertisset,
    • その兄弟は、すでに戦闘から離れていたが、遠くから(ピーソーの死に)気が付いて、
  • incitato equo se hostibus obtulit atque interfectus est.
    • 自ら馬を駆り立てて、敵たちに身をもって進み、殺害された。

13節[編集]

カエサルが、ゲルマーニア人使節団の再訪を勘繰り、休戦協定破棄と軍事行動を決意する

  • Hoc facto proelio, Caesar
    • この戦闘がなされると、カエサルは
  • neque iam sibi legatos audiendos
    • もはや自分には(ゲルマーニアの両部族の)使節たちに耳を貸すべきではないし、
  • neque condiciones accipiendas arbitrabatur ab iis,
    • 彼らによる(講和の)条件を受け入れるべきでもない、と思っていた。
  • qui per dolum atque insidias petita pace ultro bellum intulissent;
    • 彼らは、策謀や計略によって、和平を求めておきながら、向こうから戦争を仕掛けてきたのだ。
  • exspectare vero, dum hostium copiae augerentur equitatusque reverteretur,
    • 実に、(敵の)騎兵隊が戻って来て敵の軍勢を大きくするまで、待っているとは、
  • summae dementiae esse iudicabat,
    • 愚の骨頂である、と判断していた。
  • et cognita Gallorum infirmitate,
    • そして(カエサルは)ガッリア人の小心ぶりを知っていたので、
  • quantum iam apud eos hostes uno proelio auctoritatis essent consecuti sentiebat;
    • すでに彼ら〔ガッリア人〕のもとで、敵は一度の戦闘でどれほどの権威を得られたか、と感じていた。
  • quibus ad consilia capienda nihil spatii dandum existimabat.
    • 彼ら〔ゲルマーニア人〕には、謀計を立てるための何らの猶予も与えられるべきではないと考えていた。


  ゲルマーニア人使節団が再訪するが...
  • His constitutis rebus
    • これらの事柄を決めて、
  • et consilio cum legatis et quaestore communicato,
  • ne quem diem pugnae praetermitteret,
    • 戦いのためにいかなる日々も放置せぬようにと(協議したが)
  • opportunissime res accidit,
    • 非常に好都合な事が起こった。
  • quod postridie eius diei mane
    • というのは、その日〔奇襲の日〕の翌日の朝に
  • eadem et perfidia et simulatione usi
    • (前回と)同じ背信も偽りも用いて
  • Germani frequentes, omnibus principibus maioribusque natu adhibitis,
    • 多くのゲルマーニア人(の使節たち)が、領袖たちや年長者たち皆を加えて、
  • ad eum in castra venerunt,
    • 陣営にいる彼〔カエサル〕のもとへやって来たのだが、
  • simul, ut dicebatur,
    • 一方で(使節たちにより)述べられていたように、
  • sui purgandi causa, quod contra atque esset dictum et ipsi petissent, proelium pridie commisissent,
    • 彼ら自身が頼んで言い渡されたこと〔休戦〕に反して、前日に戦闘を交えたことに、自ら弁明するためであり、
  • simul ut, si quid possent, de indutiis fallendo impetrarent.
    • 他方で、もしできるならば、休戦について欺くことをかなえるためであった。


  カエサルが、使節団を拘束させ、全軍の出陣を号令
  • Quos sibi Caesar oblatos gavisus, illos retineri iussit;
    • この者らが自分のところにやって来たのをカエサルは喜び、あの者らを拘留することを命じた。
  • ipse omnes copias castris eduxit
    • (カエサル)自身は全軍勢を陣営から導き出して、
  • equitatumque, quod recenti proelio perterritum esse existimabat,
    • 騎兵隊には ──直近の戦闘により脅えていると(カエサル自身が)判断していたので──
  • agmen subsequi iussit.
    • 隊列に後続することを命じた。

14節[編集]

ローマ軍の急襲、慌てたゲルマーニア両部族の敗走

  • Acie triplici instituta
    • (カエサルの号令で)三重の戦列が整列され、
      (訳注:三重の戦列トリプレクス・アキエース triplex acies はローマ共和制末期の重装歩兵の基本的な戦闘隊形で[10]
          ここでは、いつでも戦える隊形のまま行軍していたということを示している。)
  • et celeriter VIII(octo) milium itinere confecto,
    • 速やかに8ローママイルの行軍が成し遂げられて、
      (訳注:1ローママイルは約1.48 kmで、8マイルは約12 km)
  • prius ad hostium castra pervenit, quam quid ageretur Germani sentire possent.
    • 何がなされたかをゲルマーニア人が感知できるよりも早く、(カエサルは)敵の陣営のそばへ至った。


  ゲルマーニア陣営の周章狼狽
  • Qui omnibus rebus subito perterriti,
    • その者ら〔ゲルマーニア勢〕はあらゆる事態によって突如として脅かされて、
  • et celeritate adventus nostri
    • (すなわち)我が方〔ローマ勢〕の到来の迅速さによって
  • et discessu suorum,
    • (ゲルマーニア人の)味方の離脱によって(脅かされており)
      (訳注:#13節でカエサルに拘束された領袖や宿老たちのことか?
          あるいは、#12節でローマ方の騎兵を敗走させたゲルマーニア騎兵のことか。
          騎兵はどこへ行ったのか?)
  • neque consilii habendi
    • 作戦を立てるための(猶予)
  • neque arma capiendi spatio dato perturbantur,
    • 武器をとるための猶予も与えられず、混乱させられていた。
  • copiasne adversus hostem ducere,
    • 敵に向かって軍勢を率いて行くのか
      (訳注:カエサルが敵 hostis と記すときはほぼ敵対部族のことだが、ここではローマ人のこと。)
  • an castra defendere,
    • あるいは陣営を防衛するのか、
  • an fuga salutem petere praestaret.
    • それとも逃亡に身の安全を求めるのか、(そのいずれが)より優るのか、と。
  • Quorum timor cum fremitu et concursu significaretur,
    • この者ら〔ゲルマーニア勢〕の恐怖が、どよめきや騒動とともに示されたので、
  • milites nostri pristini diei perfidia incitati
    • 我が方〔ローマ勢〕の兵士たちは、前日の不信に駆り立てられて、
  • in castra inruperunt.
    • (敵の)陣営に押し入った。
  • Quo loco qui celeriter arma capere potuerunt,
    • その場所で、速やかに武器をとることのできた(ゲルマーニアの)者たちが、
  • paulisper nostris restiterunt
    • しばらく我が方に抵抗して
  • atque inter carros impedimentaque proelium commiserunt;
    • 四輪荷車と輜重の間で、(ローマ勢と)戦闘を交えた。
  • at reliqua multitudo puerorum mulierumque
    • 残りの子供や妻女ら大勢は、
  • ── nam cum omnibus suis domo excesserant Rhenumque transierant ──
    • なぜなら彼らは(部族の)全員とともに郷里を離れてレーヌスライン川を渡河していたのだが、
  • passim fugere coepit,
    • あちらこちらに逃亡し始めた。
  • ad quos consectandos Caesar equitatum misit.
    • この者たちを追撃するために、カエサルは騎兵隊を派遣した。

15節[編集]

ゲルマーニア勢が逃げ惑い、虐殺され、溺死する

  • Germani post tergum clamore audito,
    • (陣営にいた)ゲルマーニア人たちは、背後に叫び声を聞くと、
  • cum suos interfici viderent,
    • 同胞が殺戮されるのを見たので、
  • armis abiectis signisque militaribus relictis
    • 武器を投げ出し、軍旗を放棄すると、
  • se ex castris eiecerunt,
    • 陣営から飛び出した。
      (訳注: ēicere「身を追い出す」=「飛び出す、出陣する」)
  • et cum ad confluentem Mosae et Rheni pervenissent,
  • reliqua fuga desperata,
    • さらなる逃亡に絶望して、
  • magno numero interfecto,
    • 多数の者たちが殺戮され、
  • reliqui se in flumen praecipitaverunt
    • 残りの者たちは川の中に身を投げて、
      (訳注: praecipitāre「身を投げ落とす」)
  • atque ibi timore, lassitudine, vi fluminis oppressi perierunt.
    • そこで、恐怖・疲労や川の流れフルーメン勢いウィースつぶされて、絶命した。
  • Nostri ad unum omnes incolumes,
    • 我が方〔ローマ勢〕は、皆が一人余さず無事であり、
  • perpaucis vulneratis,
    • ごくわずかな者が傷ついただけであった。
  • ex tanti belli timore,
    • これほどの戦争への危惧にも拘らず、
  • cum hostium numerus capitum CCCCXXX(quadringentorum triginta) milium fuisset,
    • 敵の頭数は 430,000人であったけれども。
  • se in castra receperunt.
    • (ローマ勢は)陣営に引き返した。
  • Caesar iis, quos in castris retinuerat,
    • カエサルは、陣営に拘留していた者たちに
      (訳注:13節で、ゲルマーニア人の領袖や年長者たちを拘束していた。)
  • discedendi potestatem fecit.
    • 立ち去る機会を作った。
  • Illi supplicia cruciatusque Gallorum veriti,
    • かの者らは、ガッリア人による死刑や拷問を恐れたが、
  • quorum agros vexaverant,
    • ── (かつて)彼ら〔ガッリア人〕の耕地を略奪していたためなのだが、──
  • remanere se apud eum velle dixerunt.
    • 自分たちは彼〔カエサル〕のもとに残留することを欲する、と言っていた。
  • His Caesar libertatem concessit.
    • 彼らにカエサルは自由を認めた。

コラム「ゲルマーニア両部族が虐殺された場所はどこか?」[編集]

ガッリア北東部の河川名(ラテン語)(再掲)。
Rhenus:レーヌス 〔ライン川
Mosella:モセッラ 〔モーゼル川
Vacalus:ウァカルス〔ワール川
Mosa :モサ    〔マース川
Scaldis:スカルディス〔スヘルデ川
 本節で、ゲルマーニア両部族が「モサ〔マース川〕とレーヌス〔ライン川〕の合流するところ」で殺戮されたという記述は、多くの学者たちを悩ませて来た。confluens という単語は「川の合流するところ」を意味するが、ライン川とマース川は直接合流することはないからだ。
 モセッラ〔モーゼル川〕とレーヌス〔ライン川〕の合流点、現在のドイツのコブレンツのラテン語名は Cōnfluentēs であり、10節次節以降との関連から「モサ川の(Mosae)」はカエサルの誤りである可能性がある、という説も出された。
 この問題は、17節で橋が架けられた場所とも関連しており、コブレンツが有力である。
 しかし、コブレンツは、戦争の原因となったメナピイー族に近いマース川とライン川の支流の合流点から200キロは離れており、後者を殺戮地と考える校訂者・訳者も少なくない。
モセッラ川(現在のモーゼル川)とレーヌス川(現在のライン川)の合流点コブレンツConfluentes)が、本節の殺戮地であったかも知れない。

コラム「カエサルを弾劾する小カトー」[編集]

小カトーことマールクス・ポルキウス・カトー(右)と、娘ポルキア(左)の彫像。

 カエサルは、ゲルマーニアから来たウスィペテース族・テンクテーリー族の使節たちと和平のために3日間の猶予を設けた(11節)。だが、その間にゲルマーニア騎兵たちがローマ方の騎兵たちを急襲して敗走させた(12節)。もはや講和は無駄と判断したカエサルは再訪して来た使節たちを拘留し(13節)、ゲルマーニア陣営を急襲し(14節)、43万人ものゲルマーニア人を殺した(15節)。これはもはや戦いではなく、一方的な虐殺であった。
 やがてこの顛末が首都ローマに伝わると、多くの元老院議員たちは好意的には受け取らなかった。特に、マールクス・ポルキウス・カトー(いわゆる小カトー)は、カエサルは休戦協定に違反したのであって、カエサルの身柄を敵対した部族に引き渡して、ローマのために協定違反の汚名をそそぎ、神々の呪いを責任者であるカエサルに向けさせるべきだ、と弾劾した という。しかしながら、結果的に元老院はカエサルの戦勝を祝う感謝祭を決議したという(カエサルの三頭政治の盟友ポンペイウスクラッススの二人が執政官だったためと考えられている。)
 このエピソードは、同時代の元老院議員タヌシウス・ゲミヌスの著作『年代記』に言及されていたという。ギリシア人伝記作家プルータルコスの『対比列伝』(カエサル XXII) がこれを伝える。
 小カトーは、ガッリアで勝ち続けるカエサルを見て、やがて祖国ローマがカエサルの私兵化した軍隊によって蹂躙されることを予見していた、ともいわれている(『羅馬史略』を見よ)。
 カトーの死後、キケローは『カトー』という讃辞を、カエサルは『反カトー』(Anticatones) という批判書を著した。

第一次ゲルマーニア遠征[編集]

16節[編集]

レーヌス渡河の理由、スガンブリー族とウビイー族

  • Germanico bello confecto,
  • multis de causis
    • 多くの理由から
  • Caesar statuit sibi Rhenum esse transeundum;
    • カエサルは、自らにとってレーヌスライン川は渡らなければならぬ、と決意した。
  • quarum illa fuit iustissima
    • それらの(理由の)うち最も根拠のあるものは以下の通りであった。
  • quod, cum videret Germanos tam facile impelli ut in Galliam venirent,
    • ゲルマーニア人がいとも容易にガッリアにやって来るように駆り立てられるのを(カエサルは)見たので、
  • suis quoque rebus eos timere voluit, cum intellegerent et posse et audere populi Romani exercitum Rhenum transire.
    • 彼ら〔ゲルマーニア人〕が、ローマ人民の軍隊がレーヌス渡河も出来て、敢えて行いもするということを理解した状況で、自分たちおのおのの事態を怖れることを、(カエサルが)欲したからである。


  スガンブリー族
  • Accessit etiam quod
    • 以下のことさえも(上記の理由に)付け加わった。
  • illa pars equitatus Usipetum et Tenchterorum, quam supra commemoravi,
    • 前述した、ウスィペテース族とテンクテーリー族の騎兵隊の一部は、
  • praedandi frumentandique causa Mosam transisse neque proelio interfuisse,
    • 略奪や糧食調達のためにモサマース川を渡っていて、戦闘に参加しておらず、
      (訳注:9節12節で、ゲルマーニア両部族の騎兵隊の大半が食糧徴発などのために、
          モサ川の向こう側へ派遣されたと述べられている。)
      (訳注:15節コラムで既述の理由、および後述のスガンブリー族との近さから、
          モサ川ではなくモセッラ〔モーゼル川〕の可能性もある。)
  • post fugam suorum se trans Rhenum in fines Sugambrorum receperat seque cum his coniunxerat.
    • 味方の逃亡の後で、レーヌス〔ライン川〕の向こう側のスガンブリー族の領土に引き上げていて、彼らと合流していたのだ。
      (訳注:スガンブリー Sugambri は、シカンブリー Sicambri などとも表記される。)
  • Ad quos cum Caesar nuntios misisset,
    • かの者ら〔スガンブリー族〕のもとに、カエサルが伝令を派遣して
  • qui postularent eos, qui sibi Galliaeque bellum intulissent, sibi dederent,
    • 自分やガッリアに戦争をしかけた者たちを、自分〔カエサル〕に引き渡すように要求せしめていたときに
  • responderunt:
    • (スガンブリー族は以下のように)応答した。
  • populi Romani imperium Rhenum finire;
    • 『 ローマ人民の支配圏は、レーヌス〔ライン川〕が限界である。
  • si se invito Germanos in Galliam transire non aequum existimaret,
    • もし(カエサルの)意に反してゲルマーニア人がガッリアに渡ることを、正当でないと(カエサルが)判断するのならば、
  • cur sui quicquam esse imperii aut potestatis trans Rhenum postularet?
    • なぜ、自身〔カエサル〕の何らかの威令あるいは権力に服属することを、レーヌスの彼方〔東岸〕に要求するのか? 』


  ウビイー族
  • Ubii autem,
    • 他方でウビイー族は、
  • qui uni ex Transrhenanis ad Caesarem legatos miserant, amicitiam fecerant, obsides dederant,
    • レーヌス彼岸の(部族の)うちで唯一、カエサルに使節を派遣し、盟約をなし、人質を供出していたが、
  • magnopere orabant ut sibi auxilium ferret,
    • 自分たちを支援してくれるように、大いに懇願した。
  • quod graviter ab Suebis premerentur;
    • というのも、スエービー族からひどく抑圧されていたからである。
      (訳注:前述したように、またモムゼンらも指摘しているように、
          "スエービー"ではなくカッティー Chatti の可能性がある。)
  • vel, si id facere occupationibus rei publicae prohiberetur,
    • あるいは、もしそれ〔支援〕を行なうことが(ローマの)国務によって妨げられるならば、
  • exercitum modo Rhenum transportaret;
    • ただ、軍隊をレーヌス〔ライン川〕を渡してくれるように。
  • id sibi ad auxilium spemque reliqui temporis satis futurum.
    • そのことは、自分たちに対する今後の支援や希望のためには、十分であろう。
  • Tantum esse nomen atque opinionem eius exercitus
    • 〔カエサル〕の軍隊の功名と評判はいかほど大きなものであるか、
  • Ariovisto pulso et hoc novissimo proelio facto
  • etiam ad ultimas Germanorum nationes,
    • 最も遠方のゲルマーニアの種族にさえも(行き届いているので)
  • uti opinione et amicitia populi Romani tuti esse possint.
    • その結果として、ローマ人民の評判と友好関係により(ウビイー族は)安全であり得る。
  • Navium magnam copiam ad transportandum exercitum pollicebantur.
    • (ウビイー族は)大量の船を、(ローマ人の)軍隊の運搬のために約束していた。

17節[編集]

レーヌス川の架橋工事

  • Caesar his de causis, quas commemoravi, Rhenum transire decreverat;
    • カエサルは、前述したこれらの理由により、レーヌスライン川渡河を決意していた。
  • sed navibus transire neque satis tutum esse arbitrabatur
    • しかし(ウビイー族が提供する)船団で渡ることは十分に安全ではないと思っていたし、
  • neque suae neque populi Romani dignitatis esse statuebat.
    • (カエサル)自身およびローマ人民の威厳のためにならないと判断していた。
  • Itaque,
    • こうして、
  • etsi summa difficultas faciendi pontis proponebatur propter latitudinem, rapiditatem altitudinemque fluminis,
    • たとえ、川の幅・速さ・深さのために、架橋の非常な困難さが横たわっていたとしても、
  • tamen id sibi contendendum
    • しかしながら自分〔カエサル〕がそれを試みてみるべきであり、
  • aut aliter non traducendum exercitum existimabat.
    • さもなくば(他の方法で)軍隊を渡らせるべきではない、と判断していた。
カエサルがライン川に橋を架けたとされる有力な地点の図示。ライン川とモーゼル川の合流点にあるコブレンツ(Koblenz)と下流のアンダーナッハ(Andernach)との間のノイヴィート(Neuwied)辺りが有力な地点の一つとされる。
ノイヴィート(Neuwied)付近を流れるライン川。川幅はかなりある。
  • Rationem pontis hanc instituit.
    • 架橋の手法は、以下のものを実施した。
      (訳注:これは木製の桁橋であるが、以下の説明からは橋の詳細についてさまざまな解釈が出されている。
          したがって、本節の訳文もそれらの諸解釈の一つに過ぎない。)


  橋脚を建てる
  • Tigna bina sesquipedalia paulum ab imo praeacuta,
    • 根元から少し先を尖らせた(太さが)1ペース半の材 木ティグヌム 2本ずつを、
      (訳注:1ペースは約29.6cmで、1ペース半は約44cm。)
  • dimensa ad altitudinem fluminis
    • 川の深さに応じて測って〔川の深さに合わせた長さに切り揃えて〕
  • intervallo pedum duorum inter se iungebat.
    • 2ペースの間隔をおいて互いに緊結していた。
      (訳注:1ペースは約29.6cmで、2ペースは約59cm。)
PONTIS·IN·RHENO·FACTI·DESCRIPTIO   « I. »
(i) 根元の先を尖らせた太さ約44cmの材木を2本用意する。
(ii) 2本を約59cmの間隔をあけて板などで固定する。
(iii) 一対の材木を川の中に挿し入れて杭打ち機で押し込む。
カエサルがレーヌス架橋工事に用いた杭打ち機の復元模型
(上流側の橋杭)
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ウィキペディアPerpendiculumの記事があります。
  • ── non sublicae modo derecte ad perpendiculum,
    • ── 橋杭スブリカを、ただ 鉛直線方向ペルペンディクルム に真っ直ぐ下すのではなく、
  • sed prone ac fastigate,
    • 下方斜めに傾斜させて、
  • ut secundum naturam fluminis procumberent,──
    • 川の流れフルーメンの性質に従うように、前方に傾くようにしていたのだが、──
(下流側にも同様の橋杭)
  • his item contraria duo ad eundem modum iuncta
    • また、これらに対して反対側の2本(の材木)を同じ方法で緊結して、
  • intervallo pedum quadragenum ab inferiore parte
    • 40ペースずつの間隔をおいて、より下流の方面に、
      (訳注:1ペースは約29.6cmで、40ペースは約12m。)
  • contra vim atque impetum fluminis conversa statuebat.
    • 川の流れフルーメンの激しい勢いに抗して向きを変えて、建てていた。
PONTIS·IN·RHENO·FACTI·DESCRIPTIO   « II. »
(iv) 橋杭を斜めに傾ける。
  約12m離してもう一つ設ける。
(v) 二つの橋杭の上に、太さ約59cmの材木を、梁として渡して接合する。
左の復元図では、木造の桁橋けたばしは構造上安定せず、軍隊の重さで潰れてしまうと考えられる。
そこでホームズ(T. Rice Holmes)は、建築家の助力を得て、ブレース(筋交すじかい)で橋杭を支える案を提唱した。これが右の復元図である。
(梁と留め具で橋脚を支える)
  • Haec utraque insuper bipedalibus trabibus immissis,
    • これら〔二対の材木〕双方の上方に、(太さ)2ペースの梁を挿入して、
      (訳注:1ペースは約29.6cmで、2ペースは約59cm。)
  • quantum eorum tignorum iunctura distabat,
    • それらの材木の接合したものがこれほど離れて立っていて、
  • binis utrimque fibulis ab extrema parte distinebantur;
    • 二つずつの留め金フィーブラが両側で端の部分から離して置かれていた。
  • quibus disclusis atque in contrariam partem revinctis,
    • これら〔材木?〕離しておき、反対側の部分に固く縛って、
      (訳注:この辺りをどう解釈するかが『ガリア戦記』の一つの難所である。)
(水流が激しく当たるほど、橋脚が引き締まる)
  • tanta erat operis firmitudo atque ea rerum natura,
    • これほどの構築物オプスの頑丈さと自然の摂理とが相まって、
  • ut, quo maior vis aquae se incitavisset,
    • その結果、水の勢いがより大きく刺激していた分だけ、
  • hoc artius inligata tenerentur.
    • このことによって(材木は)より緊密に結び付けられて保持されるのだ。


  橋桁を架ける
PONTIS·IN·RHENO·FACTI·DESCRIPTIO   « III. »
(vi) 梁の上に、さらに材木(図中の丸印)を橋桁はしげたとして渡して、橋脚どうしをつなぐ。
その上に柴(図中の緑色部分)などを敷く。
橋を障害物から防護するために、
  下流側にはさらに杭を立て掛けて支える。
  (後述の «sublicae ~ oblique agebantur» 参照)
上流側の川底にも杭を打つ。
左の復元図では、上述のように安定しないと考えられる。
そこで同様にブレース(筋交い)で橋杭を支える案が、右の復元図である。
(vii) 桁橋を側面から見た復元例
(材木を1本ずつ立て掛けた場合)。
(vii) 桁橋を側面から見た復元例
(材木を2本ずつ交差させて立て掛けた場合)。
こちらは、ホームズ(T. Rice Holmes)の復元図に合わせた。
流木から橋を防護するために上流側に立て掛けられた斜材の例(埼玉県坂戸市を流れる越辺川に架かる八幡橋。)
  橋の両側に杭を打つ
  • ac nihilo setius
    • それでもなお、
  • sublicae et ad inferiorem partem fluminis oblique agebantur,
    • 杭が、川の下流方面へ斜めに打ち込まれて、
  • quae pro ariete subiectae
  • et cum omni opere coniunctae vim fluminis exciperent,
    • すべての構築物オプスと結び付けられて、川の勢いを受け止めるようにもした。
  • et aliae item supra pontem mediocri spatio,
    • かつ別のもの〔杭〕も同様に、橋の上流側に適当な間隔で(打ち込まれて)
  • ut, si arborum trunci sive naves deiciendi operis causa essent a barbaris missae,
    • もし木の幹やが、構築物オプスを破壊するために蛮族たちによって放り込まれたならば、
      (訳注:写本の記述 naves「舟」に替えて、trabēs「木材」とする修正提案もある。)
  • his defensoribus earum rerum vis minueretur
    • これらの防御物によってその物〔障害物〕の勢いを低減し、
  • neu ponti nocerent.
    • そして橋を害することがないように。
レーヌス(ライン川)架橋工事の想像画。


18節[編集]

レーヌス川に架けた橋を渡るローマ軍。 1814年、建築家ジョン・ソーン(John Soane)による想像画。

カエサルのレーヌス渡河、スガンブリー族の退却

  • Diebus X(decem), quibus materia coepta erat comportari,
    • 建材が運び集められ始めてから10日以内で、
  • omni opere effecto
    • すべての工事が完遂して、
  • exercitus traducitur.
    • 軍隊が(レーヌス川を)渡らせられる。
  • Caesar ad utramque partem pontis firmo praesidio relicto,
    • カエサルは、橋の両側のたもとに強力な守備隊を残して、
Wikipedia
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ウィキペディアSicambriの記事があります。
  • in fines Sugambrorum contendit.
    • スガンブリ族ーの領土に向かう。
      (訳注:スガンブリー Sugambri は、
          シカンブリー Sicambri などとも表記される。)
  • Interim a compluribus civitatibus ad eum legati veniunt;
    • その間に、いくつもの部族から彼〔カエサル〕のところへ使節がやって来る。
  • quibus pacem atque amicitiam petentibus
    • この者たちは和平と友好を請い願っており、
  • liberaliter respondet obsidesque ad se adduci iubet.
    • (カエサルは)寛大に答えて、人質を自分のもとへ連れて来ることを指図する。
  • At Sugambri, ex eo tempore, quo pons institui coeptus est,
    • だが、スガンブリー族は、橋が建設され始めた時から、
  • fuga comparata,
    • 逃亡を準備し、
  • hortantibus iis quos ex Tencteris atque Usipetibus apud se habebant,
    • 自分たちのもとで待遇していたテンクテーリー族とウスィペテース族の内の者たちから鼓舞されて、
  • finibus suis excesserant
    • 自分たちの領土から退去して、
  • suaque omnia exportaverant
    • 自分たちの一切合財を運び出していて、
  • seque in solitudinem ac silvas abdiderant.
    • さびしい森の中に身を隠していた。

19節[編集]

カエサル、ゲルマーニアから撤退する

  • Caesar paucos dies in eorum finibus moratus,
    • カエサルは若干の日々を、彼ら〔スガンブリー族〕の領土に留まって、
  • omnibus vicis aedificiisque incensis frumentisque succisis,
    • (スガンブリー族の)すべての村々や建物を焼き討ちして、穀物を切り倒すと、
  • se in fines Ubiorum recepit
    • ウビイー族の領土に退却して、
  • atque his auxilium suum pollicitus, si a Suebis premerentur,
    • もしスエービー族により圧迫されたら自分〔カエサル〕が彼ら〔ウビイー族〕を支援することを約束した。
  • haec ab iis cognovit:
    • 彼ら〔ウビイー族〕により以下のことを知った。
  • Suebos, postea quam per exploratores pontem fieri comperissent,
    • スエービー族は、橋が作られたことを、偵察隊を介して確認した後で、
  • more suo concilio habito
    • 自分たちの慣習により会合をもち、
  • nuntios in omnes partes dimisisse,
    • 伝令たちをあらゆる方面に送り出した。
  • uti de oppidis demigrarent, liberos, uxores suaque omnia in silvis deponerent
    • 城塞都市オッピドゥムから撤収して、子供たちや妻女たちや、自分らの一切合財を森の中に置いておくようにと、
  • atque omnes qui arma ferre possent unum in locum convenirent.
    • かつ武器を取ることのできる者はすべて、一か所に集結するようにと。
  • Hunc esse delectum medium fere regionum earum quas Suebi obtinerent;
    • それは、スエービー族が占有していた地方のほぼ中央が選定された。
      (訳注:前述のように「スエービー」はエルベ川流域に居住していた諸部族なので、
          ここではカッティー族 Chatti を指しているとも考えられる。)
  • hic Romanorum adventum exspectare atque ibi decertare constituisse.
    • この場所でローマ人の到着を待って、そこで決戦することを決定した。
  • Quod ubi Caesar comperit,
    • カエサルは、そのことを確認したときに、
  • omnibus iis rebus confectis, quarum rerum causa traducere exercitum constituerat,
    • かかる事情のゆえに軍隊を渡河させると決めていたところのすべての事柄を成し遂げており、
  • ut Germanis metum iniceret,
  • ut Sugambros ulcisceretur,
    • スガンブリー族に報復して、
  • ut Ubios obsidione liberaret,
    • ウビイー族を包囲から解き放ち、
  • diebus omnino XVIII(decem et octo) trans Rhenum consumptis,
    • 全部で(たった)18日間をレーヌスライン川の向こう側で費やし(ただけで)
  • satis et ad laudem et ad utilitatem profectum arbitratus
    • 十分に(ローマ国家の)名誉も権益も達成したと思ったので、
      (訳注:profectum はα系写本の記述で、β系写本では perfectum となっている。)
  • se in Galliam recepit pontemque rescidit.
    • ガッリアに撤退して、橋を破却した。

第一次ブリタンニア遠征[編集]

(参考記事:Julius Caesar's invasions of Britain

20節[編集]

カエサルがブリタンニアへの遠征を決意する

カエサルと同時代のギリシア人地理学者ストラボーン著『地誌』の記述に基づくヨーロッパの地図。当時は、ブリタンニア(希 Βρεττανία / Brettania)はガッリアの北方にあり、ガッリア(希 κέλτικα / Celtica)も北方に位置すると考えられていた。
ローマ時代のブリタンニア島
  • quod omnibus fere Gallicis bellis
    • ── というのも、ガッリア人とのほぼすべての戦争において、
  • hostibus nostris inde subministrata auxilia intellegebat,
    • 我が方の敵に対して、そこから援軍が供出されている、と知っていたためであるが、──
      (訳注:第3巻9節でブリタンニアからの援軍への言及があるが、これは全ガッリアへの援軍ではない。)
  • et si tempus anni ad bellum gerendum deficeret,
    • かつ、たとえ年の時季が戦争遂行のために不足していたとしても、
  • tamen magno sibi usui fore arbitrabatur,
    • にもかかわらず、自分〔カエサル〕にとって大いに有益になるであろうと考えていた。
  • si modo insulam adisset, et genus hominum perspexisset, loca, portus, aditus cognovisset;
    • もし単に島に赴いて、人々の種族を調べて、土地勘・港・上陸地を知ったならば、だが。
  • quae omnia fere Gallis erant incognita.
    • それらの事ほぼすべては、ガッリア人たちに知られていなかったのである。
  • Neque enim temere praeter mercatores illo adiit quisquam,
    • なぜなら、商人たち以外には、何者も無闇にあそこに赴いた者はいないし、
      (訳注:illo adiit はα系写本の記述で、β系写本では adit ad illos となっている。)
  • neque iis ipsis quicquam praeter oram maritimam atque eas regiones, quae sunt contra Gallias, notum est.
    • 彼ら〔商人たち〕自身にも、沿海地方でガッリアに向かい合っている地域のほかには、何も知られていないのだ。
  • Itaque vocatis ad se undique mercatoribus,
    • このように、自分〔カエサル〕のところへ至る所から商人を呼び寄せても、
      (訳注:下線部は α系写本では vocātīs あるいは convocātīs だが、β系写本では ēvocātīs となっている。)
  • neque quanta esset insulae magnitudo
    • 島の大きさがどれほどなのかも、
  • neque quae aut quantae nationes incolerent,
    • どのような、あるいはどれほど多くの種族が居住するのかも、
  • neque quem usum belli haberent
    • どのような戦争の用法を有するのか、
  • aut quibus institutis uterentur,
    • あるいはどのような生活習慣を用いているのか、
  • neque qui essent ad maiorum navium multitudinem idonei portus,
    • 多数の大型船(の停泊)に適切などのような港があるかも、
  • reperire poterat.
    • (カエサルは、商人たちから答えを)見出すことができなかったのである。

21節[編集]

ブリタンニア遠征の準備、ウォルセーヌスとコンミウスの先遣

  ウォルセーヌスをブリタンニア派遣
  • Ad haec cognoscenda, prius quam periculum faceret,
    • (カエサルは)これらについて知るために、(渡航という)危険を冒すより前に、
  • idoneum esse arbitratus Gaium Volusenum
    • ガーイウス・ウォルセーヌスを適切であると思って、
      (訳注:Gaius Volusenus は、第3巻5節のアルプス・オクトードゥールスの戦いで既述。
          本巻23節第6巻41節、さらに第8巻23節(s)、48節(s)でも活躍する。)
  • cum navi longa praemittit.
    • 長船〔軍船〕とともに先遣する。
  • Huic mandat, uti exploratis omnibus rebus ad se quam primum revertatur.
    • 〔ウォルセーヌス〕には、あらゆる事柄を探求して、自分のところへできるかぎり早く戻るように、と指図する。


  カエサルが、モリニー族の土地に出帆拠点を確保しようとする
  • Ipse cum omnibus copiis in Morinos proficiscitur,
    • (カエサル)自身は、全軍勢とともに、モリニー族(の領土)に出発する。
  • quod inde erat brevissimus in Britanniam traiectus.
    • というのも、そこからブリタンニア(軍勢を)渡らせるのが、最短であったからだ。
  • Huc naves undique ex finitimis regionibus
    • この場所へ、至る所から、近隣地域の船団に、
  • et quam superiore aestate ad Veneticum bellum fecerat classem
  • iubet convenire.
    • 集結することを命じた。


  ブリタンニアの諸部族がカエサルへ帰服を申し出る使節を派遣
  • Interim, consilio eius cognito et per mercatores perlato ad Britannos,
    • その間に、彼〔カエサル〕の計画が知られ、商人を介してブリタンニア人へ知らされて、
  • a compluribus (eius) insulae civitatibus ad eum legati veniunt,
    • いくつものその島〔ブリタンニア〕の部族から、彼〔カエサル〕のところへ使節たちが来た。
  • qui polliceantur obsides dare atque imperio populi Romani obtemperare.
    • その者らは、人質を供出すること、およびローマ人民の威令に服従することを約束した。
  • Quibus auditis, liberaliter pollicitus
    • (カエサルは)その者らから聞くと、寛大に約束をして、
  • hortatusque ut in ea sententia permanerent,
    • その見解を持ち続けるように励まして、
  • eos domum remittit
    • 彼らを郷里に送り返した。


  アトレバテース族の王コンミウスをブリタンニアへ派遣
  • et cum iis una Commium,
  • quem ipse Atrebatibus superatis regem ibi constituerat,
    • ── アトレバテース族が征服されると、(カエサル)自身が、その者をそこの王として配置しており、
      (訳注:アトレバテース族については、第2巻4節16節23節で述べられ、
          カエサルと戦って敗れたことが語られた。)
  • cuius et virtutem et consilium probabat,
    • その者の美徳も判断力も認めており、
  • et quem sibi fidelem esse arbitrabatur
    • その者を(カエサル)自身にとって忠実であると思っており、
  • cuiusque auctoritas in his regionibus magni habebatur,
    • その者の権勢はかの地方において大きなものを持っていたのだが、──
      (訳注:アトレバテース族はブリタンニアにも居住していたため、ドイツのローマ史家ゲルツァーは、
          コンミウスが当地のアトレバテース族と関わりがあったと推測しているが、[11]
          カエサルの侵攻より前の時点でアトレバテース族が当地にいたかどうかは詳らかではない。)
  • mittit.
    • (このコンミウスをブリタンニアの使節とともに)遣わした。
  • Huic imperat, quas possit adeat civitates horteturque ut populi Romani fidem sequantur,
    • 彼に、できるかぎり部族に頼んで、ローマ人民への忠誠に従うように仕向けよ、
  • seque celeriter eo venturum (esse) nuntiet.
    • そして、自分〔カエサル〕がそこへ速やかに来るだろうと伝えよ、と命じる


  ウォルセーヌスが帰還して見聞をカエサルに報告
  • Volusenus perspectis regionibus omnibus quantum ei facultatis dari potuit,
    • ウォルセーヌスは、機会が与えられるかぎりのあらゆる地方を見聞して、
  • qui navi egredi ac se barbaris committere non auderet,
    • 船から出て蛮族に身を委ねることはあえてしなかった。
  • quinto(V.) die ad Caesarem revertitur, quaeque ibi perspexisset renuntiat.
    • 5日目〔4日後〕にカエサルのところへ戻って、そこで見聞したそれぞれのことを報告する。
      (訳注:古代ローマで日数を数えるときは当日から起算するため、「5日目」は「4日後」という意味。)

22節[編集]

モリニー族の帰服、船団の配分、諸軍団のガッリア残留

   モリニー族の使節団がカエサルに和を乞う
  • Dum in his locis Caesar navium parandarum causa moratur,
    • カエサルがこの地〔モリニー族の領土〕に船団を準備するために滞留している間に、
  • ex magna parte Morinorum ad eum legati venerunt,
    • モリニー族の大部分から彼〔カエサル〕のもとへ使節たちがやって来た。
  • qui se de superioris temporis consilio excusarent,
    • 往時の謀議について弁明するために。
      (訳注:第3巻28節29節で、カエサルの侵攻に抵抗したこと。)
  • quod homines barbari et nostrae consuetudinis imperiti bellum populo Romano fecissent,
    • (モリニー族は)野蛮な人々で、我が方〔ローマ人〕の慣習に無知で、ローマ人民に戦争をしていたのだ、と。
  • seque ea, quae imperasset, facturos pollicerentur.
    • かつ、自分たちは(カエサルが)命じたことを実行するであろう、と約束するために。
  • Hoc sibi Caesar satis opportune accidisse arbitratus,
    • これは自らにとって十分に都合良く起こった、とカエサルは思った。
  • quod neque post tergum hostem relinquere volebat
    • ── というのも、背後に敵を残しておくことを欲していなかったし、
  • neque belli gerendi propter anni tempus facultatem habebat
    • 年の時季のゆえに(モリニー族と)戦争を遂行する余力を持っていなかったし、
      (訳注:紀元前55年の夏の終わり頃の事であったと考えられている。
          モリニー族と開戦してしまうと、その年のうちにブリタンニアへ侵攻して、
          さらに越冬するためにガッリアの冬営地に戻って来る時間がなくなってしまう。)
  • neque has tantularum rerum occupationes Britanniae anteponendas iudicabat,
    • これほど些末な事柄に従事することをブリタンニア(への遠征)よりも優先させるべきではないと判断していたからだが、──
  • magnum iis numerum obsidum imperat.
    • (カエサルは)彼ら〔モリニー族〕に多数の人質(の供出)を指図する。
  • Quibus adductis eos in fidem recepit.
    • この者ら〔人質〕が連れて来られたので、彼ら〔モリニー族の大半〕を忠節のもとに受け入れた。


  カエサルが、船団を将兵たちに分配する
  • Navibus circiter LXXX(octoginta) onerariis coactis,
    • 約80隻の貨物船団を徴集して、
  • contractisque, quot satis esse ad duas transportandas legiones existimabat,
    • 2個軍団を渡航させるために十分であると判断していたほど多くのものを集結させた。
      (訳注:quot初版本以降の修正で、主要写本ω では quod となっている。)
  • quicquid praeterea navium longarum habebat, id quaestori, legatis praefectisque distribuit.
    • そのうえ、長船〔軍船〕のうち持っていたところのすべてを、財務官副官(支援軍の)隊長に割り当てた。
      (訳注:quicquid ~ id はβ系写本の記述で、α系写本では単に quod となっている。)
  • Huc accedebant
    • これに加えて、
  • XVIII(octodecim,duodeviginti) onerariae naves, quae ex eo loco ab milibus passuum VIII(octo) vento tenebantur,
    • 18隻の貨物船団が、その地点から8ローママイルのところで風のために妨げられていて、
      (訳注:1ローママイルは約1.48 kmで、8マイルは約12 km)
  • quo minus in eundem portum venire possent:
    • 同じ港に来ることができなかったが、
  • has equitibus distribuit.
    • これらを騎兵たちに与えた。


  諸軍団の大半を副官たちに指揮させて、ガッリア沿海部を守備させる

23節[編集]

ブリタンニアへ渡海して、幕僚たちに指示、停泊する

  • His constitutis rebus,
    • これらの事柄が取り決められると
  • nactus idoneam ad navigandum tempestatem
    • 航海のために適切な天候に遭遇して、
  • tertia(III.) fere vigilia (naves) solvit
    • (カエサルは)ほぼ第三夜警時に出帆した。
      (訳注:第三夜警時は、真夜中を過ぎた頃「未明」。#夜警時 を参照。)
      (訳注:nāvēs (nāvīs) はβ系写本の記述で、α系写本では省かれている。
          (nāvem) solvereを上げる、出帆する」)


  • equitesque in ulteriorem portum progredi et naves conscendere et se sequi iussit.
    • 騎兵たちには、より向こう〔北方〕の港に前進し、船団に乗船して、自分〔カエサル〕に後続することを命じた。
  • A quibus cum paulo tardius esset administratum,
    • この者ら〔騎兵〕によって(任務を)遂行するのが少し遅れていたときに、
  • ipse hora circiter diei quarta(IIII.)
    • (カエサル)自身は、昼間のおよそ第四時に、
      (訳注:第四時は、夏至の頃のイタリアでは、午前8時台~9時台。#昼間の時間 を参照。)
  • cum primis navibus Britanniam attigit
  • atque ibi in omnibus collibus expositas hostium copias armatas conspexit.
    • そこには、すべての丘に、敵の武装した軍勢が展開しているのが見えた。
ドーバー海峡を航海中のカエサルを描いた後世の戯画。
ブリタンニアの軍勢がカエサルの遠征軍を待ち構えていた、ドーバー白い断崖石灰質で形成された切り立った白い崖は、当地のラテン語名「アルビオン」(Albion)の語源となった。
  • Cuius loci haec erat natura
    • その地の地勢は以下のようであった。
  • atque ita montibus angustis mare continebatur,
    • 切り立った山々で海が囲まれているので、
  • uti ex locis superioribus in litus telum adigi posset.
    • 上方の地点から海岸に飛び道具を投げやることができる。
  • Hunc ad egrediendum nequaquam idoneum locum arbitratus,
    • (カエサルは)これは下船するために決して適切な場所ではないと判断して、
      (訳注:動詞 ēgredior はここでは、「下船する」[12]または「上陸する」[13]。)
  • dum reliquae naves eo convenirent,
    • 残りの船団がそこに集結するまでの間、
  • ad horam nonam in ancoris exspectavit.
    • 第九時まで投錨して待った。
      (訳注:第九時は、夏至の頃のイタリアでは、午後3時の頃。#昼間の時間 を参照。)
      (訳注:in ancorīsいかりを下ろして」「停泊して」)


  幕僚たちに訓示
  • Interim, legatis tribunisque militum convocatis,
  • et quae ex Voluseno cognosset
    • ウォルセーヌスから知っていたこと
  • et quae fieri vellet, ostendit
    • (カエサル自身が)なされると欲すること、指し示して、
  • monuitque, ut rei militaris ratio, maximeque ut maritimae res postularent,
    • 軍事的な事柄、とりわけ海事が要求するようなことについて、忠告した。
  • ut quam celerem atque instabilem motum haberent,
    • (海事は)すばやく変わりやすい動きを持っているから、
  • ad nutum et ad tempus
    • 指図されたら間髪置かずに、
  • omnes res ab iis administrarentur.
    • すべての事が彼ら〔幕僚たち〕により遂行されるように、と。
  • His dimissis,
    • 彼ら〔幕僚たち〕を解散させ、
  • et ventum et aestum uno tempore nactus secundum
    • 好都合な風と潮に一時いちどきに出くわすと、
  • dato signo et sublatis ancoris
    • 号令を下し、錨を上げて、
  • circiter milia passuum septem(VII) ab eo loco progressus,
    • その場から約7ローママイル前進して、
      (訳注:1ローママイルは約1.48 kmで、7マイルは約10 km。)
  • aperto ac plano litore naves constituit.
    • 開けた平らな海岸に、船団を停めた。

24節[編集]

ブリタンニア人が、浅瀬でローマ勢の上陸を阻む

  • At barbari, consilio Romanorum cognito,
    • だが一方、蛮族たちはローマ人たちの考えを知ると、
  • praemisso equitatu et essedariis, quo plerumque genere in proeliis uti consuerunt,
    • 戦闘におけるたいていのやり方で用いるのを常としていた騎兵隊および戦車兵を先遣し、
      (訳注:essedārius は、essedum と呼ばれる二輪馬車に騎乗し、盾と槍・剣で戦ったケルトの戦士。)
Wikipedia
Wikipedia
ウィキペディアEssedarius の記事があります。
  • reliquis copiis subsecuti
    • 残りの軍勢が続いて、
  • nostros navibus egredi prohibebant.
    • 我が方〔ローマ勢〕が船団から出ることを妨げていた。


  ローマ勢の下船の困難
  • Erat ob has causas summa difficultas,
    • 以下のような理由のために、非常な困難さがあった。
  • quod naves propter magnitudinem nisi in alto constitui non poterant,
    • ── というのは、船団は大きさのゆえに水深のあるところでなければ停泊することができなかったし、
  • militibus autem, ignotis locis,
    • 他方で兵士たちは、土地に不案内で、
  • impeditis manibus,
    • 両手がふさがっていて、
  • magno et gravi onere armorum oppressis
    • 大きくて重い武器の荷で圧迫されていて、
  • simul et de navibus desiliendum et in fluctibus consistendum et cum hostibus erat pugnandum,
    • 同時に、船から飛び降りて、流れの中に陣取って、敵と戦わなければならなかったのだ。──


  ブリタンニア勢が浅瀬から抗戦
  • cum illi aut ex arido aut paulum in aquam progressi
    • そのときに彼ら〔ブリタンニア勢〕は、乾いたところから、あるいは少し水中に進んで、
  • omnibus membris expeditis,
    • すべての手足は軽装で、
  • notissimis locis,
    • 非常に良く知れた場所で、
  • audacter tela conicerent
    • 大胆に飛び道具を投げやって、
  • et equos insuefactos incitarent.
    • よく訓練された馬を駆った。
  • Quibus rebus nostri perterriti
    • これらの事情により、我が方〔ローマ勢〕は脅かされ、
  • atque huius omnino generis pugnae imperiti,
    • この種の戦いにはまったく経験がなく、
  • non eadem alacritate ac studio quo in pedestribus uti proeliis consuerant utebantur.
    • (陸上の)歩兵戦において用いるのを常としていたのと同じ熱意や意欲を用いなかったのである。

25節[編集]

軍船と鷲の徽章の旗手

  • Quod ubi Caesar animadvertit,
    • カエサルはそのことに気づくや否や、
  • naves longas,
    • 長船〔軍船〕に、
      (訳注:22節で、保有していた長船〔軍船〕のすべてを財務官副官隊長に割り当てたとある。)
古代ローマの軍船(再現模型)
  • quarum et species erat barbaris inusitatior
    • ── それらは、外見蛮族にはあまり見慣れないもので、
  • et motus ad usum expeditior,
    • 操船の動きより敏捷なものであったが、──
  • paulum removeri ab onerariis navibus
    • 貨物船団から少し遠ざけること、
  • et remis incitari
    • 櫂を駆って進むこと、
  • et ad latus apertum hostium constitui
    • 敵勢の(盾で防護されていない)開かれた側面に、配置すること、
  • atque inde fundis, sagittis, tormentis hostes propelli ac submoveri iussit;
  • quae res magno usui nostris fuit.
    • これらの事は、我が方〔ローマ勢〕にとって大いに有益であった。
  • Nam et navium figura
    • なぜなら、船の外形によって
  • et remorum motu
    • 櫂の動きによって
  • et inusitato genere tormentorum permoti
    • 見慣れない種類の射出機トルメントゥムによっても、動揺させられて、
  • barbari constiterunt ac paulum modo pedem rettulerunt.
    • 蛮族は足を止めて、少しだけきびすを返して戻ったのだ。


ローマ軍において軍団の象徴であった金色の
鷲の徽章aquila
ローマ軍の上陸を鼓舞する鷲の徽章の旗手(想像画)
  鷲の徽章の旗手が、兵士らを鼓舞する
  • At nostris militibus cunctantibus, maxime propter altitudinem maris,
    • だが、我が兵士たちは、とりわけ海の深さのゆえに、ためらっていたが、
  • qui X(decimae) legionis aquilam ferebat,
    • 第10軍団鷲の徽章アクィラを持ち運んでいた者が、
      (訳注:aquila(鷲の徽章)は軍旗類の一種で、
          その運び手(旗手)は aquilifer と呼ばれる。)
  • obtestatus deos, ut ea res legioni feliciter eveniret,
    • 状況が軍団にとって幸いな結果になりますように、と神々に嘆願して、
      (訳注:obtestātus はπ系・V写本の記述で、α系写本では contestātus となっている。)
  •  « desilite » , inquit,
    • 「飛び降りよ」と言った。
  •  « milites, nisi vultis aquilam hostibus prodere;  
    • 「兵士らよ、もし鷲の徽章アクィラを敵に渡すことを欲しないのなら、
      (訳注:mīlitēs はα系写本の記述で、β系写本では commīlitōnēs となっている。)
  •   ego certe meum rei publicae atque imperatori officium praestitero.  »
    • 我は確かに、我が公儀〔ローマ国家〕と将軍への務めを果たす。」
      (訳注:カエサルは会話をたいてい間接話法で記すが、
           «  » の箇所は珍しく直接話法で記されている。
          第5巻30節でも直接話法が用いられる。)
  • Hoc cum voce magna dixisset,
    • これを大きな声とともに言って、
  • se ex navi proiecit atque in hostes aquilam ferre coepit.
    • 船から身を投げて、敵に向かって鷲の徽章アクィラを運び始めた。
  • Tum nostri cohortati inter se,
    • すると我が方〔ローマ勢〕は互いに鼓舞し合って、
  • ne tantum dedecus admitteretur,
    • このような恥辱を犯されないようにと、
  • universi ex navi desiluerunt.
    • 総勢が船から飛び降りた。
  • Hos item ex proximis primis navibus cum conspexissent,
    • (別の者たちも)彼らを隣の先頭の船から眺めていたので、
  • subsecuti hostibus adpropinquarunt.
    • すぐ続いて敵へ近づいた。

26節[編集]

ローマ勢、苦戦からの強襲上陸

   ローマ兵が軍旗のもとに密集して大いに手間取る
  • Pugnatum est ab utrisque acriter.
    • (ローマ勢とブリタンニア勢)双方により、激しく戦われた。
  • Nostri tamen,
    • けれども、我が方〔ローマ勢〕は、
  • quod neque ordines servare
    • ── 隊列オルドーを維持することも、
  • neque firmiter insistere
    • しっかり踏み止まることも、
  • neque signa subsequi poterant
    • 軍旗シグヌムに続くことも、できなかった。
  • atque alius alia ex navi quibuscumque signis occurrerat se adgregabat,
    • かつ、それぞれの船から出た者たちが互いに、何であれ軍旗シグヌムのもとに出遭った者は、群がっていたので、──
  • magnopere perturbabantur;
    • 大いに混乱させられていた。


   ブリタンニア勢が、浅瀬に足を取られているローマ勢を攻囲
  • hostes vero, notis omnibus vadis,
    • だが敵〔ブリタンニア勢〕は、すべての浅瀬を知っていたので、
  • ubi ex litore aliquos singulares ex navi egredientes conspexerant,
    • (ローマ勢の)ある者たちが一人ずつが船から出て来るのを、海岸から眺めるや否や、
  • incitatis equis impeditos adoriebantur,
    • 馬を駆って、足止めされていた者たち〔ローマ勢〕に襲いかかり、
  • plures paucos circumsistebant,
    • 多勢が寡勢を攻囲した。
  • alii ab latere aperto in universos tela coniciebant.
    • 他の者たちは、開けた側から(ローマ勢)全体に飛び道具を投げやった。
      (訳注:「開けた側」とは、ローマ軍団兵の右手の側。
           軍団兵は、盾を持つ左手の側は守られているが、剣を持つ右手の側は無防備であった。)


   カエサルが、小舟や偵察船で援兵を派遣
  • Quod cum animadvertisset Caesar,
    • カエサルはそのことに気づいたときに、
  • scaphas longarum navium, item speculatoria navigia militibus compleri iussit,
    • 長船〔軍船〕付きの小舟や、偵察船も、兵士たちで満たされることを命じて、
  • et quos laborantes conspexerat,
    • (ブリタンニア勢に浅瀬で攻囲された)かの者らが苦戦しているのを見て、
  • his subsidia submittebat.
    • 彼らに対して、(小舟や偵察船で)援兵を派遣した。


   ブリタンニア勢を撃退するが、騎兵不足のため追撃できず
  • Nostri, simul in arido constiterunt,
    • 我が方〔ローマ勢〕は乾いたところに陣取るや否や、
  • suis omnibus consecutis,
    • 我が総勢が続き、
  • in hostes impetum fecerunt atque eos in fugam dederunt;
    • 敵に突撃をしかけて、彼らを敗走に追いやった。
  • neque longius prosequi potuerunt,
    • より遠くに(敵を)追撃することはできなかった。
  • quod equites cursum tenere atque insulam capere non potuerant.
    • というのは、(後発の)騎兵たちは、航路を保って(ブリタンニア)島に至ることができなかったのである。
  • Hoc unum ad pristinam fortunam Caesari defuit.
    • この一点だけを、これまでの幸運に対して、カエサルは欠いたのである。
カエサルとローマ軍の上陸地点
イギリス南東部ケント州のディール(Deal)の近くにある、カエサルのローマ軍が最初に上陸したことを記す後世の記念碑。
「THE FIRST ROMAN INVASION OF BRITAIN LED BY JULIUS CAESAR; LANDED NEAR HEAR LV BC (ユリウス・カエサルに率いられたローマ人の最初のブリタンニア侵攻、紀元前55年にここの近くに上陸した)」と記されている[14]
カエサルとローマ軍が最初に上陸を果たしたと考えられているイギリス南東部・ケント州の海岸沿いの町ウォルマーWalmer)の海岸近くに設置されている近代の記念碑(Julius Caesar Memorial Plaque [15])。
ディールから近い、ウォルマー海岸にある[16]


27節[編集]

ブリタンニア人の帰服

  • Hostes proelio superati, simul atque se ex fuga receperunt,
    • 敵は、戦闘で圧倒されて、逃亡から立ち直るや否や、
  • statim ad Caesarem legatos de pace miserunt;
    • すぐにカエサルのところへ和平の使節たちを派遣した。
  • obsides daturos, quaeque imperasset, sese facturos polliciti sunt.
    • 人質を供出しましょう、(カエサルが)命じたところのものは何でもやりましょう、と約束した。
  • Una cum his legatis Commius Atrebas venit,
  • quem supra demonstraveram a Caesare in Britanniam praemissum.
    • かの者は上述したように、カエサルからブリタンニアに先遣されていた。
      (訳注:21節で言及された。)
  • Hunc illi e navi egressum,
    • あの者たち〔ブリタンニア勢〕は彼〔コンミウス〕が船から出て来たところを、
  • cum ad eos oratoris modo Caesaris mandata deferret,
    • (彼は)弁舌家のやり方でカエサルに委ねられたことを伝えようとしていたのだけれども、
  • comprehenderant atque in vincula coniecerant;
    • 拘禁して、鎖にかけていたのだ。
  • tum proelio facto
    • それから戦闘が行なわれると、
  • remiserunt et in petenda pace
    • (コンミウスを)送り返して、和平を求め、
  • eius rei culpam in multitudinem contulerunt et propter imprudentiam ut ignosceretur petiverunt.
    • この事〔拘禁〕の罪を大衆に帰して、(大衆の)未熟さのために恩赦されるように、と頼んだ。
      (訳注:contulērunt はβ系写本の記述で、α系写本では coniēcērunt となっている。)
  • Caesar questus,
    • カエサルは嘆いて、
  • quod, cum ultro in continentem legatis missis pacem ab se petissent, bellum sine causa intulissent,
    • (彼らが)自発的に大陸に使節を派遣して自ら和平を頼んだのに、理由なしに戦争をしかけたのだが、
  • ignoscere imprudentiae dixit
    • 未熟さを恩赦すると言って、
  • obsidesque imperavit;
    • 人質(の供出)を命じた。
  • quorum illi partem statim dederunt,
    • あの者ら〔使節たち〕はかの(人質の)一部をただちに供出して、
  • partem ex longinquioribus locis accersitam paucis diebus sese daturos dixerunt.
    • (別の)一部を、より遠隔の地から呼び寄せて、数日で供出するだろう、と言っていた。
      (訳注:accersītam はα系写本の表記で、β系写本では arcessītam となっている。)
  • Interea suos in agros remigrare iusserunt,
    • その間に味方に土地に帰ることを命じて、
  • principesque undique convenire
    • 領袖たちはいたるところから集まって来て、
  • et se civitatesque suas Caesari commendare coeperunt.
    • 自らとその部族をカエサルに委ね始めた。

28節[編集]

騎兵たちの船団が、急な嵐に遭遇する

  • His rebus pace confirmata,
    • これらの事により和平が確認されて、
  • post diem quartum quam est in Britanniam ventum,
    • (カエサルらが)ブリタンニアに来てから4日目の後に
      (訳注:古代ローマで日数を数えるときは当日から起算するため、「4日目」は「3日後」という意味。)
  • naves XVIII(octodecim,duodeviginti), de quibus supra demonstratum est, quae equites sustulerant,
    • 船団18隻が、──それらについては上述したように、騎兵を運んでいたのだが、──
      (訳注:22節 参照。)
  • ex superiore portu leni vento solverunt.
    • より上方〔北方〕の港から、穏やかな風で出帆した。
  • Quae cum adpropinquarent Britanniae et ex castris viderentur,
    • それらがブリタンニアに近づいて、(ローマ勢の)陣営の内から見てとられたときに、
  • tanta tempestas subito coorta est,
    • あれほどのが突如として発生したので、
      (訳注:潮位の変動から、紀元前55年の8月30日~31日頃に起こったという推定がある[17]
          これは、8月26日頃にカエサルが大陸を出帆したという説に符合すると考えられる。)
  • ut nulla earum cursum tenere posset,
    • 何らその航路を保つことができなかったほどであった。
  • sed aliae eodem unde erant profectae referrentur,
    • のみならず、あるもの〔船団〕は、そこから出発していたのと同じところへ戻されていた。
  • aliae ad inferiorem partem insulae, quae est propius solis occasum,
    • 他のあるもの〔船団〕は、(ブリタンニア)島のより下の方面の日没にさらに近くに
      (訳注:つまり、現在のドーバー辺りからさらに南西の方面に。)
  • magno sui cum periculo deicerentur;
    • 大きな危険とともに投げ出されていた。
      (訳注:suī は主要写本ω の記述だが、suō という修正提案や、削除提案がある。)
  • quae tamen ancoris iactis
    • けれども、それら〔船団〕は、を投じたものの、
  • cum fluctibus complerentur,
    • (船内が)潮で満たされたので、
  • necessario adversa nocte
    • やむを得ずに、夜(の闇)に逆らって、
  • in altum provectae
    • 水深のあるところ〔沖合〕に前進して、
  • continentem petiverunt.
    • 大陸を目指して行った。

29節[編集]

ローマ船団の大破

  • Eadem nocte accidit ut esset luna plena,
    • (嵐が起こった)同じ夜に、月が満ちていた。
      (訳注:上述のように、紀元前55年の8月30日~31日頃に起こったという推定がある。)
  • qui dies maritimos aestus maximos in Oceano efficere consuevit,
    • そのような日は、大洋大西洋オーケアヌスでは海の潮を最大〔満潮〕にするのが常であったが、
  • nostrisque id erat incognitum.
    • それは我ら〔ローマ人〕には知られていなかった。
      (訳注:満月のときは、月・地球・太陽がほぼ一直線上に並ぶので、
          潮に働く潮汐力が最大となり、満潮となるのが普通だが、
          ローマ人が良く知る地中海内海であるため、潮の満ち引きが見られないという。)


  軍船も貨物船も嵐で大破、ローマ勢の動揺
  • Ita uno tempore
    • こうして一時に、
  • et longas naves, quibus Caesar exercitum transportandum curaverat,
    • カエサルが軍隊を運搬するためのものとして手配していた長船〔軍船〕
      (訳注:22節で、保有していた長船〔軍船〕のすべてを財務官副官隊長に割り当てたとある。)
  • quasque in aridum subduxerat, aestus complebat,
    • 乾いたところに引き揚げておいたものを、潮が満たして、
      (訳注:complēbat はβ系写本の記述で、α系写本では complēverat となっている。)
  • et onerarias, quae ad ancoras erant deligatae, tempestas adflictabat,
    • に固定されていた貨物船、嵐が打ち砕いて、
  • neque ulla nostris facultas aut administrandi aut auxiliandi dabatur.
    • 我が方〔ローマ勢〕には、操作あるいは援助することの何らの能力が与えられなかった。
  • Compluribus navibus fractis,
    • 多くの船が砕かれて、
  • reliquae cum essent ──funibus, ancoris, reliquisque armamentis amissis── ad navigandum inutiles,
    • 残り(の船)は、縄 索フーニスや他の索具を失って、航海するための役に立たなかったので、
      (訳注:armamentum (英 rigging)⇒「索具」:帆柱を支える綱や器具など。第3巻14節で既出。)
  • magna, ──id quod necesse erat accidere,── totius exercitus perturbatio facta est.
    • それは起こることが当然ながら、(ローマ側の)軍隊全体の大きな動揺が生じた。
  • Neque enim naves erant aliae quibus reportari possent,
    • なぜなら、(ローマ勢を大陸に)運び帰すことのできる他の船団はなかったし、
  • et omnia deerant, quae ad reficiendas naves erant usui,
    • 船団を修理するために有用であったものすべてが欠けていて、
  • et, quod omnibus constabat hiemare in Gallia oportere,
    • 皆にとってガッリアで冬営せねばならぬと確信していたので、
      (訳注:hiemāre はα系写本の記述で、β系写本では hiemārī となっている。)
  • frumentum in his locis in hiemem provisum non erat.
    • この地での冬季の糧食は調達されていなかったのである。

30節[編集]

ブリタンニア人の心変わり

  • Quibus rebus cognitis,
    • これらの事態が知られると、
  • principes Britanniae, qui post proelium ad Caesarem convenerant,
    • 戦闘後にカエサルのもとへ集まっていたブリタンニアの領袖たちは
  • inter se conlocuti,
    • 互いに話し合って、
  • cum et equites et naves et frumentum Romanis deesse intellegerent
    • ローマ人には騎兵も船団も糧食も欠けていることを理解してもおり、
  • et paucitatem militum ex castrorum exiguitate cognoscerent,
    • かつ陣営の(規模の)貧弱さから兵士の少なさを知ってもいたので、
      (訳注:カエサルが渡海させた兵士の主力は、
          軍団兵5,000名弱など×2個軍団≒1万名程度と思われる。
          貨物船1隻あたり120名が乗船可能だったとすれば、
          80隻で約1万名を運ぶことができる。)
  • ── quae hoc erant etiam angustiora,
    • ──さらに、以下の点で、それらはより窮乏しており、
  • quod sine impedimentis Caesar legiones transportaverat, ──
    • というのはカエサルは輜重なしに諸軍団を輸送して来ていたからであったが、──
      (訳注:輜重はおもに cālō という軍属奴隷が運ぶが、2個軍団でも数千人を要するので、
          運搬船が足りないと判断されたのであろう。)
  • optimum factu esse duxerunt
    • (ブリタンニアの領袖たちが)実行することにおいて最善であると考慮したことは、
  • rebellione facta frumento commeatuque nostros prohibere
    • 造反をなして、糧食や軍需品を我が方〔ローマ勢〕から遠ざけて、
  • et rem in hiemem producere,
    • 事態を冬季に引き延ばすことである。
  • quod his superatis aut reditu interclusis
    • ──というのは、彼ら〔ローマ勢〕を打ち負かすか、あるいは帰還するのを遮ってしまえば、
  • neminem postea belli inferendi causa in Britanniam transiturum confidebant.
    • 誰も今後は、戦争をしかけるためにブリタンニアに渡ってこないだろう、と信じていたのだ──。
  • Itaque rursus coniuratione facta
    • (ブリタンニアの領袖たちは)こうして再び陰謀をなして、、
  • paulatim ex castris discedere
    • 少しずつ(ローマ人の)陣営から立ち去って、
  • et suos clam ex agris deducere coeperunt.
    • 味方をひそかに領土から引き戻し始めた。

31節[編集]

カエサルの応急措置

  • At Caesar,
    • だが一方で、カエサルは、
  • etsi nondum eorum consilia cognoverat,
    • たとえ彼ら〔ブリタンニア人〕の策略を未だ知っていなかったとしても、
  • tamen et ex eventu navium suarum
    • それでもなお、自分ら〔ローマ勢〕の船団の事故から
  • et ex eo, quod obsides dare intermiserant,
    • (ブリタンニア人が)人質たちを差し出すことを中断していたことから
  • fore id, quod accidit, suspicabatur.
    • (のちに)起こったこと〔ブリタンニア人の造反〕が生ずるであろうと、いぶかしんでいた。
  • Itaque ad omnes casus subsidia comparabat.
    • こうして、あらゆる不慮の事態に向けて(以下のような)方策を準備していた。
  • Nam et frumentum ex agris cotidie in castra conferebat
    • すなわち、穀物を耕地から毎日(ローマ勢の)陣営に運び集めていたり、
  • et, quae gravissime adflictae erant naves,
    • (嵐によって)非常に激しく打ち砕かれていた船団は、
  • earum materia atque aere ad reliquas reficiendas utebatur
    • その材木や青銅を、残り(の船)を修理するために使っていたり、
      (訳注:aes は「青銅」や「」などのこと。
          錆びにくいため、ローマ人の船に用いられていた。)
  • et, quae ad eas res erant usui, ex continenti comportari iubebat.
    • それらの事〔修理〕に役立っていたものを、大陸から運搬することを命じてもいた。
  • Itaque, cum summo studio a militibus administraretur,
    • こうして、最高の熱意をもって兵士たちによって従事されていたので、
  • XII(duodecim) navibus amissis,
    • 12隻の船を失ったが、
  • reliquis ut navigari <satis> commode posset, effecit.
    • 残り(の船)<十分に> 好都合に航行できるように、なさしめた。

32節[編集]

包囲されたローマ軍団

  • Dum ea geruntur,
    • それらのこと〔船の補修など〕がなされている間に、
  • legione ex consuetudine una frumentatum missa,
    • 1個軍団がいつもの通りに糧食徴発をしに派遣されていて、
  • quae appellabatur VII.(septima),
    • それは第7軍団と呼ばれていた。
      (訳注:カエサルがブリタンニアに渡海させたのは、
          この第7軍団と、第10軍団の2個軍団のみである。)
  • neque ulla ad id tempus belli suspicione interposita,
    • その時まで戦争の(再開の)の疑いは何ら差し挟まれなかったが、
  • ── cum pars hominum in agris remaneret, pars etiam in castra ventitaret,──
    • (ブリタンニア人の)ある一部は領土に残留し、別の一部は陣営の中にさえもたびたび来ていたためであるが、
  • ii qui pro portis castrorum in statione erant,
    • 陣営の諸門の前で歩哨に就いていた者たちが、
  • Caesari nuntiaverunt
    • (以下のことを)カエサルに報告した。
  • pulverem maiorem quam consuetudo ferret,
  • in ea parte videri quam in partem legio iter fecisset.
    • (第7)軍団が行軍して行った方面のある方向に見られる、と。


  • Caesar id quod erat suspicatus, aliquid novi a barbaris initum consilii,
    • カエサルは、蛮族によって何らかの新たな策略が始められているということを、いぶかしんでおり、
  • cohortes quae in stationibus erant, secum in eam partem proficisci,
    • 歩哨に就いていた歩兵大隊を、自ら伴って、その方面に出発して、
  • ex reliquis duas in stationem cohortes succedere,
    • 残りの者たちのうち、2個(歩兵大隊)を歩哨に交代すること、
  • reliquas armari et confestim sese subsequi iussit.
    • 残り(の歩兵大隊)に、武装してすばやく自分に追随することを、命じた。


  • Cum paulo longius a castris processisset,
    • (カエサルが)陣営から少しより遠くに前進していたときに、
  • suos ab hostibus premi atque aegre sustinere
    • 配下の者ら〔第7軍団〕が敵によって圧倒され、辛うじて持ちこたえており、
  • et conferta legione ex omnibus partibus tela conici animadvertit.
    • 密集した軍団があらゆる方向から飛び道具を投げられていることに、気付いた。
  • Nam quod omni ex reliquis partibus demesso frumento pars una erat reliqua,
    • なぜなら、ほかのあらゆる方面から穀物が刈り取られて、一方面だけが残されていたので、
  • suspicati hostes huc nostros esse venturos
    • 敵方は、こちらへ我が方〔ローマ勢〕が来るであろうといぶかって、
  • noctu in silvis delituerant;
    • 夜間に森の中に隠れていたのだ。
  • tum dispersos, depositis armis in metendo occupatos
    • それから(ローマ兵が)分散して、武器を下に置き、刈り取りに従事しているところを、
  • subito adorti, paucis interfectis
    • 突如として襲いかかり、少数を殺戮して、
  • reliquos incertis ordinibus perturbaverant,
    • 残り(のローマ兵)を、隊列が不確実な状態で混乱させていた。
  • simul equitatu atque essedis circumdederant.

33節[編集]

ブリタンニア人の戦術

ケルト式二輪戦車の再現
ケルト系諸部族が用いていた戦車=二頭立て二輪馬車の再現(オーストリアザルツブルク州ハライン郡ケルト博物館)
ケルト式二輪戦車の再現(1986年、スイス)


  • Genus hoc est ex essedis pugnae.
    • (ブリタンニア人の)戦車による戦法は以下の通りであった。


   戦車で縦横無尽に駆けて、槍を放り、敵の戦列を崩す
  • Primo per omnes partes perequitant et tela coniciunt
    • 初めに、其処彼処そこかしこを(馬で)せ回って、飛び道具を投げ付けて、
  • atque ipso terrore equorum et strepitu rotarum
    • 馬たちの威圧感そのものと車輪の轟音とで、
  • ordines plerumque perturbant,
    • (交戦相手の)隊列をたいてい混乱させてしまう。
  • et cum se inter equitum turmas insinuaverunt,
    • (戦車が)騎兵たちの部隊トゥルマの間に入り込むと、
  • ex essedis desiliunt et pedibus proeliantur.
    • (歩兵が)戦車から跳び下りて、徒歩で闘う。


  • Aurigae interim paulatim ex proelio excedunt
    • 御 者アウリーガたちはその間にしだいに戦闘から離脱して、
  • atque ita currus conlocant,
    • このように車両を配置しておくので、
  • ut, si illi a multitudine hostium premantur, expeditum ad suos receptum habeant.
    • もしあの者ら〔戦車兵〕が敵の多勢により圧倒されても、味方のもとへ妨げられずに退却できる。
      (訳注:カエサルが「敵」というときはたいていローマ人から見た「敵」だが、
          ここではブリタンニア人から見た「敵」(ローマ勢)を指す。)


  • Ita mobilitatem equitum, stabilitatem peditum in proeliis praestant,
    • このように(ブリタンニア人は)騎兵の機動性や歩兵の安定性を、戦闘において見せつけ、
  • ac tantum usu cotidiano et exercitatione efficiunt,
    • これほど毎日の訓練や鍛錬を実行するので、
  • uti in declivi ac praecipiti loco incitatos equos sustinere
    • 傾斜地や急峻な地において、駆った馬を持ちこたえ、
  • et brevi moderari ac flectere
    • (馬を)瞬時に制御して、かつ向きを変え、
  • et per temonem percurrere et in iugo insistere
    • (戦車の)長柄テーモーを介して走り回ったり、頸木ユグムに留まったりして、
      (訳注:長柄(ながえ,轅)は、馬車の前に突き出して馬と馬車を結ぶ長い柄。
          頸木(くびき,軛)は、長柄の先端につないで、馬の首の後ろにかける横木。)
  • et se inde in currus citissime recipere consuerint.
    • そこから、車中に非常に速く戻ったりするのが、常であった。


くびきと長柄
水牛の首に掛けられたくびきと、後ろの車とをつなぐ長柄の例。
二輪戦車(左)から長く延びた長柄と、二頭の家畜の首に掛けられたくびき(右)(ジョージアシグナギ博物館)。


34節[編集]

カエサルの来援と撤収、ブリタンニア勢の集結

  • Quibus rebus perturbatis nostris novitate pugnae
    • このような事情で、戦いの新奇さによって、狼狽している我が方〔第7軍団〕に対して、
  • tempore opportunissimo Caesar auxilium tulit:
    • とても好都合な時に、カエサルが援軍をもたらした。
  • namque eius adventu hostes constiterunt,
    • すなわち、彼〔カエサル〕の到着によって、敵は立ち止まって、
  • nostri se ex timore receperunt.
    • 我が方〔第7軍団〕は怖れから回復したのだ。


  • Quo facto,
    • それがなされると、
  • ad lacessendum hostem et ad committendum proelium
    • 敵を挑発することのためや、交戦することのためには
      (訳注:α系写本では ad lacessendum et ad committendum proelium
          β系写本では ad lacessendum hostem et committendum proelium
          となっている。)
  • alienum esse tempus arbitratus
    • 不適切な時であると(カエサルは)判断して、
  • suo se loco continuit
    • その場に留まって、
  • et, brevi tempore intermisso,
    • 短い時間をおいてから、
  • in castra legiones reduxit.
    • 陣営に諸軍団を連れ戻した。


  • Dum haec geruntur,
    • こうしたことが遂行されている間に、
  • nostris omnibus occupatis,
    • 我が方〔ローマ方〕は総勢で(穀物の採集に)従事しており、
  • qui erant in agris reliqui discesserunt.
    • 耕地にいた(ブリタンニア人の)残りの者たちは撤収した。


  連日の嵐
  • Secutae sunt continuos complures dies tempeststes,
    • 引き続く幾日かに嵐が続いて、
      (訳注:α系写本の語順は continuos complures dies だが、
          β系写本の語順は continuos dies complures となっている。)
  • quae et nostros in castris continerent
    • それ〔嵐〕は我が方〔ローマ勢〕を陣営に留めもしたし、
  • et hostem a pugna prohiberent.
    • 〔ブリタンニア勢〕を戦いから妨げてもいた。


  ブリタンニア人が歩兵と騎兵の大軍を召集する
  • Interim barbari nuntios in omnes partes dimiserunt
    • その間に、蛮族は、伝令たちを四方八方に放って、
  • paucitatemque nostrorum militum suis praedicaverunt,
    • 我が方〔ローマ勢〕の兵士の寡勢ぶりを同胞に告げ知らせて、
  • et quanta praedae faciendae atque in perpetuum sui liberandi facultas daretur,
    • 戦利品を手に入れかつ永久に同胞を解放するためのどれほどの機会が与えられているか、
  • si Romanos castris expulissent, demonstraverunt.
    • もしローマ人を陣営から追い払ってしまったならばの話だが、と説明した。
  • His rebus celeriter magna multitudine peditatus equitatusque coacta
    • これらの事により、速やかに歩兵隊と騎兵隊の大群が徴集されて、
  • ad castra venerunt.
    • (ローマ人の)陣営の辺りへやって来た。

35節[編集]

騎兵と合流したカエサルと2個軍団が、ブリタンニア勢を撃退

  • Caesar,
    • カエサルは、
  • etsi idem quod superioribus diebus acciderat fore videbat,
    • たとえ、以前の日々に起こっていたのと同じことが生ずるであろうと思っていたとしても、
  • ── ut, si essent hostes pulsi, celeritate periculum effugerent,──
    • ──敵勢が撃退されていれば、速やかに危険を免れたろうけれども、──
  • tamen nactus equites circiter XXX(triginta),
    • それでもなお、約30騎の騎兵を獲得して、
  • quos Commius Atrebas, ──de quo ante dictum est,──
    • 彼ら〔騎兵〕を、アトレバテース族のコンミウス ──彼については前に言及された── が
      (訳注:コンミウスについては、21節27節で述べられた。)
  • secum transportaverat,
    • 伴って運んでいたのだが、
  • legiones in acie pro castris constituit.
    • (カエサルは)諸軍団を陣営の前に戦列に整えた。


  • Commisso proelio
    • 交戦して
  • diutius nostrorum militum impetum hostes ferre non potuerunt
    • 我が方〔ローマ勢〕の兵士たちの突撃に、敵勢はあまり長くは持ちこたえることができなくて、
  • ac terga verterunt.
    • 背を向けた。
      (訳注:敗走し始めた)


  • Quos tanto spatio secuti, quantum cursu et viribus efficere potuerunt,
    • その者たちを、力まかせに駆けて達成できるほどのあれほどの距離を追撃して、
  • complures ex iis occiderunt,
    • 彼らのうちの多数の者をたおした。
  • deinde omnibus longe lateque aedificiis incensis
    • それから、遠く幅広く、すべての建物を焼き討ちして、
  • se in castra receperunt.
    • 陣営に退却した。

36節[編集]

講和と大陸への帰着

  • Eodem die legati ab hostibus missi
    • 同じ日に、和平についての使節たちが敵によって派遣されて、
  • ad Caesarem de pace venerunt.
    • カエサルのもとへやって来た。
  • His Caesar numerum obsidum quem ante imperaverat duplicavit
    • 彼らにカエサルは、前に命令していたところの人質の数を倍にして、
  • eosque in continentem adduci iussit,
    • 彼ら〔人質たち〕が大陸に連行されることを命じた。
  • quod propinqua die aequinoctii
    • というのは、昼夜が等しい日の近くに
      (訳注:秋分のこと。
          現在の暦で8月末に大陸を出帆したとすると、
          約3週間の短い遠征だったことになる。)
  • infirmis navibus
    • (嵐で破損した)ぜい弱な船団で、
  • hiemi navigationem subiciendam non existimabat.
    • 冬季(の荒天)航海を投げ出すべきでないと考えていたからだ。
      (訳注:hiems という単語は、狭義には四季の「冬」を指すが、
          広義には秋分から翌年の春分までを指す[18]
          あるいは、嵐や暴風雨を意味する[19]。)


  • Ipse idoneam tempestatem nactus
    • (カエサル)自身は適切な天候に出遭って、
  • paulo post mediam noctem naves solvit,
    • 真夜中の少し後に出帆して、
  • quae omnes incolumes ad continentem pervenerunt;
    • それら〔船団〕はすべて無傷で大陸へ到着した。
  • sed ex iis onerariae duae eosdem quos reliqui portus capere non potuerunt
    • しかし、それらのうちの貨物船2隻は、ほか(の船)と同じ港に到達できずに、
      (訳注:χ系・B・M・S写本の記述では quos reliqui portus
          L・N写本では quos reliquae portus
          β系写本では portus quos reliquae となっている。)
  • et paulo infra delatae sunt.
    • 少し下方に押し流された。
      (訳注:地図のやや南方。)

モリニー族・メナピイー族への第二次遠征[編集]

37節[編集]

モリニー族の裏切りと敗北

   モリニー族が蜂起して、帰還したローマ兵を襲撃する
  • Quibus ex navibus
    • それらの船団のうちから
      (訳注:前節で言及された、2隻の貨物船。)
  • cum essent expositi milites circiter trecenti(CCC) atque in castra contenderent,
    • (ローマ軍の)兵士たち約300名が下船して、陣営に急いでいたときに、
      (訳注:この陣営は、22節で港の守備を任せた副官スルピキウス・ルーフスの陣営らしい[20] 。)
  • Morini, quos Caesar in Britanniam proficiscens pacatos reliquerat,
    • カエサルがブリタンニアに発つときに、平定された者たちとして残しておいたモリニー族が、
      (訳注:モリニー族については 21節22節を参照。)
  • spe praedae adducti
    • 略奪の見込みに引かれて、
  • primo non ita magno suorum numero circumsteterunt
    • はじめに、それほど多くはない数の味方で(ローマ兵たちを)包囲して、
  • ac, si sese interfici nollent, arma ponere iusserunt.
    • (ローマ兵たちが)自らが殺されることを欲しないのならば、武器を置くように、と命じた。


  • Cum illi orbe facto sese defenderent,
    • あの者たち〔ローマ兵〕円陣を組んで防戦していると、
  • celeriter ad clamorem hominum circiter milia sex(VI) convenerunt;
    • 叫び声の方へ速やかに約6000の(モリニー族の)人々が集まった。


   カエサルが騎兵隊を加勢に派遣し、モリニー族が敗走する
  • Qua re nuntiata,
    • この事が報告されると、
  • Caesar omnem ex castris equitatum suis auxilio misit.
    • カエサルは、陣営からすべての騎兵隊を、味方の援軍に派遣した。
  • Interim nostri milites impetum hostium sustinuerunt
    • その間に、我が方の兵士たちは敵の突撃を持ちこたえて、
  • atque amplius horis quattuor(IIII) fortissime pugnaverunt
    • かつ(不定時法の)4時間より長く非常に勇敢に戦い、
      (訳注:古代ローマの不定時法の時間間隔だが、
          秋分の頃では、現代の定時法の間隔に近い。)
  • et paucis vulneribus acceptis
    • 少数の者が傷を受けたが、
  • complures ex iis occiderunt.
    • 彼ら〔モリニー族〕のうちの多くの者をたおした。


  • Postea vero quam equitatus noster in conspectum venit,
    • しかし(援軍として派遣された)我が方〔ローマ勢〕の騎兵隊が視界に入って来た後で、
  • hostes abiectis armis
    • 敵勢〔モリニー族〕は武器を投げ捨てると、
  • terga verterunt
    • 背を向けて、
      (訳注:敗走し始めて)
  • magnusque eorum numerus est occisus.
    • 彼ら〔モリニー族〕の多数がたおされた。

38節[編集]

モリニー族の降伏、メナピイー族への遠征、前例のない感謝祭

湖沼の旱魃の例(米カリフォルニア)
  • in Morinos, qui rebellionem fecerant, misit.
    • 造反をしていたモリニー族のところに、派遣した。


  • Qui cum propter siccitates paludum,
    • かの者ら〔モリニー族〕は、沼地の旱魃かんばつのゆえに、
  • quo se reciperent, non haberent, quo perfugio superiore anno erant usi,
    • 撤収するところ、前年に避難所として用いていたところ、を持たなかったので
      (訳注:第3巻28節29節を参照。
           モリニー族は、次に述べられるメナピイー族と同様に、
           密生した森の中に身を潜め、嵐や大雨が続いたので、カエサルもお手上げだった。)
  • omnes fere in potestatem Labieni pervenerunt.
    • ほぼ総勢がラビエーヌスの軍門に降った。


メナピイー族の復元住居(再掲)
  メナピイー族への遠征
  • At Quintus Titurius et Lucius Cotta legati,
  • qui in Menapiorum fines legiones duxerant,
    • メナピイー族の領土に諸軍団を率いて行った。
      (訳注:22節で、カエサルはこの二人の副官に、
          メナピイー族やモリニー族の領土へ進軍することを命じている。)
  • omnibus eorum agris vastatis,
    • 彼らのすべての耕地を荒廃させて、
  • frumentis succisis,
    • (すべての)穀物を伐採し、
  • aedificiisque incensis,
    • (すべての)建物を焼き討ちして、
  • quod Menapii se omnes in densissimas silvas abdiderant,
    • ──というのはメナピイー族は皆が非常に密集した森の中に身を隠していたからであるが、──
      (訳注:第3巻29節では、上記のモリニー族と同様に述べられていたが、
          本節ではなぜ明暗が分かれたのか、明瞭には記されていない。)
  • se ad Caesarem receperunt.
    • カエサルのもとへ撤退した。
  • Caesar in Belgis omnium legionum hiberna constituit.


  和議を結んだブリタンニア諸部族の多くは、人質を差し出さず
  • Eo duae omnino civitates ex Britannia obsides miserunt,
    • そこに、ブリタンニアからたった二つの部族だけが人質たちを送ったが、
  • reliquae neglexerunt.
    • 残り(の部族)は無視した。
      (訳注:こうして、カエサルの第一次ブリタンニア侵攻は、
          大きな成果を得ることなく、失敗に終わった。)


   首都ローマでカエサル戦勝への20日間の感謝祭が決まる
  • His rebus gestis
    • これらの業績について、
  • ex litteris Caesaris
    • カエサルの書状にって、
  • dierum viginti supplicatio a senatu decreta est.
    • 20日間の感謝祭スップリカーティオーが、元老院により決議された。
      (訳注:第2巻35節では、カエサルのベルガエ平定に対する前例のない
          15日間の感謝祭(Supplicatio)が決議されたが、
          今回はさらに前例のない20日間もの盛大な感謝祭が決議された。
           上のコラムでふれたように、ローマの元老院では、
          カトーら政敵たちがカエサルを強く弾劾していたが、
          三頭政治の盟友ポンペイウスクラッススが執政官であったことが幸いした。
          さらには、ローマ人にとって前人未踏の地であった北の果ての島に
          カエサルが遠征を行なったことは、ローマ市民を大いに喜ばせたらしい。)




脚注[編集]

  1. ^ 1.0 1.1 w:en:Pagus 等を参照。
  2. ^ Usipetes - Latein-Deutsch Übersetzung (PONS)
  3. ^ vestigium - Latein-Deutsch Übersetzung (PONS)
  4. ^ (fr)
  5. ^ マース川とは - コトバンク などを参照。
  6. ^ Lepontinische Alpen などを参照。
  7. ^ ナントゥアーテース族 Nantuates は現在のスイス西南端(ヴァレー州マソンジュ Massongex)に住んでいたされ、ライン川の水源とされるトーマ湖からでも100km以上は離れていた
  8. ^ メディオーマトリキー族 Mediomatrici は、Divodurum Mediomatricorum、現在のメス市辺りに住んでいた。
  9. ^ トリボキー族 Triboci は第1巻51節でアリオウィストゥス指揮下の部族とされた。
  10. ^ w:en:Roman_infantry_tactics#Layout_of_the_triple_line等を参照。
  11. ^ ゲルツァー著『ローマ政治家伝Ⅰ カエサル』長谷川博隆訳 p.112参照。
  12. ^ 英訳 disembark
  13. ^ 英訳 land
  14. ^ 右に掲げたウォルマー海岸の記念碑と同一の物と思われる。
  15. ^ julius caesar - WalmerWeb
  16. ^ Julius Caesar Landing plaque Map - Memorial - Kent, United Kingdom - Mapcarta
  17. ^ 南川高志著『海のかなたのローマ帝国 古代ローマとブリテン島』(増補版2015年、岩波書店)を参照。
  18. ^ la:hiems : Unum ex duobus temporibus anni, qui ab 22. Septembris usque ad 22. Martii durat.
  19. ^ en:hiems : storm, stormy weather, tempest
  20. ^ 注釈書 [1] を参照。

参考リンク[編集]